勇者
「……まさか。これほどとは思いませんでした」
二人の戦いを見ながらアイリスが呟く。
その視線の先では勇者が赫の至天、序列第二位を圧倒していた。
開戦直後こそサナを援護していたアイリスだが、今はただ見守っているだけだ。援護なんてする必要がない。
それほどまでにサナは幼馴染二人との死合いを経て、勇者に相応しい実力を身につけていた。
「ちょっ! 聞いてないんですけど!? 情報とぜんっぜん違う!!!」
ミルトがサナの猛攻を防ぎながら悪態をつく。
サナの攻撃は苛烈そのもの。
油断なく、躊躇なく、容赦なく。ミルトを殺すためだけに聖刀を振るう。
そこに人殺しに対する忌避は皆無だ。そんなくだらない物を持ち続けていたら今、この場にサナは立っていない。
「情報って何かな? 今代の勇者は出来損ないとか?」
「……っ! よく、分かってるじゃん!!!」
サナが繰り出した刺突を首の皮一枚目で回避したミルトは即座に攻撃に転じる。大きく一歩を踏み出し、サナの懐に入ると目にも止まらぬ速度で右の炎拳を放った。
下方から迫るアッパーカット。
しかしサナは完全に見切っていた。自らの顔面目掛けて迫る炎拳を見据えながら冷静に次の手を打つ。
聖刀から人差し指を離し、手首を捻る。その指先をミルトに向け、極小の魔術式を記述した。
――光属性攻撃魔術:光閃
魔術式が輝きを放ち、収束。直後、ミルトの側頭部目掛け、極細のレーザーが放たれた。
「くっ!」
ミルトは即座に攻撃を中断。両足を脱力させる事で身を屈め、レーザーを回避する。
しかしそれで終わるサナではない。レーザーが避けられた瞬間、聖刀が閃き、黄金の軌跡が宙に描かれた。
「ぐぅっ!」
赤が噴き出す。
ミルトの右腕が宙を舞い、血飛沫を上げながら地に落ちた。その時には既に聖刀が振られ、ミルトの首筋に迫っている。
完璧な速度、タイミングで振るわれた聖刀がミルトの首を捉える。
しかしその直前――。
「ッ! このっ! 好き勝手に!!!」
突如としてミルトが炎に包まれた。
サナは即座に攻撃を中断。縮地を用いてアイリスの元へと後退する。
次の瞬間、驚異的な熱量を持った火柱が天を衝いた。
遠く離れて尚、熱気が押し寄せサナとアイリスが顔を顰める。
「サナ。怪我はありませんか?」
「ぜんぜんヘーキ。でもちょっと服が焼けちゃった」
焼けて黒ずんだスカートの端を摘みながらサナが呟く。
サナが身につけている騎士服はレイのコートと同様に各種耐性が施されている逸品だ。並の炎では焼けたりなんかしない。
しかし至天の前ではそんな耐性、あってないような物だ。
「むぅー。気に入ってたのに。どうしてくれんの?」
サナがむくれ顔をして火柱に向かって文句を言う。すると火柱が収束し、人の形を取った。
「……そんなの知らないよ」
苛立ちを孕んだ声音でミルトが吐き捨てる。
その姿は先程までとは違い、変化していた。
鮮やかな赤髪は燃え盛る炎に変わり、炎を纏っていた四肢は炎そのものと化している。その上、切断したはずの右腕も揺らめく炎として再生していた。
「……気を付けてくださいサナ。先程までとは違います」
「うん。大丈夫。分かってる」
アイリスの言う通り、ミルトは別人の様になっていた。
姿は然り。その上、身に纏う圧や内包する魔力。どれをとっても先程とは比べ物にならない。
サナが喉を鳴らし、聖刀を握る手に力を込める。
「なにをごちゃごちゃいってん……の!」
次の瞬間、ミルトの足元が爆ぜた。
一瞬にして彼我の距離を零にしたミルトは勢いに任せて右の炎拳を振り被る。
……早い! でも追えないほどじゃない!
真っ直ぐに打ち出された炎拳をサナは僅かに首を逸らして回避する。
熱波が肌を焼き、顔を顰めるが気にしている余裕はない。サナの視界の端で振り抜かれた拳が一際大きな光を放っていたからだ。
なにが起きるかはわからない。
しかしサナはこの感覚を身に染みて知っていた。
幼馴染二人との死合いで何度も経験している。
今すぐに回避しないと死ぬ。
そう直感が告げていた。
だけどそれは一人だった場合の話だ。今はアイリスがいる。
サナはすぐ後ろで魔力が高まるのを感じていた。
だから避けない。避ける必要はない。
――聖属性防御魔術:白式極光
純白の極光がサナとアイリスを包み込む。
直後、ミルトの炎拳が臨界を迎え、大爆発を引き起こした。サナとアイリスは一瞬にして爆炎に呑み込まれる。
轟音が耳を劈き、閃光が視界を焼く。
しかしそれでも尚、サナは極光の向こうにミルトの魔力反応を捉えていた。
辺りは炎に包まれている。
だけど敵が視えているのならば殺せる。
サナは爆炎の中、一歩踏み込み聖刀を振るった。
「――チッ!」
轟音の中でサナは舌打ちを聞いた気がした。
直後、聖刀がミルトの魔力反応を両断する。
「――ん?」
しかしそこに手応えはなかった。
……あれ? 捉えたと思ったんだけどな。
爆炎が晴れたそこには、無傷のサナとアイリスが立っていた。純白の極光が役目は終えたとばかりに消えていく。
そして少し離れた場所にはミルトがいた。
サナは油断なく、ミルトを観察する。
大爆発を引き起こした拳は健在。両断したと思しき身体も傷一つ無く、全くの無傷。
……なんらかの回避手段を持っている? もしそうなら確かめておかないと。
敵が未知の手段を持っているのならば早めに把握しておくべきだ。取り返しのつかない状況になる前に。
サナはそう結論付けた。
「アイリス。防御は任せていい?」
「はい。サナは攻撃に集中してください」
「わかった。ありがとね」
サナはアイリスに微笑むと聖刀を鞘に納刀。そして腰を落とし縮地を使った。
姿が掻き消え、一瞬にしてミルトの懐に入り込む。
居合、抜刀。
神速の斬撃がミルトの身体を薙ぐ。
先程までのミルトならば反応も出来なかった速度。しかし今はしっかりと合わせてきた。
自らの胴体へ迫る刃を完全に無視。
輝きを放つ手でサナの顔面を掴みに行った。
……え?
回避するために何かすると思っていたサナは虚を突かれた。まさか無視するとは思わず、思考に間隙が生じる。
しかし抜き放った刃は止まらない。
居合はミルトの手がサナの顔面を掴むより、圧倒的に方が速い。
だからこそ、捨て身の攻撃にサナは混乱した。
直後、聖刀の刃がミルトの胴体捉える。そして、炎を斬るかのようにすり抜けた。
「――なっ!?」
「引っかかったね!!!」
口元に残忍な笑みを浮かべたミルトが、その一回り大きくなった腕でサナの顔面を鷲掴みにする。
「――爆ぜろ」
腕全体が輝きを放ち、臨界を迎えた。
直後、大爆発。炎が一瞬にしてサナを呑み込んだ。
一度目とは比べ物にならないほど巨大な火柱が大地に突き立ち、膨張していく。しかしその膨張は直ぐに終わり、今度は逆に収縮を開始した。
勇者一人を焼き尽くすために炎の密度を上げているのだ。
「……これで決める気ですね。でも……甘いですよ」
爆風に髪を靡かせながらアイリスが静かに呟き、魔術式を追加で記述する。
その声音にサナを心配する感情はない。ただ淡々と炎を見つめている。
すると火柱の中からミルトが飛び出し、後退した。
「あり得ない! なんでこれを喰らって死なないの!?」
「なんで? 単純な事だよ。アイリスの防御を貫ける程の火力がない。それだけでしょ?」
炎が内側から吹き飛び、霧散していく。
そこに立っていたのはやはり無傷のサナだった。
ミルトが苛立ち混じりに歯軋りをする。しかしやがてがっくりと肩を落とした。
「………………仕方ない」
そして降参とばかりに両手を挙げる。
「どういうつもり?」
だがサナは一切警戒を解かない。油断なくミルトを見据えている。
「……これで仕留め切れないんじゃアタシには打つ手無しだ」
「ふぅん? じゃあ諦めて死ぬ?」
サナの言葉にミルトがムッと顔を顰める。
「そんなわけないでしょ。そもそも私の役目はアンタたちを殺す事じゃない。だから当初の目的に戻るだけだよ」
「当初の目的?」
「そ。簡単に言うと足止め」
「……なるほど。やっぱり本命はレイなんだね」
「その通りだよ」
「………………じゃあ、早く終わらせないと。……仕方ないか」
サナが大きく溜息を吐いて聖刀を消した。
そんなサナの様子を見たミルトは訝しげに眉を顰める。
「もしかして足止めに付き合ってくれんの?」
「……ん? あぁ。そう思っても仕方ないか。でも違うよ」
サナが手のひらを天に向けた。
「あなたは今、この場で殺す」
――聖剣、殲滅形態・星月夜




