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逃走若様 道中記  作者: C・ハオリム
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第38話 「流石、ブッコワース唯一の文化人にゃん」

 それは、白い砂浜号に頑丈と根性の神、キ・アイから浮沈の加護を受ける際に起きた。


 「私は最近、リズムと食欲の関連について研究していてね。このタイミングでホイッスルを吹いて、その音に合わせて、持参してもらった弁当を食べてもらう。果たして食が進むか、満腹感はどうかなんかを後で聞かしてもらいたいんだよ」


 キ・アイは海軍の制服を身に着け整列しているエドモント・シヴィーたちに親し気に話しかけ、ホイッスルを彼に手渡そうとした。その時であった。


 「俺が吹く」


 キ・アイの手からさっとホイッスルを奪ったのはベンジャミン・スミスだった。

 彼の海軍での生活はみじめと形容するのが一番しっくりとくるだろう。かれはここに会した軍人の中で底辺ともいえる2等水兵、しかも海軍の制服が全く似合っていない寸詰まりで短足、顔面は遠縁に深海魚がいるのではないかと思わせた。これで性格が良ければ少しは救いがあったが、僻みっぽく、プライド高い、そのくせあと一歩で誰もが無能と認識するぐらいの能力の低さのおかげで部隊の中でも軽く見られているタイプだった。そんな彼の心は日々の生活の中で打ち身や捻挫で痣だらけで、脱臼したり骨折したため歪な形になり果てていた。



 「スミスっ、貴様、何を企んでいる」


 エドモント・シヴィーはベンジャミン・スミスからホイッスルを奪い返そうとしたが彼は器用に身をよじって躱した。


 「スミスっ、何をするつもりなんだ」


 「俺は、こんな生活耐えられない、だから、だから、何もかも滅茶苦茶にしてやるっ! 」


 彼は手にしたホイッスルを大音量で出鱈目に吹き鳴らした。その音は総合神殿の待合スペースにまで聞こえたと言われている。


 「多少の事は大目に見る私だが、これは………看過できない。とは言え、ちゃんと私の加護を受けるための料金も支払っているし、手続きにも問題はない。よって、君らには反転と無意味の加護、否、呪いかな、を授けてあげよう」


 キ・アイが右手を高く掲げると光がその手に集まりだした。


 「遠慮なく受け取り給えっ!!」


 その光がその場にいる全員に降り注ぎ、あまりの眩さにめを閉じた。


 「皆、大丈夫でござるかっ」


 目を開けたエドモント・シヴィーは部下たちの安否を確認した。そして、部下たちの姿を見て絶句した。

 「何なのでござるか………」


 彼が目にしたのは、スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗りと言った姿ではなく、頭身が妙に低くなり、丸っこく、そして気持ち悪くなった部下たちの姿であった。


 「見た目を反転させた。しかし、君らと君らの船にはそれなりの加護を与えた」


 キ・アイは冷たく言うと手にしていたバッグからハンマーを取り出し、有無を言わせずにエドモント・シヴィーの頭を思いっきり殴りつけた。


 「痛っ」


 エドモント・シヴィーは思わず悲鳴を上げたが、頭からの出血などはなく、絆創膏が貼られた巨大なタンコブができていただけであった。


 「無意味領域、この加護がある限り君らと君らの船には物理的に傷つくことない。この加護を返納したくば再びこの地に訪れなさい」


 キ・アイ様が多目的神殿から出ていくのを見送るとエドモント・シヴィーはがっくりと膝をついた。


 「あまりでござる。何もかも、ベンジャミン・スミス、貴様のせいなのでござる」


 涙目になりながらも糾弾するようにエドモント・シヴィーが指さした方向にはすらりとしたイケメンが呆然と立っていた。


 「俺は、一体………、それより俺って、俺は、俺は………」


 イケメンとなったベンジャミン・スミスはそう言うとその場に突っ伏して大声を泣き出してしまった。


 「姿が変わってしまって自我が崩壊したのでござるな」


 多目的神殿には歓喜に泣きわめくイケメンと呆然とたたずむ気持ち悪い連中がこれから先のことを考えながら絶望に打ちひしがれていた。




 これがボクの近くにいた気持ち悪いの一人がそっと教えてくれたことだった。


 「我々はこの見た目と敵の攻撃を無力する代わりにこちらの攻撃も無力化される無意味領域のおかげで海軍を追われ、海賊に身を落としたのでござ…………です。もう、十分に罰を受けたと思います」


 エドモント・シヴィーが恐る恐るキ・アイ様に話しかけると彼は難しい表情を浮かべられた。確かにあれだけの事をしでかしたのだからこんな表情になるのは当然だよね。


 「それでは、解呪の試練を説明しようかな。前回と同じようにホイッスルと弁当では芸がないからね。今回はこれだ」


 キ・アイ様は銀色の横笛と一束の楽譜をエドモント・シヴィーに手渡した。この譜面通りにいきなり演奏しろって試練なのかな、練習もしないで、いきなり演奏って無茶ぶりにもほどがある。譜面だけでどんな音楽かなんて譜面が読めないと普通は分からないからね。


 「これを演奏してもらいたい。私は慈悲深いから宮廷楽士並みの演奏は求めないよ。譜面通りに演奏するだけだよ。勿論、アレンジしてもらっても構わない。R&B風でもジャジーでも可だよ」


 随分とハードルが高い試練だよね。あの気持ち悪い連中は演奏できるのかな。もし、できなければ呪われたままなんだから、気楽に構えている訳にもいかないけどこっちができる事なんてないんだよね。


 「参ったのでござる。さっぱり分からないのでござる。誰か、音楽に明るいものはいなのでござるか」


 エドモント・シヴィーは楽譜と横笛を手にして困り果てているようだった。そして、彼が助けを求めるように差し出した手を握る人は誰もいなかった。


 「エルフって音楽とか得意そうだけど、実際はどうなの」


 傭兵の女性がさっきからずっと黙ったままのエルフの女性に尋ねていた。確かに森の中でハープや笛を吹いているエルフって何か絵になる気がするのはボクだけじゃないと思う。


 「よーくいるのよね。エルフってだけで勝手な想像をする人が、るふ。実際には音痴だっているし、弓がからっきしなのも不通にいるし、普通の人と同じ、るふ」


 エルフだからって特別視するのは良くないってことはなんとなく分かったけど、楽譜を手にしたエドモント・シヴィーが微動だにしていないことがとても気になる。ボクら解呪に関係することだからとても気になる。


 「一体どうしたんですか? 」


 ボクは歯を喰いしばって我慢しながら気持ち悪いの親玉のエドモント・シヴィーに近づいて尋ねた。


 「もう、お手上げでござる。拙者の部下に音楽に明るいものはおらぬのでござる。楽譜を見てもどっちが上か下かもわからず、この笛の吹き方もさっぱり分からないのでござる。呪いを解くことができず、誠に申し訳ないのでござる」


 彼は力なくボクに告げると深いため息をついて、楽譜を見せてきた。ボクが譜面を受け取りながらふとキ・アイ様を見ると彼は何故かニヤニヤしている。多分、誰も彼の試練を突破できないと踏んでいるんだろうな。


 「見せて下さいね」


 ボクは手渡された楽譜に目を通した。タイトルとか作曲者は全く表記されていなかったけど、全く知らない曲でもなく、それなりにポピュラーな曲だった。


 「大地母神メラニ様への賛歌の第二楽章「その御御足でお踏み下さい」ですね。皆さんもどこかで聞いてますよ」


 ボクは、キ・アイ様の試練に手も足も出せずに焦っている気持ち悪いの親玉のエドモント・シヴィーに楽譜に書かれている曲について説明してやった。普通、これぐらい分かるだろ? なにも難しい事じゃないのに。


 「え、これがそうなのか? じゃ、この笛も吹けるのか? 」


 ヤツはキ・アイ様から渡された笛を手渡してきやがった。ひょっとして演奏もしろって事なのか?


 「まさか、これで演奏しろって事ですか? 」


 ボクは思わず声をあげてしまった。この笛、低音域に定評のあるバスってヤツだ。でも、大地母神メラニ様への賛歌の第二楽章は高音域での咽び泣くような旋律がウリな楽曲だ。普通に知性のある演奏家なら絶対にチョイスしない楽器だ。


 「ふふ、そこの娘は気づいたようだね。まさに最悪の組み合わせだよ。この組み合わせを気合と根性で乗り越えられるかな。体育会系の気合と根性じゃないからね。知性の気合と根性を見せてもらうよ」


 キ・アイ様恐るべし、この方はブッコワース領のあちこちに転がっている脳細胞を筋細胞に置き換えた連中とは全く違う。この方はちゃんと脳細胞が脳細胞のままの人、と言うか神だ。その分、力業なんて通用しない、と言ってもボクに力業ができるほどの物理的な力はないけど。


 「少しでも、音楽を齧っていればこれがどれだけの事か分かるよね」


 キ・アイ様がニコニコしながらボクらを見つめている。随分といい性格をなさっておられる。


 「バスで第2楽章を吹奏する。ちょっと前に各地の演奏家がこぞって挑戦したんですよね。キ・アイ様、少々のアレンジはお許し頂けますよね」


 こう見えてもボクはブッコワースの男だ。難敵に尻込みするするような精神は持ち合わせていない、多分。


 「私が聞くに堪えないと判断したら呪いは解けないからね。前回はいなかったが、今回は特例として彼女の挑戦を認めよう。アレンジ? できるならいくらでもやっていいよ」


 キ・アイ様は鼻先で笑ってくださった。こんな小娘に何ができるって思っておられるんだろうな。しかし、言っておきたいことがある。ボクは好き好んで小娘をしている訳じゃないんだよ。


 「見てろよ」


 ボクの中の益荒男が久しぶりに仁王立ちになった。ボクは静かに呟くとそっとバスを手にした。


 「音程がズレていないか、調べさせてもらいます」


 「随分と用心深いね」


 キ・アイ様の態度は変わらない。なめて下さっているのが良く分かる。


 「お嬢様、ここで本気の気合を見せて下さいよー、わん」


 「我らに敗退の言葉ありません、にゃん」


 シュマ、気合が抜けた声で気合を見せろって、コレット、敗退の言葉ないって、そのもの自体が矛盾しているけど。ボクは彼女らの言葉を敢えて無視して笛にそっと息を吹き込み音を出した。


 「いい音、音程は狂ってない。では」


 ボクはキ・アイ様に一礼すると大地母神メラニ様への賛歌の第二楽章「その御御足でお踏み下さい」を吹き始めた。


 「な、なんと………」


 キ・アイ様がボクの吹奏を聞いて口をあんぐりと開けて驚いている。低音域が専門のバスで高音域が主体の曲を奏でることはとてもとてもテクニックがいる事だけど、曲をちょっとアレンジしてブルース調にして、このバスを咽び泣かせてやることぐらい、ブッコワース領の数少ない文化人のボクにとって造作ない事なのだ。そう、ボクの事をただの小娘と侮った報いなのだ。


 「如何でしたでしょうか」


 演奏を終えた僕はバスを両手に抱えてキ・アイ様にお辞儀をして見せた。


 「お嬢様、素晴らしいですわん」


 「流石、ブッコワース唯一の文化人にゃん」


 シュマとコレットが思いっきりスタンディングオベーションをしてくれている。筋トレしかしないあの館で鉄アレイやバーベルではなく笛だけでなく様々な楽器を手にしていたのは伊達ではないのだ。


 「お嬢様の演奏、お金が取れるレベルですよ。旅芸人として登録されても十分に通用しますこん」


 リナはボクのこの趣味を金に換算しようとしている。ボクの趣味が金儲けになるって読んだのだろう。食い詰めた時の金儲けの一助になるなら最悪その手もあることを覚えておこう。


 「見事な演奏だったよ。練習なしかつ適切でない楽器でよくここまで演奏できたものだ。いい意味で期待を裏切られたよ」


 キ・アイ様がニコニコしながらボクに握手を求めてきた。ボクもできる限りかわいいを発揮した笑顔で差し出された手を握り返した。


 「特例として彼女の働きによって君らの呪いを解こう。ベンジャミン・スミス君、君も前の姿に戻ることになる。名前の件でパニックなることもなくなるよ」


 キ・アイ様はそう言うとパンと手を打った。するとボクは体の中を涼風が通り過ぎたような感覚がして、視線も高くなったような気がした。


 「戻ってますよー。あ、語尾にわんがつかないです」


 「呪いが解けました」


 シュマとコレットが互いに姿を確認し、手を取り合ってその場で飛び跳ねている。


 「ひょっとして」


 彼女らの呪いが解けたという声に、ボクは元の姿に戻っているかと一縷の望みをかけマイサンの存在を確認した。うん、彼はいなかったよ。いなかった、いつもの事じゃないか。


 「安心してください。お嬢様の変化は魔法役の副作用ですから、呪いの類じゃないので可憐な姿のままです。ですから、かわいい下着もドレスも無駄になりません」


 リナがボクの心の傷に塩を、否、唐辛子を塗り込んできやがった。リナはこれを意識せずにできる、恐ろしい奴である。で、さっきの台詞も彼女は全く悪気がないどころか、ボクに対する何らかの好意から発せられている。これに一々突っ込むのはしんどいのでスルーすることにした。


 「おいら、ロスタ姐ちゃんのままがいいな。だって一緒にお風呂に入れるし、寝ることもできるんだから」


 ジャグ、君もボクが元に戻って欲しくないみたいだね。でも、理由がかわいいから許す、ことにする。


 「ルメラは、ロスタの前の姿知らないから、姿が変わるとルメラは混乱する」


 ルメラの言うことは尤もだ。彼女はボクの以前の雄々しい姿を知らないからね。知っていたら、こんなことは絶対に言わないと思う。多分。

 あの頃の僕は………、感傷にふけるのは今じゃないはずだから、やめておこう。


 「俺の、俺の姿が、嘘だぁ、こんなのない」


 あのイケメンだったベンジャミン・スミスの姿はお下劣海賊団みたいな気持ち悪いちんちくりんになっていた。でも、これが彼の真の姿なんだ。気持ち悪いちんちくりんでも付いているモノがあるだけでも幸せなんだぞ。しかし、あの船長の姿から今の姿に戻るのはキツイだろうな。彼が泣き喚いているのも理解できる。


 「呪いが解けたってことは、もう、シルバーホークと縁が切れたんだ」


 泣き喚くベンジャミン・スミスを汚物を見るような目で眺めながらジャグがポツリと言った。


 「何を言うか、小娘っ、俺とシルバーホークは魂でつながっているんだ。そこにいるエドモントに傷つけられたが。俺とシルバーホークは幼いころから………」


 「黙れっ」


 自分とシルバーホークの物語をとうとうと語りだそうとしたベンジャミン・スミスの口に部下たちに炉命じて猿轡をかませながらエドモント・シヴィー冷徹に言い放った。アレは呪いじゃなくて素だったんだ。


 「うわぁ」


 それを悟ったジャグが顔しかめて身を引いている。君のその行動は普通なら失礼な行為になるが、コイツに関しては事実だから仕方がないから問題なし、とする。


 「君たちの願いは叶えたぞ。しかし、君もあのブッコワースの家の中でそこまで技術を磨き上げたことは、まさに根性のたまものだ。根性の神として非常に喜ばしいと感じているよ。只、残念なことに君は私の信者じゃないのがね。でも、今日は良いモノを聞かせてもらったから加護を与えよう」


 キ・アイ様は流石神様だ、ボクの身の上を把握しておられる。確かにあの家では本を読むことさえキツイことだった。なんせ、身体を鍛える以外の事に関心がない、と言うかそれ以外の概念が存在していなかった。本を読んでいるところを見つかると無理やり腕立て伏せをさせられたり、絵を描いていると丸一日駆け足させられたり、楽器は鉄アレイやダンベルで無理やり筋トレさせられるぐらいだったからね。そして、彼らの予想を裏切ってボクが優男のままだったから、そのうちに無視されるようになり、これ幸いとボクは様々な文化を独学で身につけてきたのだ。認めたくないけど、この根性の発露はブッコワースの血のなせる業だと思う。


 「そうです。神様、お嬢様の努力は根性の一言に尽きます」


 コレットが嬉しそうに神様に額づいて嬉しそうに報告している。言っておくけど君が褒められたり、加護を授かったわけじゃないぞ。


 「あのお家で脳細胞が脳細胞のままですから、それだけでスゴイんですよー」


 シュマも何か誇らしげだ。冷遇はされたけど離れに追いやられてからは邪魔されずに好きにできたからね。もともと好きなことだからやっていること事態に苦しみはないんだよね。


 「カゴってなに? 」


 ルメラが抜本的なことをボクに尋ねてきた。確かにキ・アイ様から加護を与えてもらったけどどんな加護か聞いていなかった。


 「竜のお嬢ちゃん、やっぱり気になるかな? 私の加護は何事もやり通す、困難に負けない、危機の時に諦めない精神が宿るのだよ」


 キ・アイ様は誇らしげにおっしゃられたけど、つまり往生際が悪くなる、苦しみが必要以上に長引いてしまう加護がボクに与えられたのだ。正直、あんまり嬉しくない。


 「ロスタ、スゴイ加護だよ。竜でも心がくじけてしまって穴倉に引き籠ったまま出て来ないのもいるぐらいだからね」


 この加護は竜にはウケがいいのかな。洞窟の奥でお宝を護っていると言われる竜は引き籠りだったんだな。


 「さて、君たちの呪いを解いたから私は研究に戻らせてもらうよ」


 キ・アイ様は籠の説明した後、いきなりボクらに興味を失ったようですぐに神殿を出ていかれた。


 「さて、船に戻ろうと思うが、どうも今は深夜のようだ。こんな中、ご婦人を外に連れ出すわけにもいかないから困ったもんだ」

 

 「何が困ったもんだ、だよ。勝手にあたいらを拐しておきながらさ、もう、あの奇妙な無意味領域は無いんだ。アンタらをぶっ壊してお役人様たちに差し出してやるよ」


 腕組みをして考え込んでいるエドモント・シヴィーに元の姿に戻った女傭兵が睨みつけブッコワース流格闘術の構えをとった。ここでちょっと説明するとブッコワース流格闘術は巧みな関節技や鋭いカウンターの打ち込み、巧みな体さばきによる攻撃を受け流す、なんて事は一切しない。正中線から力いっぱい相手を殴りつけ、相手の攻撃は正中線で受ける。

 つまり、技術よりパワーの力任せな格闘術なのだ。父上やブッコワース騎士団からすれば普通に世間に流布されている格闘術は身体を鍛えていない者のその場繕いだとして軽蔑しているぐらいだ。

 ブッコワース流格闘術とは敵の攻撃は鍛えぬいた肉体を鎧として受け、敵への攻撃は鍛えぬいた肉体を刃として戦う、技術も何もない純粋な力の格闘術なのだ。

 ちなみに戦闘態勢に入るときの基本の構えは仁王立ちだ。


 「ロスタ姐ちゃん、このままじゃ、アイツが来るよ」


 ジャグがボクの袖を引っ張って心配そうな表情を浮かべた。総合神殿で物理的な問題が生じそうになればステゴロの精霊が必ずやってくる。正直な話、女性が痛めつけられるところは見たくない。


 「我々の非礼は詫びる。誠に申し訳ない。どうか拳を収めて頂けないか。総合神殿を出れば貴女達の拳を甘んじて受けよう、しかし、ここではやめてもらいたい。貴女達が痛めつけられる姿は見たくない」


 コイツもボクと同じだ。ここにいる面子でステゴロの精霊に勝てる者はいない。絶対にいない。これは断言できる。


 「アイツが来る前に一発は殴れるよ」


 「一撃を入れることはできます」


 彼女らは頭に血が上っているのか拳を収めようとしていない。アイツは君たちが身構えより早く出現することすら分からなくなっているのだろう。


 「全員、頭の後ろで手を組んでその場に跪けっ」


 いきなり神殿に黒い鎧に真っ黒の兜にボウガンを構えた男が入ってきて大声を上げた。


 「何だよっ、いきなりっ」


 女傭兵が剣を抜こうと塚に手をかけて怒りの声を上げた。確かにいきなりひざまずけってのはないと思うんだけど、怖い事になりそうなのでボクは彼の言う通りに行動することにした。


 「不敬な」


 コレットがシャーって威嚇の声を上げたけど、すかさず僕は手で彼女の動きを制した。

 その時、女傭兵の足元でガツンって衝撃音がして床が爆ぜた。


 「警告射撃だ。こちらの言う通りに行動せよ。次は危害射撃に移行する」


 黒ずくめはボウガンを構え、何の感情も抑揚のない声でボクたちをじっと見つめている。彼の圧に負けてその場の全員が跪き、両手を頭の後ろに組んで恐怖と怒りを込めた目で彼を見つめていた。


 「こちら強行突入の精霊、6号多目的神殿を制圧、指示を請う、送れっ」


 彼は胸につけた黒い鉄のバッジに囁きかけた。するとバッジから女性の声が聞こえてきた。


 「こちら警備本部、神殿内の参拝者に敵意がなければ警告を与えて撤収せよ、送れっ」


 「了解っ、通信を終えるっ」


 強行突入の精霊は通信を終えると再び僕らを睨みつけた。


 「ここでの暴力沙汰は一切禁じられております。身内同士でも同様です。それでも、と言う方が居られれば実力を持って安全化した後、排除します」


 ここでの一番の暴力沙汰は貴方たちとボクは認識しているんだけど。でも、強行突入の精霊って随分ニッチな精霊だよね。この調子だと狙撃の精霊とかもいるのかな。


 「くそっ」


 女傭兵が歯をむいて怒りをあらわにして強行突入の精霊を睨みつけた。その時、再び彼女の跪いた膝の近くの床が爆ぜた。彼女は思わずその場から後ずさった。


 「姿は見せていないが狙撃の精霊が常に参拝者を監視していることを忘れないように。我らと敵対するなら我らが上位存在の暴力の精霊が出動される。あの方が来られるということはどういう事かよく考えておいてください」


 彼はもう一度ボクたちにボウガンを向けると後ずさりしながら静かに消えていった。


 「何なんだよ、一体………」


 女傭兵は恐怖で白くなった顔で狙撃の精霊を探すためあちこちを見回していた。簡単に見つけられるようなら狙撃はできないと思うんだ。多分。


 「ここは大人しくしておく方がいいみたい。尻尾の子たちも堪えているし、ステゴロの精霊、強行突入の精霊、狙撃の精霊と戦って勝てる? たとえ勝てたとしても、暴力の精霊に、暴力の根源に戦って勝てる? 私は無理だ。狙撃の精霊さん、立つから撃たないで」


 エルフの女性は諦めたように言うとどこかにいる狙撃の精霊に警戒されないようにゆっくりと立ちあがった。


 「お嬢様に失礼な連中です。私の爪が届かないのがもどかしいです」


 立ちあがって服を叩きながらコレットがつまらなそうに呟いた。ちゃんと自分の力量が分かっていることは無駄に危険に踏み込まないために必要なことだからね。


 「無礼ですねー。でも、あの人たちもお仕事ですからねー」


 シュマはボクの膝をハンカチで拭きながら、何とか納得しようとしていた。できれば、このまま納得してもらいたい。

 そんな時だった。


 「こんな夜中に何をしておるのじゃ? 」


 神殿の扉が開いてひょっこりと着飾った白骨死体が入ってきた。


 「で、出たーっ」


 「あ、アンデッド、神様助けて」


 お下劣海賊団員も傭兵とエルフの女性も皆その場で悲鳴を上げて凍り付いていた。


 「あ、ライオネルおじいちゃん、こんばんはー」


 ジャグが嬉しそうな声を上げてライオネルおじいちゃんに走り寄って行った。


 「危ないっ」


 走り出したジャグの肩をエドモント・シヴィーが掴もうとして手を伸ばしたが、流石元ストリートチルドレン、さっと躱してライオネルおじいちゃんに飛びついてた。


 「おお、ジャグちゃんか、こんばんは。こんな所で、あ、その姿からすると呪いは解けたようじゃの。よかったのう」


 ライオネルおじいちゃんは目を細めて(そのように見える)ジャグの頭をやさしくなでた。


 「ライオネルおじいちゃん、ルメラも呪いが解けた」


 「おお、そうか、良かった、良かったのう」


 ジャグに次いでライオネルおじいちゃんにルメラが飛びついた。ライオネルおじいちゃんはしゃがみこんで嬉しそうにルメラの頭をなでていた。おじいちゃんと孫とのほほえましい姿だろうけどおじいちゃんが白骨死体というだけで随分とホラーな絵になってしまうのは、ライオネルおじいちゃんがリッチだから仕方ないことかもしれない。


 「ライオネルおじいちゃんはとっても親切で優しいんだよ。見た目はちょっとおっかないけど」


 ジャグが猛獣たちと海賊からライオネルおじいちゃんを護るように立ちふさがった。


 「お嬢ちゃん、それはリッチだ。危険だ。早く、こっちに」


 「ジャグ、ルメラ」


 リナが金切り声を上げ、エドモント・シヴィーが慌てて走り出す、それ以前に猛獣2匹がライオネルおじいちゃんに飛びかかった。


 「ちょいと大人しくしておれ、ジャグ嬢ちゃん、ルメラ嬢ちゃんとの邂逅を邪魔するとは無粋じゃの」


 ライオネルおじいちゃんが干からびた手をさっと振るうと彼に飛びかかろうとしている者全員の動きが止まった。踏みとどまるとかた、たらを踏むとかそんなモノじゃない。飛びかかろうとジャンプしたコレットがそのまま空中に止まっていた。していた。ライオネルおじいちゃんは何気なくやっているけど、これはとてつもない魔法だ。巨大な魔力を繊細に制御するなんて、一朝一夕にできる業じゃない。普通の人ならば一生を費やしても難しいかもしれない。


 「か、身体が動かないよー」


 「この姿勢、怖いっ」


 シュマとコレットが固まったまま悲鳴のような声を上げていた。ライオネルおじいちゃんは悲鳴を上げる猛獣たちを見て小さなため息をついた。


 「そんなに怖い顔をしておっては、お嬢ちゃんたちのかわいいが損なわれるぞ。せっかくかわいいのじゃから、勿体ないのう」


 ライオネルおじいちゃんは残念そうに止まったままになっているシュマとコレットを見つめてため息をついた。肺があるとかないとかじゃなくて本当にはーって聞こえたんだから。


 「ステイ。シュマ、コレット、牙と爪を仕舞え。ライオネルおじいちゃんはジャグが言うようにいい人なんだ。もし、ライオネルおじいちゃんに悪意があればこんな魔法を使わずともボクらは良くて消し炭、最悪、眷属にされていたかも、なんだよ」


 ボクの言葉に猛獣たちは大人しくなり、海賊団も黙ってしまった。


 「そうじゃな。ロスタ嬢ちゃんが言う通りじゃ。じゃが、儂はあの眷属とか従魔とかは好かんでのう。それより、こんな夜遅くまで、こんな幼い子を付き合わせるとは何事じゃ。小さい子は眠りによって成長するのじゃ。この子らはこれからの世界の希望なんじゃよ。そして、尻尾のお嬢さん、睡眠不足は毛艶の大敵じゃぞ」

 

 ライオネルおじいちゃんはシュマとコレットにかかった術を指を鳴らして解除すると懐から小さな瓶を2つ取り出し、それぞれをシュマとコレットに手渡した。


 「毛皮用のトリートメントじゃ。原液で使うと逆に毛皮を痛めるからの、30倍ぐらいに薄めて使うとよいぞ。そこの立派な胸の嬢ちゃんにもおまけじゃ」


 そう言うとライオネルおじいちゃんはリナにもう一本を投げた。リナはそれを見事にキャッチしてじっと瓶を見つめ、驚愕の表情を浮かべた。


 「この瓶ラベルのマークは、魔導士にして錬金術師、最も神に近づいた男、まさか、あのライオネル………、でも彼は200年前に昇天されたはず、えっ、こういう事だったのか。ライオネル様の作品を手にすることができるなんて………」


 リナは目を見開いて何かブツブツ呟いている。このライオネルおじいちゃんはただの好々爺じゃなかったんだ。リッチだけど。


 「昔々に、ちょいと魔術と錬金術をかじった程度じゃよ」


 ライオネルおじいちゃんはさらに指を鳴らして皆にかかった魔法を解いた。


 「おおお、森の精霊と謡われたエルフ、しかも大人の魅力もある。んんん、良い、良い。そうじゃ、皆、遅いから今夜は儂の住まいに泊まるとよいぞ。総合神殿にも宿泊施設はあるが、値段が質の割に高くてのう。最近はドラゴントコジラミが出よってな。宿泊施設の7割がただいま消毒中じゃ」


 ライオネルおじいちゃんは目を細めて(いるように見える)ボクらに手招きをした。普通ならリッチの手招きについて行くことは自殺行為だけど、そのリッチがライオネルおじいちゃんなら話は別だ。


 「ありがたい申し出なのだが………」


 エドモント・シヴィーはためらっている。確かにそうだよね。ボクもライオネルおじいちゃんに暗がりで出会ったりしたらちびる自信はある。


 「このライオネルおじいちゃんは素晴らしい人格者です。今日、待っている時に偶然出会ったんですけど、その時、魔法について分かりやすく教えて頂いたんです」


 「ルメラ、おいしいモノをご馳走してもらった」


 ボクがライオネルおじいちゃんは危険な存在じゃないと説明しようとするとルメラがさらに補足してくれた。ライオネルおじいちゃんはルメラをうまく餌付けしたようだ。ボクもだけど。


 「おいしいモノって、羨ましいですよー」


 「私も食べたかった」


 猛獣たちが恨めしそうにボクを睨みつけてきた。気持ちは分かるけど、あれは不可抗力だから。


 「こんな素晴らしいトリートメント作れる人が悪人なわけありません」


 ライオネルおじいちゃんからもらった小瓶の蓋を開けて中身の匂いを嗅いだリナが良く分からない理由でボクの説を補足してくれた。


 「いい人なのは分かるけど、なんか目つきがいやらしい感じがするんだ」


 女傭兵はライオネルおじいちゃんを見つめながら小声で呟いた。それは同感だ。男とは枯れても男でいたいものだからね。


 「彼はやろうと思えばいつでも我々を殺すことができた。それをせず親切に宿泊を提案してもらっている、私は彼の言葉を信じる。ライオネル様、無礼をお許しください。厚かましくはありますが、ぜひとも宿泊をお願いします。ここには子供もご婦人もおります故」


 エドモント・シヴィーは丁寧にライオネルおじいちゃんに頭を下げ、今夜の宿を頼み出た。


 「そんなに畏まることじゃないぞ。困ったときはお互い様じゃ。これも何かの縁じゃな。若い者と言葉を交わせることは年寄りには何にも勝る馳走じゃからな。神殿内の後片付けはこいつらにさせるから付いてくるが良いぞ」


 ライオネルおじいちゃんは楽しげに笑うと、指をパチンと鳴らした。すると床からにゅーっとスケルトンが湧いて来てライオネルおじいちゃんに深々と頭を下げた。


 「ここの片づけを頼むぞ」


 ライオネルおじいちゃんはそう言うとボクたちに付いて来るように手招きした。


 

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