第7話 「獣臭くするんじゃねぇぞ」
「5名か、1部屋でいいか? 」
その集落は遠目で見たより大きかったものの、そんなに大きくない宿屋が1軒しかなかった。
ボクはてっきり、1人1部屋かと思っていたけど、そんな事をするとあっという間に路銀が尽きる、とリナに言われ、宿屋の主のおっさんの言うがままにする事にした。
「じゃ、食後の果物はどうする? ラズとフィーがあるが、どっちだ? 」
おっさんはボクたちに色目を使いながら尋ねてきた?実に気持ちが悪い。
しかし、サービスのようなので、無碍にせず、彼の好意に甘えようと考えた。
この季節、赤くて甘いラズが良い感じになっているので、ボクは「ラズで」と言おうとしたら、リナに口を押えられた。
「5人全部、フィーで」
「ああ、フィーか………、2階の3号室だ」
リナは慌てて答えると、おっさんはため息をついて、つまらなそうな表情を浮かべて、ボクたちにカギを投げるようによこしてきた。
「無礼な」
このおっさんの態度にコレットがむすっとし、爪を出してて怒りを表したが、ボクは彼女の背中を撫でて何とか落ち着かせた。
「揉め事を起こしちゃダメ」
「………承知いたしました」
ボクの言葉に彼女は爪を引っ込めてくれたが、おっさんを飛び掛からんばかりの勢いで睨んでいた。
「さ、行きますよ。食事は1階の食堂で良いんですよね」
剣呑な雰囲気になりつつあるボクたちをリナは急かすようにその場から部屋へと移動させた。
「若………、お嬢様、先ほどの果物のチョイス、ヤバかったですよ」
部屋に入って荷物をおいて一息つくと、リナが真剣な表情でボクに言ってきた。
「でも、茶色くて甘さ抑え目のフィーよりラズの方がおいしいと思うんだけど」
「そうですよ。フィーはどちらかと言うと地味と言うか、皮を剥きにくくて食べにくいですよ」
シュマもラズの方が良いとリナに訴えた。それを聞いて、リナは首を横に振った。
「これは習慣と言うか、符丁と言うか、そういうモノで宿屋や酒場で店主から最初に飲み物やデザートについて聞かれた時、赤い方を選ぶと身体を売ると判断されます。宿屋の場合、そう言う仕事の者がいると他の宿泊客や宿のある地域の人に宣伝します。と、言っても大っぴらではなく、看板に赤いモノを取り付けると言う符丁になりますがね」
「私もラズが良いと思っていたのですが………、その話からすると」
コレットが尻尾をぶわっと逆立ててリナに確認すように言った。ボクに尻尾があれば多分、コレットと同じ状態になっていると思う。
「そうです。ジャグは幼いから別として、あたしとコレットとシュマは確実に対象になりますね。田舎だとその手の商売の人が来る機会が少ないですから、尻尾のある、なしは気にされません。お嬢様も多分、対象になりますね。そして、この中で一番の高値になりますよ」
ボクの中の益荒男が恐怖の悲鳴を上げた。
リナの言葉にボクは青ざめるしかなかった。本当に危機一髪だった。
「じゃ、お金に困ったらロスタお姐ちゃんに頑張ってもらったらいいんだね」
ジャグが無邪気に恐ろしいことを口走った。
「絶対に、頑張らない」
ボクは間髪を入れずにジャグの言葉に反対した。
ボクにとって、そんな事態に陥ることは恐怖以外の何ものでもない。
男として経験していないのに、いきなり女として経験するなんて悲劇でしかない。
だから、もしお金に困ったら、逃げることを第一にする事をボクは心に誓った。
「お嬢様が頑張れなかったら、あたいが頑張る」
ジャグが純粋に皆の事を気にして、トンデモないことを口にしたが
「ジャグが頑張る必要はないから」
ボクは咄嗟に彼女の申し出を断った。そんな事、絶対させるわけにはいかない。
ジャグだけじゃない、コレットもシュマもリナにもそんな事はさせない、ボクの中の益荒男が悲鳴を上げつつも断言していた。
「食事の前に、さっと身体を洗いたいですね」
コレットが辺りの臭いを鼻をひくひくさせて拾うと、シュマとリナを見つめた。
「ここにお風呂の設備はあるのかな? 」
シュマが自分の臭いを確認しながら、リナに尋ねたがリナは肩をすくめた。
「これぐらいの規模の宿には無いことが多いんだよね。無いとは思うけど聞いてくるね。期待しない方が良いよ」
リナはシュマにそう言うと部屋から出て行った。
「お嬢様、私たちワイルドなスメルになってますか」
シュマが自分の身体の臭いを確認するように嗅ぐとボクにすまなそうに聞いて来た。
「全くしないと言えばウソになるかな、ぼくも臭っているかな」
ボクもシュマと同じように臭いを嗅いでみたけど、臭いとか以前に自分の体臭に違和感を感じていた。
【これが女の子の匂いなのかな? 】
と、ボクは考えたが、常に近い距離にシュマとコレットがいたが、彼女らの匂いとは異なるように感じられた。多分、獣人と人の差なのだろうとボクは勝手に納得した。
「やっぱりお風呂はなかったよ。でも、裏庭に井戸と桶があるからそれ使っていいって。見てきたけど、ちゃんと囲いがあるから大丈夫だよ」
風呂の設備がないことをリナが告げると、シュマがシュンと萎れてしまった。
「さっと汗と汚れを流さないとね。皆で先に………、だよね」
ボクはリナたちに先に水浴びしてる様に促したが、今までの経験上そうならなかったことを思い出して、流れに任せることにした。
裏庭の隅っこにポツンと鶴瓶の付いた井戸とバケツ、その近くに板で囲ったスペース、その中に大きな桶が一つ。
「私たちが、水を汲んできます。お嬢様はそこでのんびりしていてください」
コレットはそう言うと、シュマと一緒に井戸から水を汲むとバケツに注ぎバケツリレーのように、大きな桶に水を満たして行った。
「あたしも手伝うよ。お嬢様、ジャグをお願いします」
リナはジャグをボクに預けてバケツリレーに加わって行った。
「これ、冬だったら大変な事になっていたよね」
3人がかりで一杯にされた桶の近くの脱衣籠に着ているものを入れて、ボクは身体をタオルでゴシゴシ洗っていながら毛皮にブラシをあてて洗っているシュマに話しかけた。
「そうですよー、いくら毛皮があっても濡れていたら寒いですよ。あ、若………お嬢様、それはダメですよ」
シュマは身体を洗いながらボクを見るとブラシを置いて、ボクの手を掴んだ。
「え、なに? 」
シュマの行動に驚きの声を上げていると、コレットもボクに近寄ってきて顔をしかめた。
「毛皮のない人が乱暴に洗ったら皮がキズキズになります。もっと優しく丁寧に洗うモノです」
コレットはボクの手からタオルを奪い取ると、シュマは背後からホールドしてきた。
いつもの状態である。もうこうなったら、まな板の上のカープである、煮るなり焼くなり好きにしろ状態である。
「ううう………」
煮たり焼いたりされた、何度されても慣れない、慣れたら終わりかも知れない。こうやって洗われるごとにボクの中の益荒男が小さくなっていくように感じられる。いつか、汚れと一緒に洗い落とされるのではないかと不安になってくる。
ボクの中に益荒男がいなくなった時、ボクは身も心もシドレからロスタになるのだろう。
仕方ない事かも知れないけど、簡単には受け入れられなかった。
男としてのアイデンティティーが失われつつあることを噛みしめながらボクは彼女らの後について部屋に戻った。これでやっと食事にありつける、そう思っていた。
シュマとコレットが櫛だとかブラシを取り出すのを見た時、食事はしばらくお預けになることをボクは覚悟した。
「これで、人前に出ても大丈夫です。お嬢様の御髪が乱れたままと言うのは、侍女の落ち度ですから」
すました顔でコレットは言うと、さっさと自分たちの身なりを整えだした。しかも、リナに至っては、ジャグの身なりを整えながら、身体全身にブラシをあてて乱れを直すという神業を見せてくれた。
ボクはそんな彼女たちをベッドに腰かけながらぼーっと眺めていた。
「ん? 」
ボクは、腰掛けているベッドのシーツに視線を向けると、思わず腰を上げた。
「このシーツ………」
ベッドにかけてあるシーツが洗濯されたのは多分、ここの主人のおじいさんが子供の頃だったのだろう。シーツがアヤシイ柄になっていた。
「リナ、これって、大丈夫かな………」
ボクは不安にって、この中で一番旅慣れていると思われるリナに尋ねた。
「そうですね。少しナンだかなーですが、大丈夫です。臭いも酷くないし、虫もいません」
リナはにっと笑ってボクにサムズアップしてみせた。
多分、問題ないんだろう。そう信じることにする。
「おい、ちゃんと身体洗ったよな。食堂を獣臭くするんじゃねぇぞ。ちゃんとブラッシングしたよな、部屋を毛だらけにされると掃除が面倒なんだよ」
食堂に入るなり宿屋の主であるおっさんが不機嫌そうにボクたちに唸ってきた。
「それが、客に対する態度っ」
おっさんの態度に思わずボクは言い返そうとしたが、またもやリナに口をふさがれた。
「ええ、気を付けますよ。出来れば、私たちが抜け毛を気にするような寝具にして頂きたいものです。旅用の携行食糧3日、5人分お願いしますね。中身はお任せします」
リナはにこりとしながらおっさんに言うとテーブルに着いた。暫くすると、メニューを聞いてもその料理が何なのか分からない、ただ何かを煮込んだモノが太ったウェイトレスが仏頂面のまま乱暴に置いて行った。
「シュマ、コレット、言っておくけどあたしら尻尾持ちに対する態度なんて、アレが普通だと思っておいた方がいいよ。貴女たちはブッコワース家の使用人って立場があったから、今まであんな目に合わなくて済んだだけ。一々腹を立てていたらやっていけないよ」
あまりおいしくない食事の後、部屋に戻るとリナが真剣な表情でシュマとコレットに言い聞かせていた。
「でも、臭いとか毛を落とすなとか、あんな言い方しなくていいのに」
「礼儀がなっていません」
シュマとコレットは宿のおっさんに対して憤っているようであったが、シュマとコレットがボクの専属になった理由の一つがこれであった。本来、侯爵の長男なら専属は人であるべきで、尻尾の生えた人を専属にすると言う事は珍しい。幼いころから気心が知れていると言う事が、彼女らが専属になった一番の理由だが、それ以外にボクがブッコワース家の中で冷遇されていることを周りに知らしめることもあった。
「辛いかも知れないけど………、耐えられなかったら館に戻っても良いよ。ボクの姿が変わったことを報告したらキツイお咎めもないと思う」
ボクは憤っている2人にこれ以上不快な思いをして欲しくなくて、彼女らを帰そうかと考えた。
「そうですよー。シドレ様にお仕えするのが私たちの幸せなんです」
「シドレ様のいないお館に何の魅力があるのですか。筋肉以外に興味のない人たちに仕えろと仰るのですか。私たちの事を心配されているなら、あんなおっさんの言葉なんか屁でもありません。帰れと言われても、憑いて行きます。猫は執念深いんです」
シュマもコレットも帰る気なんて、毛頭ないことをボクに教えてくれた。
「あたしも、お館のある街に戻るつもりはありませんよ。行商人としてお嬢様を支えていきます。この旅はきっと商人としてあたしを成長させてくれると思っています」
「おいらは、ロスタお姐ちゃんと一緒だけでうれしいよ」
リナとジャグはにここにしながらボクを見つめてきた。その視線に思わず目をそらしてしまった。
ボクは、彼女らの思いに応えられるのか、責任と言う錘が、がしっと両肩に圧し掛かってきたように感じられた。
「そう言ってもらえると、有難いし、がんばろうと思う。リナたちには儲けてもらいたいし、ボクらも傭兵として十分に食べて行けるようになりたいし、できれば商売をして安定した生活、シュマとコレットには幸せな家庭を築いてもらうのがこれからの目標かな」
ボクはちょっと考えてから、ボクの考える未来を話した。
「シドレ様のいない所で儲けても意味ないです。シドレ様御用達じゃないとあたしが成功したことにならないんです。商人のすべてががシドレ様の御用達に憧れるようにならないと意味がないんです。そのためにも、この旅でロスタお嬢様の伝説を作り上げていくんです。この宿でのぞんざいな扱い、空腹、その他諸々の不快な事は未来への投資なんです」
リナが何か壮大な事を言いだし、こぶしを握り締め妙なオーラを放っていた。
「私たちの夢は、シドレ様の第一夫人。これ以外あり得ません」
シュマとコレットがハモるようにボクに向かって宣言した。意志の強固さは認めるけど、臨機応変という言葉も時として必要だと思うよ。
「ジャグの夢はロスタお姐ちゃんとずっと一緒にいること」
それぞれが大きすぎたり、如何なモノかなの夢を語る中、ジャグが一番現実的で、そして嬉しい事を言ってくれた。
「うん、皆それぞれ夢があるのは良いと思うよ。うん。ボクもジャグと旅ができるのが嬉しいよ」
ボクがそう言うと、ジャグは満面の笑みを浮かべて抱き着いてきてくれた。これが一番ほっとするし、下心が見えなくて安心できる。
「はしゃいでいる所、ごめんなさいね。明後日ぐらいには目標のナンガの街に到着できると思います。明日からは山道になりますので、体力を蓄えておいてください」
それぞれが夢とも妄想ともつかぬことを口走っている中、リナがふと正気に戻って明日からの事を話しだしした。この辺りの切り替えが早いと言うか唐突なのがリナの凄い所だと思う。
「皆、疲れが蓄積していますからね。ジャグちゃんにも疲れが見えて来てますから、今日はさっさと寝たほうが良いですね」
コレットがボクに抱き着くジャグの頭を撫でながら言ってきた。
「シーツが気になるけど、外で寝るよりマシだよね」
シュマが年月と様々な使用者によってアヤシイ柄に染め上げられたシーツを撫でて、小さいため息をついた。
「キツネのねぇちゃん、注文のモノもってきたぞ」
ボクたちがベッドに入ろうとした時、ドアが乱暴にノックされ、宿のおっさんが声をかけて来た。
「分かった。開けるよ」
リナが面倒くさそうに答えると、ボクたち傭兵組はさっと武器を手に取った。
「コレット、窓からの侵入に警戒、シュマ、正面から来たら押しとどめる、数が多かったり、手練れがいれば逃げる。皆、最低限の荷物を持って逃げられるように」
ボクはいつでも剣を抜けるようにして、小声でコレットとシュマに命じた。
「ジャグはベッドの影に伏せて」
「うん」
ジャグは素直にベッドの影に入ると伏せてくれた。
リナがボクたちの準備が整ったことを確認すると、そっと扉を開けた。
「食料、3日分だ。で、値段だが」
おっさんは廊下に食材の詰まった籠を置いて、早速値段の交渉に入ってきた。
ボクたちはおっさんの背後に人の気配は無いかと探ったが、そこに居るのはおっさんだけだった。
「大銀貨1枚と中銀貨5枚だ」
おっさんは籠を見ながらリナに希望額を伝えた。
「うーん、どれも小ぶりだし、加工が甘いみたいだし………、大銀貨1枚かな」
リナはしゃがみ込んでじっと籠の中身を見ながら値踏みしていた。
「おいおい、冗談はやめてくれよ」
リナは籠の中身を見るためにしゃがみながらくるりと回り込んだ。
その時、リナのスカートがめくれた。
「!」
おっさんは目を丸くしてから、にやけた表情になった。
「そうか大銀貨1枚か………」
おっさんの視線はリナのスカートの中に釘付けになっていた。それを知ってか、知らずかリナはさらに際どい姿勢になった。それ以上すると、多分大変な所まで見えると思う。
「これが大銀貨1枚かー」
リナは同じ台詞を繰り返しながら、おっさんを上目遣いで見つめた。その時、そっと胸元をちょっとはだけさせた。
「しかたねーな。中銀貨9枚だ、これ以上は負けられん。どうだ」
おっさんはニヤニヤしてそう言うとリナに向けて手を差し出した。
「商談成立っ」
リナは立ち上がっておっさんの手を握ると、財布から中銀貨9枚を取り出しておっさんに渡した。
「奥のねぇちゃんたちに言っておいてくれないか。客は来ないってな」
おっさんは銀貨をしまってそう言うと手を振って階下に降りて行った。
「行きました。外に人の音はしません」
コレットは耳を動かして音を拾い集めながらボクを見つめた。
「もういませんよ。リナさん早く部屋に入って、カギをかけましょうよ」
シュマがドアに手をかけてリナに催促していた。
「じゃ、これ片方持って、荷造りは明日の朝、着替えてからにしましょ。洗濯はナンガについたら行商人用の宿でできるから、それまで我慢してね」
リナはシュマと一緒に食料の詰まった籠を部屋の中に運び入れるとドアを閉め、カギをかけた。
それを見て、シュマは少し安心したようで、ほっと一息ついていた。
「何をそんなに怖がっているの。シュマって下手な騎士団員より強いでしょ」
妙に神経質になっているシュマにコレットが呆れたように声をかけた。
「私たちが、商売女みたいに思われて、部屋に男の人が入ってきたら怖いじゃないですか」
シュマはブルっと身を震わせた。
「気にしすぎだって。宿屋の主が客をだましたり、嵌めたなら重罪になるのよ。被害者が生きていて、訴え出ることができればね」
「それって、何も気やすめになってないと思うけど………」
リナの言葉にシュマはますます不安を大きくした様で尻尾を巻いてしまいそうな勢いだった。
「何かするんだったら、ボクら全員を始末するぐらいの勢いが、人数が必要だから、獣人の耳をかいくぐって襲うなんてできないよ。シュマたちに何かしようとした奴がいればボクが許さないし、指一本触らせない………つもりだよ」
ボクはシュマを安心させるためと、自分の決意を固めるために言ってのけたのだが、自分の中で「本当に出来るのか」って自問した途端、ちょっと弱気になってしまった。
言い訳ではないけど、ボクは彼女らを守るためなら、自分の持っている力を全て注ぎ込むことができることは嘘じゃないし、覚悟している。多分。
貨幣の価値として
小銀貨=100円、中銀貨=1000円、大銀貨=10000円
金貨=10万円
程度の価値です。
大金貨なる硬貨もありますが、1枚でおおよそ100万円の価値です。
小銀貨以下は銅貨で、1枚10円程度です。