棒のバケモノ
……あの時のバケモノより、強い。
カノンは冷静にそう判断を下す。
あの時、とは言うまでもなくブラスディア伯爵邸でバケモノと遭遇した時の事だ。
細長い手足に細長い胴体、細長い頭部と以前とは姿形が異なる。まるで棒のような、とても強そうには見えない姿だ。
しかしながら、その身に纏う圧は竜種をも凌駕している。だからこそカノンは油断しない。
「ニルク!!! ニルク!!! 返事をしろ!!!」
戦場に悲鳴のような慟哭が響く。
棒のようなバケモノに動きはない。だからカノンは状況把握が最優先だと決め、額に魔術式を記述する。
無論、警戒は解かず、視線はバケモノから一才逸らさない。
――無属性召喚魔術:瞳結び
視界を繋ぐのは上空に待機させているグランだ。
魔術式が発光し、主人と使い魔の視界が同期する。そして飛び込んできた光景にカノンは唇を噛んだ。
……これは……助からない。
瞬時にそう悟った。
ウォーデンの前に立っていたバケモノはカノンが対峙しているバケモノとは違い、凄まじく巨大だった。
その体長は背の高いウォーデンの三倍はあり、横幅も広い。腕は丸太の様に太く、まるで岩の様な身体だ。
そんなバケモノの下に一人の男が倒れていた。
【煌夜】のA級冒険者ニルク・バーンズ。
剣と魔術を駆使して戦う魔剣士だ。しかし今は下半身が潰れ、地面に血を撒き散らしている。空から降ってきたバケモノの下敷きになったのだろう。
見るからに致命傷だ。
まだ意識はある様だが、目は虚ろでハッキリとしていない。保って数秒の命。カノンはそう判断した。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で呟き、瞳結びを解除する。
カノンにニルクを救うことは出来ない。確かにニコラとグランは聖属性の魔術を扱える。しかし決して聖女というわけではない。
その効果がアイリスの聖属性魔術よりも劣る事は検証済みだ。よって下半身が丸ごと潰れている今の状態から回復させることは不可能である。
「キヒヒッ」
そんなカノンを嘲笑うかのようにバケモノが嗤う。あの時と同じ声で嗤う。酷く耳障りな音に、カノンはいつもの無表情を僅かに顰めた。
「お前らは手ェ出すなよ! 死ぬぞ!」
今にもバケモノに飛び掛かろうとしていた【煌夜】に向かってウォーデンが叫ぶ。
目の前にいるバケモノはそれほどの脅威だ。たとえS級冒険者であろうと関係ない。下手に手を出せば一瞬で屍となるだろう。
しかし仲間を殺された【煌夜】も黙ってはいられない。
「仲間がやられたんだぞ!!! それでも黙ってろってか!?」
リーダーであるケヴィンが叫び返す。しかしウォーデンは一歩も引かない。
ここで引けば死体が増えるだけだと分かりきっているからだ。
「力量差がわからないお前らじゃねぇだろが!!! コイツはオレが絶対に殺してやる! だから……堪えてくれ!」
「……ケヴィン。【炎槍】の言う通りだ。まずは落ち着け」
気色ばむケヴィンをヴィレムが嗜める。
しかしヴィレムも冷静というわけではない。握った拳からは血が滲み、地面にポタポタと垂れていた。
冷静を取り繕っているだけだ。
それがわかったのかケヴィンは顔を歪め、地面を蹴り飛ばした。
「クソがっ!」
ケヴィンもS級冒険者だ。
頭ではわかっていたのだろう。だから内心の怒りを押し殺し、無理矢理に呑み下す。
「……頼む。ニルクの仇を取ってくれ」
「……あぁ。任せろ」
ウォーデンが心胆寒からしめる声音で呟いた。
今の今まで戦場を共にしてきた仲間が殺されたのだ。ウォーデンも心中穏やかではない。
「……シル。……わたしはいい。……ウォーデンの方に加勢して」
「ワオン!」
シルが吠えると、ウォーデンの元へと駆け出す。
カノンも決して余裕があるわけではない。しかし必要だと判断した。
「……ミコラは私の上、グランはウォーデンの上へ。……鴉たちは前線で魔物を殲滅。……行って」
カノンが矢継ぎ早に命令を下す。
それに従いミコラがカノンの頭上に戻り、グランがウォーデンの頭上へ移動した。
既に五十羽を超えた鴉たちも【煌夜】を追うようにして前線へと向かう。
「……何がおかしいの?」
カノンは永遠と嗤い続けているバケモノへと漆黒の大鎌を向けた。
バケモノは答えない。ひたすらに哄笑を響かせるのみ。だからカノンはつまらなそうに呟く。
「……そう。……なら、もういいよね?」
カノンが大鎌を構え、振るう。
刃先から放たれるは触れるだけで死を齎す漆黒の斬撃。
しかしバケモノは動かず、僅かな動揺さえも見せない。当然、避ける素振りもない。
斬撃がバケモノの身体に触れ、弾けた。
それでも尚、バケモノは動かない。まるでなんの痛痒も感じていないかの様だ。
流石のカノンもこれには驚きを露わにした。
……もしかして生物じゃない?
そんな考えがカノンの頭を過ぎる。
生死の概念が無いのであれば死を齎す斬撃であろうと意味がない。
普通ならばあり得ない事だ。しかし使徒という埒外の存在を直接目の当たりにしているカノンはあり得なくは無いと感じていた。
……なら!
カノンは手のひらを前に出し、魔術式を記述する。
――呪属性攻撃魔術:呪腕千葬
バケモノの足下が暗く澱んでいく。
やがて姿を現したのは深淵を思わせる黒き孔だ。そこから青白い腕が無数に出現し、孔の中へ引き摺り込もうと迫る。
するとバケモノが初めて動いた。後ろに下がったのだ。
無数の腕がバケモノを掴むべく追い縋る。
「キヒッ!」
そして次の瞬間、後退していたはずのバケモノがカノンの目の前に現れた。
「……っ!?」
カノンが目を見開く。
速いどころではない。カノンですら目で追う事が出来ない程の速度だ。
呪界の中に侵入したバケモノの身体が紫色に変質していく。
侵入した者を問答無用で死に至らしめる呪界。その例外は術者であるカノンだけだ。
しかしバケモノは意に介さず。
細長い腕をさらに細く尖らせ、カノンの心臓を貫くべく突きを放った。
その速度はまさに神速。数多の呪いで動きが鈍っているのにも関わらず技の冴えに曇りはない。
「……くっ」
カノンは迫り来る腕を避けようと咄嗟に身を捻る。
だがしかし、カノンは後衛の魔術師だ。近接戦闘能力は高くない。
次の瞬間、バケモノの腕がカノンの肩を貫いた。




