第29話 「もう単なる老人虐待だぞ」
「白紙の契約書って、どんな効果があるのかな」
ボクは勢いに任せて白紙を手渡してくれたリナに冷静に尋ねていた。
何故なら、何時もいつも彼女らのノリに乗せられて、気づけば抜き差しならない状態になっている様な気がしてならないから、無理やりボクのテンションを下げることにした。
「そうですねー、その白紙に契約の文言を書き込めば、あたしはそれに異を唱えることは出来ず、契約しなくてはならないことになりますねー」
「じゃ、仮にボクがリナに奴隷になるよう契約書を作成した場合、リナは否応なく奴隷になるってことだよね」
この白紙、思ったより全然重い、こんなのを渡すなんて、リナはボクにどれだけ期待しているんだろうか、彼女の思いに応えることは出来るだろうか。ここは、腹を決める時かもしれない。彼女を絶対に儲けさせられるようにしよう、男として彼女の期待に応えないという選択肢は無い、と腹を決め擁した時だった。
「それがホンモノの場合はですね。それ、普通の白紙です」
リナがしれっとタネ明かしをしてくれやがった。ボクの決めた腹を返してくれ、と言いたくなったけど、元々コイツはこんなヤツだった。コイツとの付き合いを学習したつもりだったけど、まだまだ修行が足りていないようだ。
「でも、そこに何を書かれてもあたしは従いますよ。お嬢様ならきっと滅茶苦茶な事をお書きにならないでしょう。こう見えても、あたしは人を見る目があるんですよ。第一、お嬢様じゃなかったら、逃避行にご一緒なんてしませんよ」
リナはにっこりしながら答えてくれた。どこまで本気か分からないけど、彼女なりの気持ちの表現だとしておこう。
「………ところで、竜の最大級の加護ってどんな加護があるの? 」
今度はルメラに確認する。小さいとは言え、竜である彼女の加護とは、ひょっとすると怪力無双で悪党をちぎっては投げちぎって投げできるとか、巨大な火球を投げつけることができるとかの能力が身についいていればこれからの戦闘で困ることも無いからね。
「うーん、ずっとルメラがお嬢様の近くにいることかな。竜が自ら色々とお手伝いしたり、癒したりする加護だよ。それとね、ルメラに美味しいモノをプレゼントすることができるんだよ」
今までと何が違うのか、とルメラを問い詰めたくなったけど、彼女の精一杯の善意だと思っておこう。
美味しいモノはいつも提供はできないけど。
「おいら、お嬢様に何も差し上げることができないけど。お祈りしているから、お嬢様が返ってくるまでずっとお祈りしているから」
ジャグがボクを泣きだしそうな目でじっと見つめ、手を組んで祈りを捧げてくれた。
「おいらたち商人の神様は荒事に関しては専門じゃないけど、儲けが出ることに加護があるんだ、だから、おいらたちが儲けるために絶対に必要なお嬢様も護ってくれると思うから………」
ジャグの言葉が一番重かった。でも、その分力を貰ったような気がする。
「簡単にやられないから、心配なんていらないよ」
だからボクはジャグの不安をかき消すために、敢えて軽い口調で応えることにする。形はどうであれ、彼女らのボクが無事にもどってくる事を祈る気持ちは真剣なんだろうから。
「ひどい臭いがします」
「あの人たちお風呂に入っていません。歯も磨いていません。清潔感と程遠いって感じですねー」
コレットとシュマが互いを見合って顔をしかめた。
「加齢臭がしますね。他の臭いに隠れていて気付きませんでした」
顔をしかめながらコレットがボクに教えてくれた。加齢臭? すると賊は老練でそれなりの百戦錬磨の連中なのか? ボクは少しばかり後悔し始めていた。
「膏薬の臭いがしますよー、それと煎じ薬の臭いも」
シュマが鼻をひくひくさせて教えてくれた。ひょっとすると賊はかなり老練すぎる連中なのかな。
「近づいて連中の様子を探ってみよう」
取りあえず、賊の正体を確認するため、コレットを先頭にボクたちは身を低くして草むらの中を静かに移動し、その後は海岸のゴツゴツした岩の影に身を隠しながらアジトと思われる洞窟に近づいて行った。
「海が近いと湿気で身体の調子が思わしねぇーな」
「塩っ気で手が荒れてよ。沁みて痛ぇんだよ」
「小便が近くなって、じっくり寝られない」
岩に叩きつけられるさざ波の音に混じって聞こえて来たのは、身体の不調を訴えあう賊たちの会話だった。
「高齢化していますねー」
シュマが賊たちの会話を聞いて苦笑していた。
「後継者がいないんでしょうか。あの手の連中が絶えたことがないのに、不思議ですね」
コレットは難しい表情を浮かべているけど、多分考える方向が違うと思う。
「年寄りばかりじゃないかもしれない。相当の手練れかもしれない。油断せずに、そっと見張りから………、ゑっ」
ボクが言い終わらないうちに、猛獣たちは岩陰から飛び出して、入り口付近にいた見張りをあっという間にシュマは拳で、コレットは足で黙らせた。
そして、あろう事か………。
「我らはロスタお嬢様の配下なりっ! その内、正妻になる予定のシュマ」
「お嬢様の命により貴様らを断罪するっ! 正妻になる………、なってみせるコレット」
大声で名乗りを上げやがった。しかも、いらない一言まで付け加えて………。
「貴様らが罪を悔い改め、大人しく縛につくなら命までは取らない。手向かうなら、覚悟してからにしろ」
こうなったら、やけくそだ。思いっきり見得を切って叫んでやった。
「やや、何奴」
「曲者じゃ」
「何者か知らぬが、返り討ちにしてくれる」
洞窟の奥から、よぽっとした爺さんたちが古びた剣を手にして慌てて走り(本人たちからすれば)出てきた。
「貴様らの悪行三昧もこれまでだっ」
走り出て来た適当なヤツ、つまり一番の近くにいたヤツに指さして、ボクは雄たけびを上げた。
「成敗っ」
「承知、全ての拘束を解除しますよー」
「毛の一本、血の一滴すら残させません」
猛獣たちは唸り声を上げて賊に踊りかかった。
「何じゃ、こいつらは」
「年寄りは労わるものじゃぞ」
猛獣たちは容赦なく老人たちに襲い掛かっていた。老人たちは悲鳴やらうめき声を上げてなぎ倒されていく、これはまるで老人の虐待だ。このままではどちらが悪党か分からない。
「待てっ」
ボクは猛獣たちに攻撃の手を止めさせようとした。
「コイツ、私の事を白タヌキってぬかしやがったんですよー」
「コイツはお嬢様をいやらしい目で見ていました。当然の報いです」
彼女らは、相手を見ているのか、剣で斬りつけることこそしていないが、躊躇なく拳に物を言わせていた。拳だからと死にはしないだろうと少しばかり安心したけど、あの拳、多分躊躇いはないだろう。そして一度火がついた彼女らの火を消すのが難しいのだ。
「シュマ、コレット、ステイっ」
猛獣を落ち着けるのはこれに限る。彼女らはその場てピタリと動きを止め、ボクを期待のこもった目でじっと見つめてきた。
「相手を良く見てみろ。誰も反撃できない状態になっている。もう単なる老人虐待だぞ」
ボクの声を聞いた猛獣たちの拳はやっと止まった。
「これから、お前らを騎士団に賊として引き渡す」
猛獣たちに散々打ちのめされ、ぐったりした老人たちにボクは宣言した。
「賊じゃと? ワシらは誰も傷つけておらんぞ。盗んでもおらん」
老人の1人が薄くなりすぎた頭に血管を滲ませてボクたちを睨みつけてきた。
「漁師から魚を奪い、街に入る行商人から商品を奪い取っていただろ? 」
白々しく無罪を主張する老人にボクは街で聞いた彼らの悪行を聞かせてやった。
「漁師からは適切な価格で購入しておる。行商人からもじゃ。………嬢ちゃんが耳にしたことは儂らの宣伝じゃ。イロイロとあってのう………」
いきなり老人がトーンダウンした。彼の声を耳にした老人たちも皆がっくりと肩を落としている。
「イロイロって? 」
老人の訳ありな感じの話しっぷりに思わずボクは聞き返していた。
「こうなったら、自棄じゃ。全部話してしまうぞ」
「丁度潮時じゃ」
「引き際が大切じゃな」
それぞれ青タンやら赤タンをこさえた老人たちは洞窟の床に所在無げに腰を降ろし、訥々とこのような事態に陥った理由を話し始めた。
彼らの話を要約すると、まず、現領主のエイラー子爵はトイレで頑張っている時に啓示を受けたらしく、トイレこそ人が生きていく上において最重要なモノだと確信した。それから、街の至る所に公衆トイレを造ったのだけど、それがどんどんと豪華になって来て、お金も無いのに無理して高名な建築家に設計して貰ったりしたものだから街の財政は破綻寸前になっていた。それを解消するために領主は食品に対してイイ感じに税を課したモノだからどんどん街が傾いて行った。これは現在も進行中だ。
港街だから漁に出て獲れた獲物を他の領に売るなり必要なモノと交換するなりすればいいのだろうけど、領主のエイラー子爵がそれを許さなかった。何でも食べたら出すのが摂理で、そうなるとトイレが痛むからと言うのか理由らしい。ふざけた話だけど事実だから始末が悪い。
こんな苦境を何とかしようしたのがドゥカーティ商会の会頭ガッポリーニだった。
彼は、エイラー子爵の目の届かない所で食料を手に入れるため、獲れた獲物を海賊に奪われたということにし、海賊はその獲物を近隣の街で売り捌き、商人から食品を買い取る資金にする。
で、この老人たちは連れ合いを亡くした者、家族に邪険にされた者、元より身内も何もない者たちで構成されており、エイラー子爵に気取られぬように賊として働いているとのことだった。
「この洞窟は海の近くじゃが、中は湿気ておらず、気温も湿気も安定しておるから買い取った食料を一時的に保管しているのじゃ。それに、ここにくれば話し相手がいるしのう」
「行き所のない年寄りが肩寄せ合って生きおるのじゃ。お前らは見事に………、誤解される、と言うより、海賊やら山賊を楽しんでいたのは事実じゃ」
「あの高揚感は、餓鬼の頃以来じゃな」
老人たちは楽しそうに語りだしていた。つまり、ボクたちは賊でもない人たちを一方的に蹂躙したことになる。
「お嬢様、ここはサクっと口封じを」
「死体は喋りませんからー」
猛獣たちがそっとボクに囁いてきた。コイツら老人に暴力を振るったことをない事にしようとしている。できれば、ボクもそうしたいけど。それをしたら人として終わってしまう。
「それは、ナシだ。絶対にあり得ない。どんな悪事もどこかから漏れるんだ。ボクは凶状持ちになるつもりはないし、君らにもなってほしくない」
ここは、何としても人倫に則って行動しなくてはならない。それは、身内も一緒だ。
「面倒くさいことになりますよー」
「少し死期が早まるだけです」
こいつら何を言っているんだ。老人たちも怯えだしているぞ。
「おい、この獣の手綱はしっかりと握っているのじゃろうな」
痛い所を衝いて来る。確かに彼女らは何かと暴走しがちだが、こっちには最終兵器、切り札がある。
「ボクは自ら進んで犯罪に手を染める様な者に近くにいてほしくない」
ボクは猛獣たちの目を真正面から見据え、真顔で宣言した。これでもこいつらが言う事を聞かなかったらもう、為す術がない。
「お嬢様、私が間違っておりました」
「犯罪なんぞしませんからお傍においてくださいよー」
猛獣たちはボクの前で腹を見せて横たわり、絶対服従のポーズを取った。これは、獣人にとって最も屈辱的なポーズのようなのだが、彼女らはしばしばこの姿勢で何かとねだってきたりすることもあるから、どこまで本気かは分からないけど、取りあえずは暴力の行使を止めることは出来た。
「こいつらの動きは止めますから、先ほどのお話からすると随分と回りくどいやり方を取っておられるようですが。いっその事エイラー子爵を追い出すとか………、確か王国の法ではあまりにも統治能力に問題がある場合、領民が領主を追い出すことができるとありますが」
ボクはコレットに殴られた頭をさする老人に優しく話しかけた。
「嬢ちゃん、ひょっとしてドゥカーティ商会が善意で動いている思っとらんか。奴らは銭勘定が基本じゃ。儂らが買い取り、売り捌いた魚の金、全部が食料品の購入にあてられていると思うか? 街の異様な食料品の値段は、ここ暫く安くなっとらん。ドゥカーティがエイラー子爵の目の届かぬところでそっとやっておる炊き出しもここ最近質も量も減ってきているんじゃ。その分、いろんな所からトイレの材料となりそうな妙な石材やら便器を購入して、エイラー子爵に売りつけているんじゃ。領民は日々の生活に追われている体たらくなのじゃ」
老人は一気にまくしたてると深くため息をついた。世の中、世知辛くできているみたいなことを再確認した。
「今朝、女は街から出るなって言ってたのもドゥカーティだろうな」
「港の女たちも、どの船の船員も物価が高いからって遊びに来ることも無くなって、職にあぶれ、街から出て行きおった。それでも一定の需要があるからのう、あのような強硬手段に出たのじゃろうな」
老人たちは互いに見合いながら、あの愚行は確証はないが多分ドゥカーティによるものだと口にしていた。
「あのまま残っていたら、大変な事になっていましたよー」
「初めてはお嬢様に貰って頂く予定ですから、危機一髪でした」
猛獣たちはボクにすり寄り、コレットに至っては恐ろし気な事を口走っていた。貰えるとしたら、行為より物の方が嬉しいんだけどね。と言うか、乙女だったんだ………。
「それじゃ、入港した船に乗っていた女性は………」
「赤い実を食べなきゃならんじゃろうな」
「可哀そうな事じゃ」
ボクの問いに老人たちは悲しそうな表情を浮かべた。
「こんな事が罷り通るのか………」
我がブッコワース領内でこんな非道な行為が許されるなんて、否、ボクは許さない。このボクが許さない。
「何とかして助けないと………」
「エイラー子爵の騎士団とドゥカーティの私兵を相手にどうやって戦うのじゃ」
「いくら、犬と猫の嬢ちゃんたちが強くても、多勢に無勢じゃよ」
老人たちはため息をついた。ボクもため息をついた。戦力差がありすぎだ。ボクに力があれば………、力? そうだ、力だけなら持って来いの連中がいる。
「ブッコワースの騎士様たちが居られたようですから、あの人たちにお願いして………」
そうだ、あの脳みそ筋繊維な連中に活躍の場を与えてやろう。われ菜がいい考えだ。
その思いも、老人の1人が口にした言葉で潰えてしまった。
「知恵袋の嬢ちゃんがのう………」
「ドゥカーティに取っ捕まって、人質になっておる様じゃ。奴らは悔しさのあまり只管、涙しながら筋トレしておるだけじゃ」
奴らにとってレーペさんは知恵袋としての役職以上の存在だ。彼らの仲間なのだ。だから、その大切な仲間を人質に取られれば為す術がない。
人質奪還作戦を行おうにも彼らには作戦の立案能力が圧倒的に欠落している。彼らに出来るのは真正面からの力押しだけなのだから。
「レーペさんを解放できれば騎士団は動けるんですよね」
「どうやって解放するかですねー」
いつの間にか猛獣たちの主敵は目の前の老人たちから、エイラー子爵の騎士団とドゥカーティの私兵にすり替わっていた。こいつら、このままだと、不完全燃焼のために勝手に殴り込みをかけてしまうかも知れない。こいつら、侍女をしていなければ確実にヤバイ仕事をしているに違いない。
「彼女が捉えられている場所が分かれば、隙をついて敵を倒さずに救出することができるかも知れないよ」
我ながら、あまりにも甘い見通しだと思うけどこうでも言わないと、猛獣たちは正面突破を仕掛けてしまうのは確定的に明らかだからだ。なんだかんだ言っても彼女らもブッコワースの人であることに変わりがないのだ。
「そんなの、誰かとっ捕まえて痛めつければすぐに分かりますよー」
シュマが人権的にいかがなモノか、と思わず口にしそうになる台詞を吐き出した。
「身体に障害は残りますが、死なないようにしますから安心してください」
コレットもボクの表情を読んだのか、理性的に見せるように振る舞っているけど口にしている台詞は何気にえげつない。
「捉えられておるとしたら、丘の上の領主の館じゃな。あそこには地下牢があってなー。儂も若い時に世話になったわい」
「ネズミが唯一の心の慰めになる場所じゃったな。あれ以来、儂は鼠を邪険に扱う事が出来んようになった」
老人たちが地下牢談議に花を咲かせ始めた。今は海賊もどきをやっているけど、若い時からその手の世界にどっぷりと浸かっていたんだろうな。
こんな隠居犯罪者たちも何か役に立つかもしれない、現にレーペさんが囚われていると思しき場所を教えてくれた、ならばここは戦力に取り込む。
「おじいちゃんたちも今の生活は嫌なのですか? 」
彼らの理想の孫娘を何とか演じようじゃないか、とボクはちょっと上目遣いにちょっと距離を近づけて尋ねてみた。
「普通に交易しておるのは海賊の流儀ではないからのう」
「命令されて動いているのは性に合わん。海賊は、自由の海にはためく自由の旗のためだけに戦うモノじゃ」
彼らは今の生活に満足していないようだ。ならば、ボクらの先兵となって協力してもらうことにする。そのためにも我慢して、彼らの理想の孫娘をもう少し演じ続ける。どこまで正気を保てるか分からないけど。
「私たちをそっと街に入れさせて。捕まった女の人たちを助けるから。そうしたら、騎士団も動けるでしょ。彼らならきっとドゥカーティの私兵もエイラー子爵の騎士団もやっつけてくれるから」
ガドたちはレーペさんがしょっ引かれたことで随分と怒りが溜まっているはず、しかも女性を片っ端から拉致監禁し、身体を売らせようとしていることは奴らが最近目覚めた正義に反するから、奴らが暴れるのは絶対だ。
今、ドゥカーティたちは不発弾の上で踊っているようなモノなのだ。
だから、ボクたちがその不発弾の信管を活性化させようじゃないか。そうなれば、早速作戦を立案しないといけない。
「シュマ、リナたちを呼んでくれ。調子が良ければリナが何か閃いてくれるかもしれない」
ボクは傍で退屈のあまり舟をこいでいるシュマに命じた。
「ふぁっ、不届き者は何処ですか。始末します」
いきなり起こされてその反応は如何なモノか、これだとボクが常に誰かに狙われているみたいじゃないか。
「遠吠えでリナたちを呼んでくれないか。トーテムが犬族同士だからその辺りはできるだろ」
「お嬢様のためなら、なんでもできますよー」
シュマは嬉しそうに尻尾を振るとコホンと咳払いをした。
「遠吠えするなら洞窟から出てやって。あれ、五月蠅いから」
コレットは、ニコニコしているシュマを嫌なモノを見るような目で見つめ、手で追い払うような仕草をした。
「トーテムがネコの人にはできない事だからねー。ここは第一夫人に任せなさい」
イライラするコレットにシュマは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「下品な事で正妻気取り。ふふふ」
コレットは胸を張るシュマに冷笑を送りつけた。
「トーテムが犬族でもキツネとイヌは違いますからね。でも、声は届けられるでしょうけど」
コレットの嫌味も我関せずに悠々とシュマは洞窟を出て行き、暫くすると大きな遠吠えが聞こえてきた。
「イヌ族はガサツです。ガサツな女はお嬢様に相応しくありません。残念ながら、彼女に第一夫人の責は重すぎます。その点、ネコ族は淑やか、物静かでいつもそばにお控えしております。私こそ第一夫人に相応しいとお思いになりませんか」
コレットが老人たちの視線を全く気にせずボクにすり寄ってきた。この動きは飼い猫が飼い主に親愛の情を示す行為そのものだ。しかもゴロゴロとのどまで鳴らしている。
「あまりお嬢様を困らせないことも学習する必要があります」
いきなりコレットの身体がボクから離れた。コレットの背後に彼女の襟首を掴み、口元にだけ笑みを浮かべているリナの姿があった。
「コレットの事を泥棒ネコって言うのですねー」
リナの背後からひょこっと顔を出してシュマがニヤッと笑った。
「いつもお傍に控えているだけのことです。貴女みたいに騒がしくないだけです」
猛獣たちがなにやら互いに感情的な雰囲気になりつつある。これ以上ヒートアップされたら大変な事になる。特にボクが。
「リナ、思ったより早かったね」
確か、ついさっきシュマが遠吠えしたようなのだけど、リナの出現は思ったより随分早かった。
「家畜は主の言葉に従うモノ。トーテムが野生系は自らが認めた相手にのみ忠誠を誓うもの。我が主の意を汲むのも野生の直感で容易なのです」
リナはそう言うと優しく僕を抱きしめてきた。コレットやシュマ以上のボリュームのある柔らかな双丘がボクを包み込んでくれた。最近鳴りを潜めていたボクの中の益荒男が思わず雄叫びを上げそうになった。
「で、何を仕入れるんですか? 」
リナは周りを身をして首を傾げた。速やかに来てくれただけでも有難い事にしておく。
「商売の話じゃないんだ。今、レーペさんが囚われている。そのためにガドたちが動けない。だから、ボクたちがレーペさんを救出しようと思っているんだけど」
ボクがこれから何をするつもりか話し出すと、リナはピタッと大きな耳を倒し、その上から手で覆った。
「新たな面倒な事、生き死にに関わりそうな事、お金儲けになりそうにない事、あたしはそんな事は聞きたくない」
彼女はその場所で蹲ってしまった。ボクがこれからしようとしている事、彼女に協力して欲しいことは確かに一文にもならない事だ。だから、これ以上は言わない、ボクの逃避行にここまで付き合ってくれただけでも感謝しないと、身体を滅茶苦茶にする原因を作ってくれたとしても。
「で、でも………、窮地の時に身を張った実績があれば、御用達になっても胸を張っていられるのも事実」
「リナ姐ちゃん、ここは踏ん張り時だよ。ここでお嬢様の信用を勝ち取れば御用達は当確だよ」
「お嬢様とのこれからの付き合いを考えれば、そして商いを越えたお嬢様との関係から、ここで断る理由はありません」
リナはジャグに励まされてか、シャキッと立ち上がり力強く協力してくれることを宣言してくれた。
「あまりにも危険な事だから、拒否してもいい。レーペさんを救出し、騎士団に送り届けたいんだ」
ボクは洞窟内にいるボクの仲間、老人たちに話しかけていた。
「エイラー子爵、ドゥカーティのやっていることは、決して許される事じゃない。でも、奴らは強力な騎士団と私兵を抱えている。でも、奴らに十二分に対抗できる戦力が街に今いる。ブッコワース騎士団だ。彼らは知恵袋のレーペさんを人質にとられて身動きできない状態になっている。だから、レーペさんを彼らの元に送り届ければ、彼らは暴れてくれるはず。連中は難しいことは分からないけど、正しい事とそうじゃないことぐらいの判別はつくからね。しかもレーペさんがいれば完璧な暴力装置と化すんだ。エイラー子爵の騎士団もドゥカーティの私兵もアッいう間に安全化できる」
ボクはあの街の惨状をどうにかするには、エイラー子爵とドゥカーティを無力化する必要がある事と、そのためにレーペさんを救出することが必要な事を皆に説明した。
「成程、子爵の館に忍び込んで美女を連れ出す、若い頃を思い出すのう」
「義賊じゃったからのう」
「若い者には負けんぞ。この老骨、好きなように使ってくれ」
老人たちの背筋が気のせいかシャンと伸びているように見えた。
「お嬢様のためなら、この身、鴻毛より軽しですよー」
「あの街を血の海に沈めてみせましょう」
猛獣たちもやる気を出しているようだ。オーバーキルにならないように注意しないといけないけど。
「エイラー子爵の部下を寝返らせることができれば、状況は良い具合に進みますよ。おじいさんたち、お館に不満を持っているような使用人っていないかな」
リナがちょっと考えてから老人たちに尋ねた。
「あの館で、子爵を慕っているヤツを探す方が難しいぞ」
「やっすい賃金で思いっきり働かせておるからのう」
「声をかければホイホイと裏切ってくれよるぞ」
「顔見知りが居るから、声をかけてみようか」
老人たちは内通者を確保することは簡単だと請け負ってくれた。
しかし、エイラー子爵って人望が無いんだ。ちょっと同情した。
「じゃ、これからどうするか具体的に決めて行こう」
ボクが声をかけると老人の1人が街の地図をテーブルの上に広げ、他の老人たちがエイラー子爵の騎士団の巡回経路や配置を掻きこんで行った。
老人たちが潜んでいる洞窟が臨時の作戦室に変化した瞬間だった。




