4.空爆
「トーゴ、おまえ日本人なんだってな、日本の商社に勤めているんだろう?
女房はどうした」
「事務所が撤退したときに、所員やその家族と一緒に日本に行かせました。
俺は、東京とここを行ったり来たりで、任期も半々だったんで妻も娘も日本になじんでくれているんです。去年東京にマンションを買ったんで、そこで当分暮らすことになっています」
「おおそうか、それは安心だな。
お前はどうして一緒に帰らなかったんだ」
「はい、一応会社には、現地の情報収集ということにしてあります。
ただ」
「うん? 情報収集で志願兵はねぇだろうよ」
少し考えていたが、こんな場所で取り繕っても仕方がない。トーゴは本音を言うことにした。
「俺はこの国を愛するようになったんですよ、コンラートさん。
この戦争が終わった後、妻と娘が生まれた国に帰って義父母と幸せに暮らせるように、できることをしようと思ったんです」
「そうか」
「すいません、若いとお思いでしょうね。
ですが、日本で国を思って泣く妻と娘のために、俺ができる一番効果的なことだと思ったんです。娘に自慢の父だと言ってもらいたいですよ。死なないようにしないと、あの世で妻にぶっ飛ばされちゃいますけどね。
日本人が参戦してるって、大使館にバレたらお叱りじゃすまないですからね、妻の姓を名乗っているんです」
へへ、と照れ笑いのような、妙に東洋的な笑い顔をするトーゴを、カッサンドラとコンラートは身近に感じてしまった。この得体のしれない、だが外国語であるこの国の言葉をかなり自在に操る男にも、この国生まれの愛する妻と娘がいるのだった。
「いや、ありがたいよ。
トーゴの情報収集力は一流だそうじゃないか。お前を貸してもらえて、俺たちは命拾いしたようなもんだ」
「いえ、そんな……ありがとうございます」
トーゴが持ち込んでいる私物のクーラーボックスからコーラを持ってきて、三人はペットボトルに口を付けながら何となく空を見上げた。あまり時間がたたないうちに、この空は爆撃機の爆音に占領され、慌てて逃げる鳥の羽音もかき消されるのだろうか。
「パパ、トーゴ、あのね、わがままなんだけど」
カッサンドラが静かな声で話しかけた。
「うん? どうした」
「うん、空爆って、爆撃機が抱えている爆弾を投下し終わったら、帰投してしまってそこで一回終わるでしょ?」
「ああ、波状攻撃できるほどの爆撃機は投入しないはずだ。別に最終決戦って訳じゃないからな」
「だったら、街の近くで待機して、空爆が落ち着いたところで街に入れないかな。
病院とか大変なことになるでしょう? 物資はいくらあっても足りないと思う」
「ああ、なるほど。
トーゴ、お前どう思う」
トーゴは手元のアイパッドを操作して、規則と手順を確認していた。
「えー、輸送物資の届け先が戦場になる可能性が高くなったと判断できるとき、ですけど、
一時的に安全を確保して、指示を仰ぐこと、となっています」
「おう、便利な時代になったな、いや、お前くらいだぞ、手順確認するなんて」
あきれた声のコンラート。カッサンドラも笑っている。
「トーゴ、日本人って、そんな感じなの?」
笑ったカッサンドラの顔色がよくなったので、トーゴはそれはそれでよかったかな、と思っている。
「あのな、本部は、俺とコネのやり取りを知らない、だから、俺たちが空爆があると予想しているとは思わない。その手順書には当てはまらないんだ。本部から指示があるまでは、ルートを外れない方がいい」
「そう言われてみれば。
でも、俺は、危険には近づかないでいたいですよ、死んだ後まで妻に恨まれます」
「わかった。空爆開始の時間は不明だ、街まで十キロ地点まで行って、そこで夕方まで待とう。夜間空爆もありうるが、目標は指定されているだろうから視認もできる明るい時間帯を選ぶだろう」
夜になったところで街に入ろう。待ち伏せがあったとしても、空爆の後は街に帰っているだろうよ」
「明るいうちは街に入らないなら、それでいいです」
目的地までおよそ十キロ地点まで移動し、トラックとハマーを停めておいても交通の邪魔にならない場所を探した。
街路樹の向こうは一面の麦畑だ。これといって特徴のない単調な道だったが、すこし広くなっているところを見つけて、トラックをぎりぎりまで端に寄せた。ハマーはその前に停める。
「連絡はどうします?」
「おお、タイヤ交換とエンジンのちょっとしたトラブルということにする。本部に連絡しておいてくれるか、自力で修繕できる程度、今日のうちに目的地に到着可能、ということで頼む」
「了解です」
トーゴが連絡している間に、コンラートはトラック下部に装備してある予備のタイヤを転がしてきて、それらしく工具箱を傍に置いてレンチを握っている。車が通る時だけレンチを振り回して見せる。徐行して「なんか手伝えるか」と聞いて来るトラックがいたが、「おう、タイヤ交換するだけだ、ありがとよ」とレンチを振り上げて答えていた。左手の親指を上げて街の方向へ進んでいくドライバーを見るのは、誰にとっても楽な気分ではない。
カッサンドラはトラックの運転席で休憩中、トーゴは護衛という任務に忠実に、通信機を耳に当ててコンラートの傍に軽機関銃を下げて立っている。
まもなく正午という頃、それは始まった。
街の方向から腹の底に響く、ドーン、という音がして、道路上空を爆撃機が飛んでくる。
コンラートがタイヤと道具箱をもとの場所に戻し、トラックの中にいるカッサンドラの様子を見に行った。カッサンドラは、青ざめてはいたが、落ち着いて座っていた。
娘の肩に軽く触れ、運転席後ろの武器置き場から、肩担ぎ式の対空砲を取り出した。
トーゴは、すごく焦っていた。
だって、トーゴはただの商社員、情報収集にこそ長けているが、いわばヲタクが商社員向けに軽く変身しただけの、生粋のヲタク系日本人なのだ。専門書を読み終わったら、積んであるライトノベルを読む。大学時代は「メロディー」の読者だったのだ、チョー内緒だけど。
え?撃つの?爆撃機落とすつもりデスか、マジですか!
道路の真ん中に、対空砲を肩に担いで仁王立ちしたコンラートは、落ち着いていた。
この高さで弾が当たれば乗員の命はないことはわかっていた。だが、この機の同型機は孫を殺した。そして今、この機は誰かの孫を殺してきた。そればかりか上空を飛んでいるだけで自分の娘を恐怖に陥れている。
一撃入れられるならば、死んでも悔いはない。
訓練は兵士を裏切らない。一機の腹に狙いを定めて、ボタンを押した。
命中。
コンラートはトラックに駆け込み、カッサンドラの上に覆いかぶさって体で娘をかばった。通信機からトーゴに命令する。
「車にもどれ! すぐに反撃が来る。墜落の余波もある」
トーゴはとっくに戻っていた。だってほかにどうしようもなかったのだ。
(少なくとも自分は) 安全戦争宣言!
座席に伏せて目と耳を両手で覆った。爆音や衝撃で眼球が飛び出して落ちたり、鼓膜が破れたりすることもあることは聞いていた。安全姿勢の練習は情報担当兵士を裏切らない、かもしれない。
死んだら意味ないじゃんねー、眼球が無事でもね。
麦畑の真ん中に爆撃機が落ち、それに気づいた後続の機のうちまだ弾を余らせていたものが、僚機の墜落に報復するために道路沿いに次々と落とした。
爆音と巻き上がる土砂の中、三人は死んだ、と思った。
「アンナ、花蓮ごめんよ、生命保険と遺族年金と、弔慰金と退職金で幸せに生きてね、ごめんよ、ごめんね」
それがトーゴの最後の意識だった。