幻想世界
「……くぅ!」
カノンの判断は早かった。
近接戦では勝ち目がない。
迅速にそう判断を下したカノンは無表情を僅かに歪めながらも即座に魔術式を記述する。
カノンが選択したのは呪腕千葬。
理由は単純明快。
先程バケモノが回避したからだ。
一度回避した攻撃なら、二度目も回避する。
そう考え、カノンは自身の足元に黒き孔を生み出す。
――呪属性攻撃魔術:呪腕千葬
魔術式が輝きを放ち、カノンの足元に黒い孔が出現。そこから無数の青白い腕が這い出で、バケモノを絡め取ろうと殺到する。
対するバケモノは哄笑を止めると、カノンの予想通りに腕を引き抜いた。そして呪腕を避けるように距離を取る。
「……ミコラ!」
血が噴き出す肩を手で抑えながらカノンは頭上の白銀大鷲に向かって声を張り上げた。
旋回していたミコラが呼応するように頭上で魔術式を記述。次の瞬間、光の粒子が降り注いだ。
瞬く間にカノンの肩に空いていた穴が塞がっていく。
その様子をバケモノは卑しい嗤みを浮かべながら見つめていた。カノンも呪腕千葬を維持しつつ、バケモノを見据える。
膠着。両者は一歩も動かない。
だけどカノンは凄まじい速度で思考を続けていた。
……今のままじゃ……勝てない。
カノンは先の攻防で冷静にそう判断した。
状況は圧倒的に不利。カノンの専売特許である呪いはあまり効いておらず、速度はバケモノが上。
万全の状態なら話は違ったのかもしれないが、大魔術を連発し、数多の使い魔を維持しているカノンの魔力は残り少ない。
……どうしよう。
カノンは内心で呟いた。
破滅の唄を撃つだけの魔力はもう残っていない。それ以前に、撃てた所でバケモノには効かないだろう。
死鎌による斬撃も弾かれた。
呪腕千葬は回避している事から効くのだろうが、バケモノの速度の前では当てる事は出来ない。
八方塞がりだ。
……そもそも何で弾かれたの?
しかしカノンは思考を止めない。
魔術師であるカノンは万能の魔術なんてモノは存在しない事を知っている。どんなに強い魔術でも必ず穴があると。
……試していくしかない。
死鎌は弾かれ、呪腕千葬は回避された。
ならばその違いに活路はある。
カノンは手のひらをバケモノに向け、魔術式を記述する。
――呪属性攻撃魔術:呪弾
放つは基礎的な魔術に呪属性を付与した物。そしてもう一つ。
――無属性攻撃魔術:魔弾
こちらも魔力を弾丸にして飛ばす単純な物だ。
検証のために大仰な魔術は必要ない。今は少しでも魔力を温存しておきたかった。
バケモノへと向けて真っ直ぐ突き進む魔力の弾丸。
その行方をカノンは幻境眼を開いて見届ける。
バケモノは避けなかった。
死鎌を振るった時と同様に微動だにしない。
二種の魔弾がバケモノに着弾。そして弾ける。
斬撃を弾いたのと同じ現象だ。しかしカノンの眼を持ってしても魔力が使われた形跡を捉える事はできなかった。
……魔術じゃない。……異能? でもまだ足りない。
カノンは続けて魔術式を記述する。
――呪属性攻撃魔術:呪槍影穴
バケモノの足元に昏き孔が開き、漆黒の槍が飛び出す。
それをバケモノは後退し、避けた。
……斬撃、魔弾にあって、腕と槍にないもの。
答えはすぐに出た。
……遠距離攻撃を弾く異能。
ダメ押しでカノンは頭上にもう一つ魔術式を記述する。
――呪属性攻撃魔術:呪影覇槍
虚空から現れるは漆黒の槍。それをカノンは射出した。
凄まじい速度で突き進む呪槍。カノンの予想通り、バケモノは微動だにしない。
そして肌に触れた瞬間、同じように弾けた。
……困った。
予想は当たっていた。
しかしわかったことと言えば致命的なまでにカノンと相性が悪いと言う事だけ。このバケモノは後衛の魔術師にとって天敵ともいえる存在だ。
……交換できればいいんだけど。
カノンは額に魔術式を記述し、グランと視界を同期させる。
不利な敵ならば敵を交換すればいい。
それが多対多での戦闘の基本だ。
しかしグランの眼下ではウォーデンとシルが巨大なバケモノ相手に苦戦を強いられていた。
とてもではないが敵を交換している隙などない。
……それにわたしは動けない。
カノンが動くには呪界の外に出なければならない。
呪界の中でさえ致命傷を避けるのがやっとなのだ。そんな事をすれば死は確実となる。
グランの視界から王都を見れば、王城前にラナが作り出したと思しき氷のドームがあった。
凄まじく巨大なドームにカノンは嫌な予感を覚える。
早く駆け付けたい気持ちに駆られるが、目の前にバケモノがいる以上それはできない。
焦りばかりが募っていく。しかし、手がないのも事実。
……いや、ない訳じゃない。
カノンは逡巡した。
この状況を打開できる手が一つだけある。
しかし必ずしも打開できるわけではない。あくまで可能性のある手だ。
加えてデメリットも大きい。
……でも……。
カノンの脳裏にカナタの姿が過る。
親友を手伝う為だけに世界を超えてきた異世界人。そしてカノンにとっては初恋の人。
そんな好きな人の大切な親友が今、危機に陥っているかもしれない。
……なら、やるしかない……よね。
今ここにいるのは、ただの恋する乙女である。
好きな人の役に立ちたい、好きな人に褒められたい。そう思う心は、強い。
好きな人のためなら容易に覚悟を決められる。
それが恋というものだ。
……。
カノンは無防備にも一度目を瞑った。
そして大きく息を吸い、吐き出すと幻境眼を開く。
視界いっぱいに異界の景色が重なった。
全てが静止した世界。
レスティナには存在しない動植物がありふれた異界。
カノンの召喚魔術は幻境眼を通して視るこの異界から使い魔を召喚している。
召喚できるものは動物、植物問わず、それが生物であれば召喚することができる。
カノンの扱う死鎌も無機物に見えて、実は生物だ。
そんな異界の生物たちにも格というものが存在している。使う触媒、魔力で呼び出せる格が決まる。
カノンが最果ての魔物の素材を用いた上、全魔力を注ぎ込んで造り出した最強の使い魔が死鎌だ。
そんな死鎌は使い魔の中でも最強格である。しかし決して頂点ではない。カノンの視る異界には決して召喚できないと思わせる生物が何体か存在する。
カノンはその一体へと焦点を合わせていく。
視るのは頭上だ。
星が瞬く夜空。
その中にカノンは浮遊島を視ていた。
遠近感が狂いそうになるほどに巨大な浮遊島。その内側に宿すは一つの生態系。
それほどまでに巨大な島は決して島なんかではない。
巨大な生物だ。
カノンは自分が流した血に魔力を流し、魔術式を記述していく。
今までにない格を持つ使い魔だ。自然と魔術式も大きくなる。それは通常の魔術式では足りず、立体魔術式と成った。
しかしそれでも足りない。
カノンは前線から十羽の鴉を呼び戻すと、立体魔術式を記述するように命令を下す。
やがて出来上がったのは幾重にも重ねられた多重構造の立体魔術式。
だけど問題が一つある。
召喚魔術は触媒があって初めて成立する魔術だ。それがわかっていないカノンではない。
ではどうするか。
答えは単純明快。
――己の一部を触媒にすればいい。
カノンは自らの左眼に手を添えて、魔術式に魔力を注ぎ込んでいく。
異界を見る幻境眼。
それは最高級の触媒と成る。
「……来て」
そして魔術が発動する。
――無属性召喚魔術:⬜︎⬜︎召喚




