第2話 「若様は、私たちと同じですよ」
「はーっ」
僕は大きなため息をついた。コレットから借りた鏡の中で黒髪の少女も同じようにため息をついていた。
「使わずに無くした。一生童貞が決定した………」
僕は失ったモノの事を考えてさらに深い深いため息をついた。
こんな事なら、身近な人と………、でも、誰が最初かで絶対に揉めるからって敬遠していたんだっけ。
今更後悔しても、マイサンは二度と戻ってこないことは確かだった。
「食事の後のアレが最後の立ってした、おしっこ………」
そう思った瞬間、今までとは少し違和感のある尿意を僕は感じた。その感覚は急速に強くなり、このままでいれば、人の尊厳にかかわる事態になると僕は悟った。
「事故を回避しないと」
僕はベッドから飛び出てその時初めて気が付いた。
「なにも着てない」
僕の纏っている者と言えば空気しかなくて、俗にいう素っぽんぽん状態だった。
「何か着るものは」
と言って、着ることができそうな物がないかと見回したが、それらしきものは何処にもなかった。
仕方なく、シーツを身体に巻き付けて、その場をやり過ごすことにした。
トイレのある1階に向かうとそこには皆が集まっていて、一斉に僕を見つめた。
「若様、もう大丈夫ですか」
「無理なさらないでください」
「生えてきましたか? 」
シュマ、コレット、リナがそれぞれが同時に僕に話しかけてきたが、僕にそれらを同時裁ける技能なんてないから。それにリナ、不可逆って言ったのは君だよね。生えていたらこんなブルーな気持ちになんてなってない。
「トイレだよ」
こう憮然として言うと僕はさっさとトイレに入ったが、今までと勝手が違うため、フリーズしてしまった。しかし、限界はどんどんと近づいてくる。
僕は泣きそうになったが、ここで負けちゃダメだと、取りあえず、シーツをはぎ取って、便座に腰かけた。
後は、もう、激烈な体験だった。暫くトラウマになりそうな………、これが僕の傷口をさらに広げることになった。
「私たちに一言おかけ頂けば、お手伝いできましたのに」
「私たちにまかせて頂ければ、私たちは生まれてから一日も休まず、女の子してますから」
コレットとシュマはとてもとても残念そうに口にしたが、彼女らに身を任せていたら、立ち直りに時間を要する危険な事態に陥ると僕の本能が警報を鳴らしていた。
「ご不便かけて、ごめんなさい」
トイレから出て来た僕にリナは再び土下座をしてくれた。そう言えば、この姿になってから土下座していないリナを見たことがないことに気付いたけど、あまり気にしないことにした。
多分、後数時間も立たずにいつもの状態に戻っている、と思ったからだ。うん、そうだ。そうに決まっている。
自然の要求を満たした僕は、再びベッドの中でウジウジと無くしたモノについて悩んだり、嘆いたりを心行くまで堪能することにした。
ウジウジしている間にいつしか眠っていたようで、目が覚めたら朝になっていた。
「喉乾いた、腹減った」
姿形が変わっても、喉も渇くし、腹も減る、生物としての原則の根っこは何も変わっていないことを確認して何だがほっとした。
「若、着替えお持ちしました」
「絶対に似合います」
僕が起きたのを察してか、大荷物を抱えたシュマとコレットが部屋に雪崩れ込んできた。しかも、彼女らの姿と言えば、いつものメイド服ではなく、動きやすさと防護力を重視した流しの傭兵みたいな服を着こんでいるのである。これで、スカートでなければ僕が着たいぐらいであった。
「え、あのー、それフリフリの穿くの? 」
シュマが彼女の衣装とは正反対の方向の、布を節約した分、レースだとかリボンだとかに振り分けたパンツを手にこちらに迫ってきたので、僕は思わず愚問だけど尋ねずにはいられなかった。
「勿論ですよ」
シュマはにっこりしながら当然のように言ってのけた。
僕は無駄だと知りつつ、助けを求めてコレットを見た。そして、絶望した。
彼女は下着と同じデザインのブラジャーを手にしてニコニコしているのだから。
「コレットさん、あのー、僕それ着けたことがないんだよね………、だから………、その特に付けなくても………」
僕は確認するかのようにコレットに尋ねた。返ってくる答えは凡そ見当はついているけど、万が一にかけてみることにした。
「いいえ、若様はご自身が思っているより立派なモノをお持ちです。ですから必要です。勿論、私たちが着替えさせていただきますので、身体の力を抜いて、私たちに身を委ねてください」
コレットが意味ありげに妖艶な笑みを浮かべた。黒猫だからその威力は倍増しているように感じられた。僕の趣味もあるかもしれないけど。
「若様、万歳して」
「若様、足を上げて」
僕は散々彼女らに男の尊厳を踏みにじられ、着せ替え人形のように扱われる屈辱に耐えていた。
男に無理やり女装させるんじゃなくて、生物学的に女性である僕に女性の衣装を着せているから、彼女らに変態的な悦びは無いか、それとも奇妙な形にネジくれた喜びがあるのか、それを推し量るには余りにも僕は経験不足だった。
「はい、終わりました」
「いかがですか、若様」
コレットが大きめの鏡で何とか僕の惨状、いや現状を見せてくれた。
「誰? 」
そこに映っていたの、黒髪を腰のあたりまで伸ばし、濃紺のひざ丈のスカートに薄い青のブラウス、何となく、それなりの家のお嬢様と思われる少女だった。
「若様です。似合ってますよ」
シュマがにこやかに言い放つ。僕が抱えている巨大な喪失感、悲しみを全く分かっちゃいない。
「とても、可愛いです。悪いムシがつかないように私が見張っていますから安心してください」
コレットが何故か自信満々で、しかも誇らしげに言ってのける。コイツも何も分かっちゃいない。
「………それより、腹が空いた。食事はあるかな」
僕は敢えて彼女らの言葉を無視して、むすっとした表情で食事について尋ねた。お日様の位置からするともうお昼ごろだと思えた。
「昨日のお弁当の残りと、パンを焼きました」
「温かい飲み物も用意してます」
彼女らは、僕に同情するより、新たな僕の状況を楽しむことに徹しているようだった。
せめて、今回の原因となったリナは、少なくとも彼女は自責の念から僕の心情をくみ取ってくれるはず。
「若様、良く寝れましたか? その服、私が選んだんですよ。若様が寝られている間に採寸してですね、シュマさん、コレットさんの意見を取り入れたんです」
僕のリナに対する期待は、綺麗に打ち砕かれた。力任せに投げつけた生卵みたいに。
「若様が起きてくるまで、食べるの待ってたんだよ。もう、おいら腹ペコだよ」
ジャグがちょっと恨みがましく僕に訴えかけてきた。
「そうだね」
ジャグの態度は僕の姿が変わっても同じで、その事に僕はとても安心した。
「若様、どうぞ席について下さい」
小さな食堂にシュマの合図で皆が集まり、少し早い昼食となったが、その時僕はその場に漂う空気が気になった。
「………なんか、ワイルドなスメルがする」
僕が気になったのは精神的な空気ではなく、物理的な空気である。この狭い食堂に獣人が3人もいるのである。しかも彼女らはここ3日ほど入浴なとしていない。となると、うっすらと獣の臭いがしてくるのである。
ここで注意を一つ、獣人に対して面と向かって「獣臭い」と言うは非常に無礼な事で、いきなり尻尾を引っ張ることに次いで殴られても文句は言えないとされている。
「え、臭いますか。多分、それ、犬系の人ですよ。猫系はもともと体臭はありませんから。匂ってもお日様の匂いぐらいですよ」
僕の言葉を聞いて、コレットはジトっとした目でシュマとリナを見つめた。
「失礼ですよ。私はちゃんと毛皮の手入れをしています」
「あたしは香水をつけてるから」
コレットの言葉にシュマもリナもむすっとして言い返したが、彼女たちの感覚は兎も角として、実際にそうなのである。
「ジャグはどうかな? 」
僕は懸命に昼食を食べているジャグに意見を求めた。ジャグはこのような時、忖度しないで素直な意見を出してくれる貴重な存在なのである。
「若様の言うとおり、臭う」
ジャグは僕の問いかけにサンドウィッチをむしゃむしゃ食べながら答えてくれた。
「やっぱり、僕だけじゃなかったんだ。真人の鼻でも感じるんだからね。それとジャグ、食べながら話すのはお行儀悪いぞ」
「はい………」
ジャグはそう言うと、しゅんとしてしまった。ひったくりにスリなんてことで生計を立てていた割に、素直な子なのである。
「臭う………」
ジャグの言葉に、シュマは自分の手をクンクンと嗅ぎ、リナは香水を自分の身体に振りかけた。
「若様、この街には良い温泉があります。この家にお風呂がないので、皆で温泉に行くのは如何でしょうか」
コレットがウキウキ感を隠すこともなく皆を温泉に誘った。猫って濡れるのが嫌いじゃなかったかな………、あ、ジャガーはそうでもなかったっけ、と僕はサンドウィッチを頬張りながらぼんやりと考えていた。
この後に発生する事案を思えば、僕はこの時思いっきり反対しておくべきだったのだ。
それが分かれば苦労はしないのだけど。
「ここです。サックの街名物、サック温泉です」
コレットがガイドのように案内してくれたのは、何かの集会場か劇場を思わせる外観の建物で、それが劇場と違うのは、中からイイ感じの温かさと温泉特有の臭いがあることだった。
「中々楽しめそうだね。じゃ、先に入浴が終わったら、ここで待ち合わせで。じゃ」
僕はそう言うと彼女らに手を振って、男湯に入ろうとした。
「若様が入る所はそこではありません」
「もっ」
そんな僕の襟首をコレットが思いっきり引っ張ってくれた。おかげで妙なうめき声を発することになってしまった。
「若様は、私たちと同じですよ」
シュマはコレットにつままれてジタバタする僕をがっしりと豊満な身体でホールドしてきた。
「お背中以外も洗わせてもらいますから」
もがく僕に妖艶な笑みを見せながらレナが舌舐めずりしていた。
周りは敵だらけ、こうなったらジャグに何とかしてもらいたい、
年端も行かぬ子供に助けを求めるのは、しかも丸投げのようにするのは如何なモノかと思ったが、ここは緊急避難とばかりにジャグに目で訴えた。
その時、ジャグがごく普通に女湯に入ろうとしているのが僕の目に飛び込んできた。
「え、ジャグも女湯に………、そっか、子供だもんな」
僕は思わず頓狂な声を上げた。そして、望みが消えたことを悟った。
ははっ乾いた笑いを上げながら僕は観念するしかなかった。
そんな僕をジャグがむすっとした表情で睨みつけた。
「若様、おいら、女だよ」
この時、はじめて僕はジャグの性別を掌握した。僕の中では確立として男7、女3ぐらいだったモノだから彼女の言葉に驚愕を隠せなかった。
「ジャグ、女の子だったのか」
「若様、酷いよ。おいら、若様より若いけど、女歴は若様よりあるんだよ」
僕の言葉がジャグを傷つけたようで、彼女は涙目になりながら僕を睨みつけていた。
「ごめん、今までどちらか確信が持てなかったんだ。………服装も男の子みたいだし………」
僕は何とか言い訳をしたが、ジャグの機嫌はますます悪くなっていくようで、ぷうっとふくれっ面になると「若様ひどいよ………」と呟いてリナの影に隠れてしまった。
「可愛そうに………」
リナはジャグの頭を優しく撫でながら非難がましい視線を投げつけてきた。シュマもコレットも同じように冷たい視線を投げつけている。
「そ、それより、早くお風呂にはいろう。一汗流してさっぱりしたいからね」
僕はその場の恐怖から逃げたくて咄嗟に口走ったが、これは更なる恐怖に自ら足を踏み入れるための第一歩になった。
「目のやり場に困る………」
僕は脱衣場のすみっこで小さくなっていた。もし、前のままだったら今頃僕はこの街の衛士に取っ捕まって首をはねられているいてもおかしくない状況なのだから。
「慣れないから脱げないんですね。私たちにお任せください」
コレットが手をワキワキさせながら迫ってきた。そんなコレットから逃げようと後ずさった時、どんと柔らかい物にぶつかった。
「はーい、確保」
「ボタン、外しまーす」
コレットに羽交い絞めにされた僕はコレットによってひん剥かれてしまった。
ブラジャーを外されて、あの双つの男からしたら魅惑的すぎる膨らみがまろ美出た時、僕は、とてつもない屈辱を感じると同時に大事何かを失ったのを感じた。
「若様、おいらと一緒だ。生えてない。おいらも生えてないよ」
すっばんぽんで一糸まとわぬジャグが僕の身体を見て嬉しそうな声を上げた。
そうだね、立派になりつつあったシンボルも、縮れた毛もジャグと同じで生えてないね。
でもさ、ジャグ、それ追い討ちの一撃だから、さっきの仕返しだとしたら謝るから。
これ以上言うと、泣くぞ。
こんな状態の中、僕は乾いた笑い声を上げることしかできなかった。
「さ、お身体洗いますよー」
「私たちに任せてくださいね」
「素敵な石鹸を用意していますよ。こんなこともあろうかと仕入れておきました」
浴場の洗い場で僕は死んだ目になっていた。
こんな時には、どんなにあがいても彼女らには太刀打ちできないことは、僕は、経験則から知っている。
幼い時、おねしょした時、嫌がる僕をシュマとコレットは裸にひん剥いて浴場でじゃぶじゃぶと洗ってくれた。あの時、男のプライドがどれだけ傷ついたかなんて、知りもしないんだろうな。
そして、現在進行形で実行されているこの行為、僕の男のプライドやら尊厳は泡と一緒に排水口に流れていった。
「あー、若様、洗ってもらってる。おいらでも一人で洗えるのに」
三人がかりでぐしゃぐしゃと洗われている僕を見て、ジャグがおかしそうに声を上げた。
その気持ち分かるが、洗い方がそもそも分からない上、今肉食獣の本性を表しているこの3人にどうやって抵抗できる? いい方法があったら教えてもらいたいぐらいだ。
「綺麗になりましたー」
シュマが宣言すると、コレットが僕の髪をまとめてタオルで巻いて、僕を鍋に具を入れるように湯船に入れてくれた。
「若様、きれいな肌ですね」
「指もきれいだし」
「毛深くないですし」
彼女らは僕に身体を密着させて、あちこちを触って来る。確かに君らに比べると毛深くはない。でも彼女らはその毛皮越しに分かる胸やらなんだかんだを押し付けてくる。嫌ではないのだが、僕には今、反応すべきものがない、その代わり今まで感じたことがないような感触がゾワゾワと来るのは………、嫌ではないけど、このままではアカン状態になると思って彼女らを振りほどこうとしたのだが。
「お風呂の中で暴れちゃダメですよ」
シュマが背後からぎゅっと抱きしめてくる。だから、背中に胸が………。
僕の内なる益荒男が荒れ狂うのだけど、それはどこにもはけ口がなく、行き場を無くした益荒男の暴走は僕の意識をシャットダウンしてくれた。
「いきなり、気を失うなんて、心配しましたよ」
脱衣場でコレットに扇がれている僕は相変わらずシュマにホールドされるように膝枕されていた。
「湯当たりしたかな………」
僕は体を起こそうとしたが、シュマに抑えられてしまった。
しかし、何故か彼女は天然の毛皮だけなんだ。
「若様の着替えはまかせてくださいよ」
シュマはそう言うと僕を抱きかかえるようにして立たせて………、後は着せ替え人形みたいになって、最後はコレットに髪まで梳かしてもらっていた。
コレットも見に纏っているのは天然の毛皮1だけだった。
「赤ちゃんみたいだね」
ジャグはそんな僕をニコニコしながら見つつ、さっさと着替えてしまった。
「そう思いたかったら思えばいいさ」
僕はコレットにリボンを結んでもらいながらむすっとジャグに答えた。
ここで否定して何の説得力もないんだから。
「これからどうするか。決めないとね」
僕は着替えが終わると、着替え中のシュマ、コレットを見ながら声をかけた。
うら若き乙女の生着替えを目の前で見られるという状況に、内なる益荒男が暴れそうなっていたが、お風呂の出来事の後だから、今の彼に暴れるだけの元気はなかった。
「これからのこと? あ、アレですね。手配はしておきました」
リナが冷えた牛乳の瓶を僕に手渡しながら、自慢ありありの表情で胸を張った。
「良くやった。リナ、ありがとう」
「い、いえ、その、ありがとうございます」
リナは僕の言葉に嬉しそうに尻尾を振っていた。僕はそんな彼女の頭をちょっと背伸びして撫でてやった。
「手配って………?」
コレットが僕の言葉に首を傾げる。シュマも何のことか分からないようでポカーンとしているし、ジャグは、いつもの調子で脱衣場のあちこちをうろうろしていた。
「いつまでも、シドレ・ブッコワースでいるわけにはいかないだろ。姿形も変わったんだから、新たな身分が必要と言う事だよ。勿論、毛色の変わったシュマとコレットにも必要だ。これを、リナが事前にに手配していてくれたんだ」
僕は手短に説明するとリナがここで名誉挽回とばかりにドヤ顔で胸を張った。
「新たな身分はいいんですが、若様はもう女性ですよ。そこは大丈夫なんですか? 」
コレットが尤もな事を聞いてきた。確かに、僕が女性になるって言う事は事前に決まっていたことじゃない。そうすると………。僕は、いきなり不安になってきた。
「リナ、どうなんだ? 」
「若様、それは杞憂って言うものですよ。その点は大丈夫です」
リナは僕の言葉にやたらと自信ありげにふふんと鼻で笑って答えた。
「その言葉信じるよ。但し、これで凶状持ちになったりしないよね」
僕が再度リナに確認すると彼女はちょっと視線をずらした。
「それって、安全なの? 」
僕たちの思っていることを代表するようにシュマがリナに尋ねた。
シュマの問いかけへのリナの答えはひきつったような笑みだった。