切磋琢磨
身支度を整えて、寝室を出る。
窓の外を見ると既に太陽がしっかりと顔を出していた。イチャイチャしている内にずいぶんと時間が経っていたようだ。
俺はソファに深く腰掛け、大きく息を吐く。
「レイもサイル茶飲む?」
するとラナがキッチンに向かいながら聞いてきた。なので俺はすぐにソファから立つ。
「ああ、俺がやるよ」
ラナはずっと看病してくれていたのだ。それなのに全て任せきりというのも忍びない。だから俺がやろうとしたのだが、ラナはやんわりと手のひらをこちらに向けてきた。
「大丈夫だよ。私に任せて。レイは病人なんだから大人しくしてないと」
「……別に病人って訳じゃないんだけどな」
因子を使い過ぎて気絶しただけだ。病人なんて事実はない。しかしラナは俺に休んでいて欲しいらしく、笑みを浮かべるとキッチンの中へと姿を消してしまった。
……仕方ない。言葉に甘えるか。
俺は素直に任せることにしてもう一度ソファに座る。
いつも思うが、最高級の素材が使われているとあって、座り心地がとてつもなくいい。全身を包み込むように支えてくれる。
このままでは起き上がれなくなってしまいそうだ。
「ダメだダメだ」
これから大事な話が待っているのだ。だらしの無い姿でいる訳にはいかない。
俺はソファから身体を起こすと、浅く腰掛ける。
すると、ものの数分でラナがサイル茶を運んできてくれた。
「はいどうぞ。なんだっけ? こーひー?」
首を傾げながらも、ラナがサイル茶を机に置く。
どうやら前に冒険者ギルドでした話を覚えていたようだ。
「一回聞いただけなのによく覚えてたな」
「レイが好きって言ってたから当然です」
ラナが俺の向いに座りながらドヤ顔で胸を張る。なんとも可愛らしい恋人だ。
「ありがとな」
「それはどっちの意味? 用意してくれた事? それとも好きだって覚えてた事?」
ラナが悪戯っ子のようにニヤリと笑う。
「当然、どっちもだよ」
「ふふっ。よろしい」
ラナは笑みをこぼすと、満足そうに頷いた。
「にしても、ホントに似てるんだよな」
俺はしみじみと呟きながらサイル茶を啜る。
すると珈琲特有の苦味が口いっぱいに広がった。
色も香りも、そして味も。どれもこれもが俺の記憶にある珈琲と同じだ。
「世界が違うのにこんなに似た物があるのは驚きだよ。……うん。やっぱり美味しい」
「そんなに似てるんだ。やっぱり気になるなぁ」
ラナもカップに口をつける。すると直ぐに顔を綻ばせた。その顔を見ているとやっぱり珈琲を飲ませてあげたくなる。
……今はまだ手掛かりは何も無いけど、いつかはきっと。
そう思わずにはいられない。
「はぁ。美味しい。……さて、それで?」
ラナがテーブルにカップを置いた。顔付きが真剣なものへと変わっている。
だから俺も同じようにしてカップを置く。
「何があったのか聞かせてくれる?」
「何があったのか……か。色々あり過ぎてどこから説明しようか。そうだな……」
ヒトの事、匣の事、因子の事、聖剣の事。そして使徒の目的。
これらの中で一番重要なのは、やはり使徒の目的だろうか。
「まず敵の、使徒の目的が判明した」
「目的……。それは?」
ラナに対して勿体ぶる事はないので、単刀直入に言う。
「邪神の復活だ」
「……邪神の、復活? 至天に聞いたの?」
「いや、レニウスだ」
「レニウス? それって魔法使いだよね? 会ったの? いつ? そんな気配はなかったけど……」
「まあそうなるよな」
俺は苦笑した。あまりに荒唐無稽な話だ。
それに魔法使いが現れたのならラナが察知できないはずがない。
「それを説明するにはまずヒトに関して説明しなきゃだな」
「ヒト……。それもレニウス……様が言ってた事だよね?」
「そうだ」
これに関してはもう一度、実際に見てもらった方が早いだろう。
俺は一度目を閉じると匣から天使因子を取り出した。頭上に天使の象徴である光輪が出現する。
「俺はヒトって種族の先祖返りらしい。いや、らしいじゃないな。先祖返りだ。ヒトは匣っていう器官を持っていて因子と呼ばれる力を取り込んで使用する事ができる。魔術師が魔力を生成する器官を持っている代わりに俺は匣を持ってるって感じだな」
「……レイが魔力を持ってないのはそれが理由だった訳か。……ならそれが天使の因子って事?」
ラナが俺の頭上に浮かんでいる光輪を指差して言った。俺はその通りだと頷く。
「俺が今まで知らずに使ってた闇の正体も因子だ。邪神因子だって天使因子のレニウスが言ってた」
「邪神因子? ……それに天使因子のレニウス? あぁ。そう言う事……。魔法使い本人に会ったのではなく、天使因子に聞いたって事ね」
流石と言うべきか、俺が言わずともラナは理解してくれた。
「話が早くて助かる」
「それで邪神因子って? 邪神と関係があるんだよね?」
「多分だけどバケモノが邪神と関係があるんだと思う。だから喰った事によってその因子を取り込んだんだ。ちなみに俺が今、持っている因子は天使因子と邪神因子の他に、勇者因子と悪魔因子の計四個だ」
「バケモノが……。それとあの聖剣はそういう事だったのね。目が赤くなってたのは悪魔因子?」
俺は頷いた。
「その通り。悪魔因子は主に再生能力と血を操れるようになる。吸血鬼って言えば伝わりやすいんだけどレスティナにもいるか?」
「キュウケツキ? 知らないかな。少なくとも私の知識にはない」
「そうか。なら因子を使っている最中は血を操れるし、再生能力を持ってるって思っといてくれ。使用中は目が赤く染まるからすぐにわかると思う。こういう風に」
俺は天使因子を匣に仕舞い、悪魔因子を取り出す。頭上から天輪が消え、瞳が赤く染まる。
するとラナが身を乗り出し、至近距離から目を覗き込んできた。
ふわりと、いい香りがする。
「本当だ。赤くなってる。なんか……ミステリアスな感じでかっこいい。結構イメージ変わるね」
「……そんなまじまじ見られると流石に恥ずかしい」
俺は悪魔因子を匣の中に仕舞った。目の色が戻ったのだろう。ラナが「あっ」と声を漏らして残念そうにする。
そんなラナに俺は苦笑した。
「まあ、また……な。ちなみに因子三個を同時使用した場合の制限時間は約一分。個々で使った時はわからないから近い内に検証してみるつもりだ」
「あの時は制限時間が来てたのかぁ。それで負担が掛かって気を失ったんだね」
「うん。だから病人ってわけじゃないから安心して」
「安心はできないけどね」
そう言ってラナは苦笑した。
確かにその通りだ。俺がラナの立場だったら安心なんてできやしない。
「……でも不思議だね。闇も因子、邪神因子なんでしょ? なんで他の三つだけ制限時間があるんだろう」
何気ないラナの質問。
しかし言われてみると確かにその通りだ。闇を使っていて今まで制限時間を気にした事はない。
以前、爺との修行で丸一週間封印を解除し続けた事もあるが、その時も特に問題は発生しなかった。
「……考えた事なかったな。でも言われてみると確かにそうだな。もしかしたら制限時間を無くせる可能性がある? それとも一つだけの時か? 色々と試す必要があるな。……っと、ごめん。話が逸れたな。でもありがとうラナ。気付けて良かった」
「ううん。役立てたなら私も嬉しいよ。でもそれならレイは因子を取り込めば取り込んだだけ強くなるんだよね?」
「まあ理論上はそうなる……かな?」
俺の匣にはまだまだ空きがある。此処に様々な因子を格納出来るのならばラナの言う通り、俺は取り込んだだけ強くなれる筈だ。
「それって私の因子? も取り込めるの?」
「いや……」
俺は否定しかけて口を噤んだ。決して出来ないとは断言できない。
そもそも出来る出来ない以前の問題として因子の取り込み方がいまだ不明なのだ。俺がわかっているのはあくまで既に匣の中にある因子の使い方のみ。
「……出来なくはないかもしれない。でも因子ってなんだ?」
「うーん。なんだろう? 魔法使いの……いやでもそれだと勇者が……。……う〜〜〜ん」
ラナが頭を捻るが、わからない様子。
天使因子はレニウスに胸を貫かれて取り込まされた。
勇者因子はかつて勇者であった魔王を封印した結果。
邪神因子は鎧武者を喰ったのが原因。
悪魔因子は見当もつかない。
共通している項目が何一つない。だから推測もできない。
「……一回星剣で刺してみるか?」
ラナを封印するなんて以ての外だ。だから一番簡単な方法を提案したのだが、ラナにはジト目を向けられた。
「怒るよ? する訳ないでしょ?」
「でも可能性があるなら……」
「レイ?」
顔は笑っているのに目が笑っていない。端的に言うととても怖い。
「ハイ。スミマセン」
「もぅ。この話はお終い。それで? これで全部?」
ラナが頬を膨らませる。可愛くて膨らんだ頬を突こうとしたらまたもジト目を向けられた。
「レイ? 何を考えてるのかな?」
「ゴメン。可愛くてつい」
「可愛いって言えば許されると思ってない?」
「別に……ないことも……ないかもしれない?」
「疑問系なんだ。……まぁ嬉しいからいいんだけどさ?」
「いいんだ」
「そりゃ好きな人に可愛いって言われるのは嬉しいから」
ラナが照れくさそうに微笑んだ。本当に可愛い。
「……コホン。それで? 他には何もない?」
気を取り直すように咳払いをするラナ。
俺は真剣な表情を作って首を振る。まだ一つある。これが一番大事なことだ。
「初めに使徒の目的は邪神の復活って言ったよな?」
「うん」
「レニウス……もとい天使因子が言うに、それは世界の滅亡を意味するらしい」
「世界の……滅亡」
ラナが呟くように反芻する。
表情がこわばり、眉を寄せていた。
「……なんか、現実味が薄いね。世界の滅亡って言われても実感が湧かないや」
「それは俺も同じだったよ。でも俺はあの目を見てるから。多分あれが……邪神だ」
「あの目? ……あぁ回帰する前に見たって言う空の?」
俺は頷く。
未来で俺が見た天蓋を覆う程に巨大な目。俺はあれが邪神だと確信している。
ラナは腕を組んで目を伏せると、なにかを考え始めた。
「……レイ。気になる事があるんだけど、邪神が復活したら世界が滅びるの? それとも邪神を復活させる為に世界を滅ぼす必要があるの?」
「……」
俺はラナの質問に答えられなかった。
――邪神の復活。それは世界の滅亡と同義だ。
天使因子はそう口にした。しかし邪神がどのようにして世界を滅亡させるのかは聞いていない。
「ごめん。邪神の復活が世界の滅亡と同じだって事しか聞いてない」
「天使因子? に、聞けないの?」
「聞けない事はないと思う。だけど多分答えてくれない可能性が高い」
「それはどうして?」
そういえば、と思い出した。レニウスたち魔法使いの思惑を説明するのを忘れている。
「ごめん。そこの説明が抜けてたな。どうやらレニウスたち魔法使いは既に方針を定めているらしい。でも俺たちには別の可能性を模索して欲しいみたいなんだ。だからレニウスが情報を与えることによって考えが偏るのを防ぐ為に、最低限しか教えたくないらしい」
ラナは眉根を寄せて不満そうにしながらも頷いた。
「……通りで。だからあの時も……。じゃあ聞いても仕方ないか」
「でも一応聞いてみるよ。ちょっと待っててくれ」
俺は一度目を閉じて意識を集中させる。
一度匣の中に入った影響か、入り方は既にわかっている。
再び目を開けると景色が切り替わっていた。
見渡す限りの凪いだ水面に頭上の太陽と月。先日と変わりのない景色だ。
俺は天使因子を探して辺りを見回す。
しかしレニウスの姿はなかった。代わりに邪神因子の周りを天輪が変形したと思しき奇怪な模様が取り囲んでいる。
おそらくは調整中なのだろう。
「……邪魔して悪かったな。俺は戻るよ」
応える声はない。俺は目を瞑り、意識を覚醒させる。
再び目を開けた時には、ラナが目の前にいた。
「ごめん。会えなかった。調整中みたいだ」
「え? もう? 早いね」
「匣の中に時間って概念はないから」
「なんか……すごいね」
ラナがしみじみと呟く。俺もそう思う。
「まあ今度会えたら聞いておくよ」
「うん。よろしくね。……でも、それなら結局やる事は変わらないか」
「だな。いずれにせよ今のままじゃダメだ」
「敵は邪神。……神、だもんね」
空から俺を見下ろしていたあの目は魔法使いよりも格上だ。
邪神が世界を滅ぼすと言うのなら、使徒の思惑を打ち砕かなければならない。それにはやはり力がいる。
使徒を圧倒できるだけの力が。
「私も早く魔法使いになれるように頑張る。このままじゃレイに置いてかれちゃいそうだから」
「なら俺もラナに置いてかれないように頑張らないとだな」
ラナが口元に手を当ててクスリと笑う。
「そうだね。なんだっけ……セッサタクマ? ってやつ?」
ラナがカタコトの日本語で言った。昔、ラナが囚われていた時に俺が教えた日本語だ。
「よく覚えてたな。でもその通りだ。二人で……いや、みんなで切磋琢磨しようか」
「うん! 絶対に負けないから!」
ラナは胸をトンッと叩くと気持ちのいいぐらい爽やかな笑みを浮かべた。
祝50万文字!




