第一章:第四話
◇ ◇ ◇
あれから一週間が経つ。
本当は一泊させたら、警兵か役所に連れて行こうとしたのだが……。
彼女の衣服を服屋に持って行くと、存在しない繊維だと分かった。
俺とて魔術式も無しに転移してきた異国顔が、そんなモノを持っているなら信じるとも。
「なぁなぁ大家君。この世界地図は本物なのかいっ!?」
「そりゃ、学校の教科書だもの」
そうして彼女は俺と同居中であり、本を通して世界を学んでいた。
外出は控えて貰っている。現代社会とはいえ彼女の戦闘力では物理的に危険だ。
「外を見た時はもしかしてと思ったが……まさかなぁ」
「勝手に書き込まないでね。ノートあげるから」
「分かってるさっ!」
分かって無いアカネさんは、俺の思い出の教科書にマナペンで何かを書き込んでいる。
俺はその姿を見ながら頬杖をついていた。
「……はぁ」
「おいおい、疲れてるのかい。まだ僕との同居生活に慣れないとか?」
「破天荒娘の相手を一週間もしていれば慣れるよ。少し疲れてるだけ」
職場でも俺の腑抜けっぷりに気づく人は多く、怒られたり人生相談に乗られた。
そんな俺が何でアカネさんを追い出さないかと言うと、第一に可愛そうだからだ。
第二に退屈な毎日に、刺激が出来たと楽しんでいた。
「大家君。大家君! 聞いてるのかい!」
「あぁ、聞いてるよ。アカネさん」
「この世界は平面であり、引力は存在しないって本当かい!?」
ぼんやりしているとお転婆娘が俺の肩を揺する。
揺する力は強いが、寝てる時に起こされ事に比べれば大した事でも無い。
「引力……ぁー、物体は引き寄せ合うって映画のアレね。全部本当だよ」
「映画はあるんだ……」
「むしろ科学の世界にも映画って有るんだ」
マナが無い世界で、どうやって光を放つんだ?
理想の画を職人が作る映画は、良質なマナと熟練した職人技が必要な筈だろうに。
「僕つくづく思うんだけど、この世界はいい加減な所があるねぇ」
「魂の原理も分からずに、精神鑑定してる世界に言われてもなぁ」
世界は平面で、海水は下層世界である魔界に落ち、星々には神々の居城がある。
修学旅行ではどちらかに行くのが鉄板だ。
だがアカネさんの世界では、悪魔も神も姿を現さず大地は丸いという。
その癖に神話はあるって、意味分からん。
「空も飛べないファンタジーの癖に……」
「科学世界の人間なのに、飛行機も操縦できない奴は何処の誰だよ」
「飛行機の操縦は特別な訓練と資格がいるんだよっ!」
飛行機があるんなら、幼い頃から飛行機パイロットを目指すだろ。
だけどアカネさんは飛行機を運転した事も無いという……何でだ?
「マギストーブの細かい原理も、異界も説明出来ない君では僕も学び様が無いよ」
「すみませんねぇ……高校の授業内容なんて半分忘れてるもんで」
アカネさんはああでも無い、こうでも無いと叫びながらノートを記す
俺は知識欲に飢えているアカネさんを見て、一つの提案をした。
「俺に聞くより図書館で調べたら?」
「……いいのかいっ!?」
「うん、休日だし。行く?」
「行くともっ! ナニをしてるんだ! 早くいくよ!」
アカネさんが俺の手を引っ張るが、相変わらずリスよりも力が無い。
俺は彼女の笑顔を見て、思わず笑ってしまう。
いつの間にか毎日がフルパワーであるこの子を、好きになった俺がいた。
勿論、性愛ではない。純粋な親愛としてである。
「こんなに可愛いボクと、でかけられて嬉しいだろう? 大家君」
「そりゃぁ嬉しいよ。アカネさんは世界一の美少女だからね」
俺達は軽口を叩きながら、図書館へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
俺達が住む街は都市部では無い。図書館の規模もそれなりである。
稀少本は無いし、人も休日なのに少ない。読書するにはうってつけだ。
そこで貸出本をレンタルした後、この場で本を読む事になった。
俺達が占領した窓辺の席は陽射しが差し込み、紙の湿った匂いが充満している。
居心地の良い空間に、俺は段々眠くなってきた。
「眠いなら帰るかい?」
「うん? うぅん……いんや君を待つよ」
「眠そうな声だねぇ大家君。僕がこの本を読み終えたら帰ろうか」
俺が見守るアカネさんの読書姿は、まるで子供の様だ。
落ち着きなく両足を揺らし、長すぎる袖で手は見えない。
それでも眼光は天才を自称するだけあって鋭く、他人をはっとさせる光を帯びていた。
「にしてもなんで、歴史書なのかなぁ」
「何かおかしいかい?」
「科学者のアカネさんなら、現代技術でも学ぶかと思ってたよ」
彼女は歴史や宗教の本を読んでいる。しかも児童教材ばかりだった。
彼女はそういう本に否定的だと思っていたが、彼女の意見は違う様だ。
「良いかい、大家君。人間とは技術を積み重ねて歴史を作る生き物だ」
「ん~。まぁ確かに技術の無い事で、何か出来る事は無いからね」
「逆に言えば歴史を紐解けば、その世界でどんな技術が求められたか分かるのだよ」
「へぇ……まぁ俺達マギサックラーも、顧客の求める魔術式を作るしなぁ」
分かる様な、分からない話だ。
俺は元から頭が悪い方だし、仕方ないか。
その後もアカネさんは読書をしていたが、遂に目頭を抑えて本を閉じた。
「この児童書の内容は本当なのかい?」
「学習書シリーズだろ? 小学校の頃に読んだ事あるけど大体あってるよ」
子供が興味を持つ様にデフォルトして書いてあるが、嘘は書かれて無い。
だが彼女はまるで狼少年を見る目で、学習書を見ている。
「……そうか」
「アカネさん、大丈夫?」
「いや良い。カルチャーショックを感じただけだ」
「そんなになるなんて、何を読んだのさ」
彼女が読んでいたのは、最も大きい天界の神話だった。
俺達の祖先。アダムとイブに、悪魔がリンゴの形をした罪を食べさせようとし……。
反対に蛇が夕飯代わりに食べられる、良くある神話の教訓話である。
悪魔とはいえ、悪い事はしちゃいけませんって事だな。
「これがどうしたの?」
「この段階でボクらの世界とは違うんだなぁって」
何か神話が違うのか……踊り食いでもしたのか?
「そもそも人類の歴史に大きな戦争が無い。だから医療技術や戦争技術が発展しないのか」
「いやある所ではあるよ?」
東では神様同士の大きな衝突とか、星間規模の戦争がちょくちょくある。
その規模になると、人間は何も手が出せない。
俺が神々の政治事情を話すと、アカネさんは頭を抑えて机に突っ伏す。
「神という絶対的存在が居るから、そこで話が付くのか。人間同士で争う事もほぼ無いと」
「まぁ一部以外は……」
大昔なら所属するエデン同士で、戦争や冷戦も起きたらしい。
だが人間同士が戦っても意味が無かった。
人間の役目は神が侵略した土地に移住して、そこを耕す事である。何より……。
「そんな事してたら虚弱個体の人間は、他の幻獣共に殺されちまうよ」
「人類より強力な個体が居たのも大きいか」
強大な幻獣との戦いに、大人数を導入しても意味が無いからなぁ。
必要なのは強力な個の力だ。それも神々が動けばどうとでもなる。
「それにしても……兵器技術が無いなんて、この国は大丈夫なのかい?」
「えーと言いたい事が分からない。兵器が無くて何がマズいんだ?」
「戦う術が無ければ、他の国に襲われても何もできないんだぞっ!?」
「襲う位、相手の国が困ってるなら、助けてあげれば良いじゃないか」
「……人間は困ってるから、戦争を仕掛けるだけじゃない」
俺は戸惑った。他に何があると言うんだ。
そんな様子を見たアカネさんは余計にヒートアップしだす。
顔を真っ赤にして叫ぶ彼女は、どこか苦しそうだった。
「権力欲や物欲だってある!! むしろ人が争うのに理由なんているものかっ!!」
「その結果、残るものが荒野じゃ意味無いでしょ」
権力なんて沢山あっても、忙しくなって友達と遊べなくなるだけだ。
沢山の物があったって、全部を楽しむ事はできない。
権力者は皆の為に頑張ってるから偉い。沢山物を持てる位、努力した人は凄いってだけだろ。
「戦争なんて誰かを巻き込んでまでする事じゃないよ」
「異世界すぎる……」
アカネさんが椅子に体を預けて、天を仰ぎだす。
司書さんがどうかしたかと見に来たので、俺が謝っておいた。
それにしても異世界は随分と過激な世界だな。戦争なんてモノが本当に起きるなんて。
俺は技術が発展すれば神の手を借りずとも、遊んで暮らせると思っていたが……。
「さて、勉強はできたかい?」
「知りたかった事は分かったし、とりあえずは良いかな」
「そっか。今日は他に寄りたい所もあるから出ようか」
俺達は幾つかの技術書や絵本といった戦利品を手に、図書館を後にした。
次話は本日の午後に投稿致します。