第4話 「シドレを捕獲しなさい」
俺はダグ・ブッコワース、8歳、ブッコワース家の次期当主となる男だ。
順当にいけばだがの話だが。
俺には、シドレっていう情けない兄貴がいる。
この兄貴と俺は腹違いの兄弟だ。アイツの母親は俺が生まれる少し前に死んでしまった。
世間的に、俺の生まれた時期とアイツの母親が死んだ時期に問題があるようだが、それについて家令のナグスに聞いた所「お生まれになった時期の問題と言うより、お館様の性格の問題でございます」と説明を受けた。
俺は、子供だから、その辺りは良く分からない。
そんな問題の張本人の父上が落馬により、足を壊してしまった。しかも、治りにくい膝、その上ご丁寧な事に両方なのだ。
滅多に落馬する様な人ではないのに不思議な事もあるものだ。
父上が安静にしろと言われているにもかかわらず動き回ろうとするものだから、ベッドに縛り付けられ、安静剤なるものを与えられて、一日中うつらうつらしている状態にされている。
三度の飯より好きだった筋トレもしなくなっていた。
子供の俺でも父上が仕事もせずにずっと筋トレしかしていないことに疑問を持っていたが、それが父上の仕事だと無理やり思い込むことにしていたが、その筋トレすらしなくなったら、当主としての価値はどこにあるのだろうか。
父上が大怪我をしたと聞いて母様と医務室に入ると、父上はまるで怖い話に出てくるミイラ男みたいに包帯で身体を固められていた。
あんな頑丈な人が、と俺は聊かショックを受けた。しかも膝を壊している。膝は鍛えるのは中々難しい部位だ聞いている。
俺はどうやって膝を鍛えようかと考えていた時だった。
「父上っ」
兄貴が医務室に入ってきてそう言うとベッドに縋り付いた。
この兄貴、ブッコワース家にあるまじき優男だ。体の線は細いし、剣を握っているより、書物を読んだり、なにやら書き物をしたりするのが好きと言う信じられないようなヤツである。
そいつが、遅れてやってきて、ワザとらしい動きをしてのけたのだ。
俺はムカついた。
「父上がこんな事になっているのに、兄貴はのんびりしている」
思わずヤツに言ってしまった。これに対して誰も文句は言わなかった。
ヤツは俺の言葉を聞き流し、医者どもとなにやら話し込んでいた。
その時だった。
「マグナ様がこのようになられたからには、当面このブッコワース家は私が守ります。シドレもダグもまだまだ幼いですから」
母様が凄い事を言いだした。勿論、俺に異議はない。
「俺は、母様の言葉に従う」
俺は反射的にそう答えた。母様の言う事に間違いはない。
問題は兄貴だ。その兄貴も
「継母様のお言葉とおりに」
と、何も反論せず、母様の言葉に従った。
それにしても、父上に何かがあれば、ブッコワース家を継ぐのは兄貴になる、これは子供の俺にも分かる。
面白くない、と。
母様も同じらしく、兄貴を嫌悪のこもった目で睨みつけていた。
その視線にやられたのか、父上の状態にショックを受けたのか、アイツは優男らしくその場に崩れ落ちやがった。
それを見た俺は確信した。こんなヤツにブッコワース家を継ぐ能力はない、次期党首は俺なるべきだと。
そんな兄貴が姿を消したのは父上が怪我をしてから3日ほど経ってからだ。
厳密にいえば、アイツが姿を消したのを知った時だが。こんな細かいことはどうでもいい。
問題は、アイツが生きていると言う事だ。これは、物理的に生きているから困ると言う事ではない、ブッコワース家の次期当主として権利が生きていると言う事だ。母様に教え貰ったことだけど。
「シドレを捕獲しなさい、アレが自由にウロウロしていると、安心できません」
兄貴がいなくなったのに気づいてから、まる一日たった時、母様がもっとも信頼できる部下を呼び出して命令していた。
なんで1日もかかったか、その日は騎士団の統一錬成日で、館の人間も全員参加するからだ。
ブッコワース領の上流階級では何より身体を鍛錬することが美徳なのだ。
だから、1日かかったのも仕方のないことなのだ。
命令を受けていたのは、ブッコワース騎士団の次期副団長候補と噂されている、ガド・シウスだった。
こいつは、日々の鍛錬を怠らない俺から見ても異常なヤツだが、母様のお気に入りだった。
コイツの異常性は、その格好ですぐわかる。
身体全身を筋肉の鎧で包み、それを見せびらかすようにパンツとブーツしか身につけていない。その素肌の上に胸鎧などをつけているのだから、夜道で遭遇したくないタイプだ。
こいつは、父上にも勝るとも劣らない剣の腕と体力を持っていたが、父上に勝っている所が一つあった。それは、ガドは自分の名前と住所を書くことができるからだ。
これは、公然の秘密であるが、父上は幼少の時より体を鍛えることにしか興味がなく、基本的な勉学をどこかに忘れてきた人だった。これで、この領を動かしてきた………、と思われているのが凄い所だ。
俺は8歳だが、読み書きも計算もできる。この点では父上をはるかに凌駕していると思っている。
「シドレ様を捕獲、了解しました」
ガドはその場で力強くそして美しいダブルバイセップスで母様に彼なりの敬礼をしてみせていた。
母様は彼の鍛え抜かれた肉体をうっとりと眺めていた。
俺も、鍛錬していつかあのように美しくなってやる。
「若様、見てくださいよー。これで見た目は確実に傭兵ですよー」
シュマは胸鎧と剣を佩いて旅道具と商品の入った背負子を背負った姿を家の前でボクにくるりと回って見せてくれた。
遠心力は考えてやろうね。黒いのが見えたから、と言うか黒だったんだ。
「シュマ、はしたないですよ。これから、斬った貼ったの命やりとりが続くんです。浮かれていてどうするんですか………。ま、若様を身を挺して護って、その腕のなかで見取られるのは私に決まりです」
シュマと同じようないで立ちのコレットが何かとても不穏な事を口にしているけど、ここはスルーしよう。
「若様のために命を投げするのは私の役ですよ」
「いいえ、これは譲れません」
これは、どちらがボクの子どもを産むかで揉めるよりマシなことなのかな、でも死ぬことを前提で揉めるのは止めてほしい。
「旅立ち前に縁起の悪い話はしないように。神様にそれがお願い事だと思われますよ」
白いのと黒いのが言い争っている所にリナが割って入った。流石、商人、対人スキルが………。
「若様の腕の中で、最後の時を迎えるのはあたし以外はあり得ません。若様を悪党の放った矢から護って………」
なんでそこでうっとりした表情を浮かべるのだろうか。解せん。
「先に死んだら、若様と一緒になるのは他の人になるのかー」
誰が死ぬかで、餌の取り合いのように騒ぐ彼女らにジャグが冷静に言い放った。
「そうでした」
「迂闊でした」
「盲点、でも記憶に残る女になれるかも」
ジャグの一言で皆漸く冷静になってくれた。ジャグに感謝。
「これから、ナンガの街に向けて前進する。お金は節約したいから、余程の事じゃないと野宿で行くよ。馬車は目立つから売り払ったけど、そのお金は少しあるけどアテにしないように」
ボクはシュマとコレットにしっかりと言い聞かせた。彼女らは優秀なんだけど、一度に何かのはずみがつくと止まらなくなるから。そのいい例が僕の今の姿だ。
胸には厚皮の胸鎧をつけて、皮手袋に厚手の上衣、色はくすんだ群青色と言うところまではいい。下は膝頭も隠れないようなスカート、頭は、鬱陶しいので切りたいと言っても聞いてもらえず、腰まである髪を編んでまとめている状態だ。こっちか少しでも気を抜くとリボンやらなんだかんだが追加される勢いである。
「若様、その格好にあっているよ」
ボクの心境を察してくれているのかいないのか、ジャグが無邪気にほめてくれている。
そのジャグも、ボサボサの赤毛を綺麗に梳かして跳ねない様に可愛らしいカチューシャでまとめ、服装もワンピースに厚手のエプロンとどこから見ても女の子の恰好になっている。
リナから聞いたことだけど、ボクが彼女の事を男の子だと思っていたことが随分とショックだったようだ。あれから、ジャグはリナに頼んで女の子らしい服などを買ってもらったらしい。
「ジャグ、可愛くなったよ」
「若様も可愛い」
別にボクは可愛くなくても良いんだけど、それに可愛いと言われるのはとても抵抗感がある。
スカートにも慣れていないぐらいなんだから。
ボクたちがサックの街を出ようとしたのは、商店や商工会が店を開く準備をしている頃だった。
「この男について見た者はいるか? 知っている者はいるか? 」
街の門に向かっているボクたちは広場で大声を張り上げているのがいた。何気なくその声の主を見るとそこには、パンツ一枚に防御部位の小さい鎧、そしてそれらを弾き飛ばす勢いの筋肉があった。
「シウス様ですよ」
コレットが嫌そうな表情を浮かべ、尻尾をぶわっと膨らませながら小声で話しかけてきた。
「人相書きを持ってますよ」
シュマが心配そうな表情を浮かべて、そっとシウスの方向を見た。
「見た目が大きく変わったから、その点は心配いらない、と思う」
ボクは自分に言い聞かせるよう呟くと、シウスが何をしでかすかじっと見ることにした。
「この者、シドレ・ブッコワース、我らが領主マグナ・ブッコワース様の嫡男にありながら、我らが領主様を亡き者にしようと企み、大怪我を負わせ、現在、逃走中である。この不埒者を召し捕らなくてはならぬ。生死を問わす、捉えた者には金貨10枚、有力な情報提供には金貨3枚。特に働きが著しい者には、俺様の大胸筋に触れることを許してやる」
シウスは演壇の上で文節ごとにポージングしながら吠えていた。彼に付き従ってきたお付きの騎士たちは彼がポージングする度に「大きい」とか「切れてる」とか掛け声をかけていた。
「うーん、金貨10枚かー、人生を棒に振るには安すぎますね」
リナは腕組みしながら呟いていた。ひょっとしたら金額次第では突き出すってことかな、とボクが思った時、シュマとコレットが低い唸り声を上げた。
「じ、冗談ですよ。私がするわけないでしょ、それにこんなに姿形がお変わりになっているのにどうやって本人だと証明するんですか」
リナは、慌てて言葉を撤回した。その時、シウスがトンデモない事を言いだした。
「シドレは、変装しておるかもしれん。しかし、ヤツの左の掌は横一文字に刀傷がある。これが目印だ」
ボクは思わず自分の左手を見た。小さくなって、指も細くなっているが、父上に浸けられた刀傷は見事に残っていた。
「これは、隠さないとダメだな」
ボクはそっと皮手袋を取り出すと左手にはめた。
シウスの周りに集まった人たちは、彼の事を領主からの使いとは思わずに大道芸人だと見ていた人が多かったみたいで、彼がひとしきり話し終えた後、あちこちからおひねりが飛んできていた。
「さあ、行こうか」
ボクはポージングする度おひねりを投げられてるシウズを傍目にこの街から出て行こうとした。シウスは既にここに来た本来の目的を忘れているようで、彼が他の事に気を取られている今がチャンスと踏んだからだ。
「嬢ちゃんたちだけかい? 」
街の門から出る時、門番の衛士が心配そうに声をかけて来た。
ボクはそんな彼に、精一杯の強がりの笑みを返す。
「ええ、大丈夫です。では、ごきげんよう」
ボクは出来るだけ、設定の通りに振る舞う、もし、ここでぼろを出すようでは先々不安しかないし、そうならないためにも、今から練習しておく必要があるから。
ボクの後ろで全員が必死で笑いをこらえている気配がしたが、ここは華麗にスルーすることにする。
淑女はそのような事で、いちいち目くじら立てたりしないはずだから。多分。
「若様、もうお館の方は気づいて行動しているようですね」
街から出て暫くするとコレットが辺りの気配を伺いながら話しかけてきた。
「気づかれていない、あの巫女様が金に目がくらんだら分からないけど」
ボクは、あの俗にまみれた巫女を思い出すと、少し不安になった。
「若様、それは大丈夫ですよ。もし、あの人が、畏れながらと、言いだしたところで過去にやってきた事を全部明らかにすることになるんですから、そんな危ないと言うか、自殺行為は普通の知能がある生物ならしません。もし、したとしたなら、彼女は知的生命体ではありません」
リナはボクの心配が杞憂だと溌溂と否定した。彼女の言うように、あの巫女さんが知的生命体で泣ければ、教会の運営なんてできないはず、でも、あの寂れようは、不安の影が心の中をよぎったが、敢えてそこは考えないようにした。
「そうだと、いいね。あの人も、多分、馬鹿じゃないだろうから」
ボクたちは談笑しながら、ナンガの街に向けて街道を進んで行った。
街道は馬車での移動にはキツイが歩くことにおいては問題はなかった。
しかし、歩いてみて分かることがある。
路肩の崩れ、道の凸凹、読めなくなって、空を指している道標、馬の落とし物(鮮度がいい)などが歩いていてわかった。
「酷い道だね」
「この辺りは比較的マシな方ですよ」
ボクの感想に旅慣れたリナが首を振って答えてくれた。ここでマシならヒドイ所はどうなっているのか、想像したくない。
「若様、ナンガの街から出たら、ヒドイ道になるよ。リナ姐ちゃんと行った時、水たまりだらけだったよ」
ジャグ、正直な情報ありがとう、ちょっと心がくじけそうになったよ。
「どんな道だって、若様と一緒なら楽しい道だよ」
「若様を1人にはしませんよ。どこにでもつてい行きますよ。絶対楽しいですから」
シュマがのんびりと、コレットが目をキラキラさせ、彼女らの思いを僕に伝えてくれた。
何もないボクにはシュマの言葉がとても暖かく感じられた。
「ボクは、もう、貴族でも何でもない、逆に追われている身だよ。こんな僕に付いてきて、一緒に歩いてくれる人がいるなんて、幸せ者だよ」
実家からは追手がかかっているけど、ボクには4人も信頼できる人がいる。これは、いくらお金を積んでも手に入らない宝だとボクは思い知って、ちょっと涙ぐんでしまった。
「若様、如何なさいましたか? 」
黙り込んだボクを覗きこむようにしてコレットが尋ねてきた。
「目にちょっとゴミが入ったんだ。もう大丈夫」
ボクは泣きそうになっているのを悟られまいとコレットに元気よく答えた。
「私も好きな方にお仕えできて幸せですよ。この、コレット、いつでも若様に嫁ぐ準備は出来ています」
コレットが目を輝かせながらボクに迫ってきた。でも、重要な事を何か忘れているんじゃないのかな。
「嫁ぐも何も、僕は生物的には、コレットたちと同じ方だよ。下手すると、ボクがどこかの誰かに嫁ぐことになることもあるんだよ。考えたくもないけど」
「大丈夫だよ。若様、愛があれば大抵の事は乗り越えられますよ」
シュマはコレットが思い違いをしていると指摘するのではなく、斜め上、ある意味、弩直球なことを投げ返してきてくれた。
「愛があっても、子供は女同士じゃ………」
「気合があれば、イケます」
「がんばったら、何とかなりますよ」
ボクが言い終わらないうちに、彼女らはボクの気にしている事なんて小さいことだと言わんばかりに詰め寄ってきた。
気合で頑張ればなんとかなる、この発想は長年ブッコワース家に仕えて毒されたところから来ていると思いたい。
「根性で若様のお子様をお産みします。ご安心ください。何かきっとやり方があるはずです」
ブッコワース家の家臣じゃないリナですらおかしなことを口走ってきた。これは、ブッコワース領がもっている風土病のようなモノかなとボクは考えてしまった。
「そこの姐ちゃんたち、女だけで街道を行くなんざ、ちょいと不用心じゃないかい? 」
ボクが風土病についてツラツラと考えている時、いきなり道端の藪から野太い声がかかってきた。
「この辺りは安全だと聞いていたのに………、こんなお約束が発生するなんて」
緊張の色がリナの顔に色濃くにじみ出てきた。ボクは買ったばかりの細身の剣の柄に手をかけ、声のした方向を睨みつけた。
シュマは無言で柄に手をかけボクと同じ方向に全神経を集中させていた。コレットはボクの背後に回り込む者、伏兵がいないか耳をせわしく動かしながら探っていた。
「いいえ、このように護衛の傭兵を雇っています。お引き取りを」
リナは不安を押し殺し、感情を感じさせない事務的な口調で声のした方向に答えた。
「大人しくしてりゃ、怪我しないことは保証するぜ」
野太い声が笑いを含ませながらリナに答えると、藪の中から5人のむさ苦しい男どもが現れた。
連中は、いつ洗濯したか分からない汚れたシャツにボロボロの鎧、刃の欠けた剣を手にして下品な笑いを浮かべていた。
男だったから分かるが、あの笑顔は、この後ボクらに生物学的に卑猥とされる行為を働こうと
企み、想像だけが先走りしている表情だ。
「リナ、ジャグ、下がって」
ボクはそう言うと、すっと抜刀した。横目でシュマとコレットを見ると彼女らも無言のうちに抜刀していた。
「全力で脅威を排除する。手加減はいらない。手段も問わない」
ボクの言葉を合図にしたかのように、むさ苦しいのが一斉に襲い掛かってきた。