13.洗濯とシャワー
次の朝、やたらさわやかに目覚めてしまい、トーゴは自分に驚いた。
転移してきてもう四日だ。転移したといっても元の体は地球に置いてきている。こちらにはいわばコピーが来ているのだろうから、その体に精神がなじんだのかもしれなかった。
カッサンドラとコンラートも調子がいいという。理由は何であっても、生存率が上がるのならいいことだった。
トーゴの索敵で周辺には問題になる生き物はいないことを確認し、伸びをしてからテーブル・イス・コンロなどを貨物室から引っ張り出した。
コンラートが、地面にかすかな足跡を見つけて、トラックの梯子を上がる。
「おい、トーゴ」
「はい?」
「ちょっと上がってきてくれ」
貨物室の上に、少しの土と、爪でひっかいた跡が残っていた。
いや、頑丈なつくりでよかった、と力を抜いたが、夜中に魔獣が天井を通って行ったのかと思うと、なにも気づかず寝ていた自分たちが悲しかった。
だが、結果からみれば、通って行った何かも自分たち (相手から見れば多分エサ)に気が付かなかったのだから、トラックさまさま、というところだろうか。
貨物室が直方体の金属である貨物トラックは、それをはじめて見る生き物からすれば、妙な塊だろう。この世界ではちょっと、いや相当、珍しいのかもしれない。
この森の魔獣が、どのようにエサや敵を感知しているのかわからないが、仮に呼吸とか、あるいは生命力のようなものを感知しているとすれば、トラックの貨物室は無敵のシェルターということになる。
「そうだ、念のためにタイヤを守ろう」
いきなり大声を出したトーゴをコンラートが不審な目で見た。興奮したトーゴが、トラックシェルター説を打ち出し、巨大なくちばしや鋭い爪でつつかれたらタイヤが危ないとか力説する。
ゴムの臭いがするだろう、ヤツラにとっては変な臭いだろ、わざわざ近寄らないさ大丈夫なんじゃないか、とかコンラートが茶々を入れた。
コンラートもトーゴの扱いに慣れてきたようだ。
タイヤの前に岩でも置いておくか?いや、足場になってもどうかと思うから、薬草の汁でも擦り付けておくか、と、トーゴ。
いやいや、それが魔獣の好みのにおいだったらどうするんだ、とコンラート。
マジなトーゴ対ニマニマ笑いのコンラートが、掛け合いを展開しながらトラックから降りた。
相変わらず保存食の朝食を食べながら、今日の予定を話し合う。
カッサンドラはもちろん鑑定と採集だ。コンラートがついて行って、昼までには一度帰ることになった。
トーゴは?と聞かれて、ちょっとにやりとした。
「カッサンドラさん、シャワー浴びたくないです?」
「え、シャワーって? できるの?」
「まあ、できなくはないです。魅力でしょ?」
「もちろん!」
この世界に来てから、体を軽く拭う程度のことしかできていない。
「手間がかかるので、少し協力してください。川沿いにハマーを出して作業していますので、帰ってきたら様子を見に来てくださいね。
あと、匂いのいい野草、ハーブのようなものを採ってきてください。少し煮出して、お湯に匂いを付けましょう。
お湯を作るので、洗濯もしましょうか」
「石鹸はあるわ」
「そうでしたね、すすぎの時に使うといいと思いますよ。少しだけワインビネガーを加えると、髪の毛も洗濯物も仕上がりが柔らかくなると思います」
「おまえは妙なことを知っているなぁ」
「アンナがハーブ好きだったんです。それに商社に勤めていましたからね、雑学は身を助けるんですよ。レクチャーしてもらって、いろいろと」
「はぁ、そういうもんか?」
採集と鑑定を満喫して午前中を過ごしたカッサンドラが、コンラートに守られながらハマーのところまで来ると、ハマーの周囲は防御結界で薄い青色に光っていた。
ハマーの天井には衣装ケースが並び、日光で温まったぬるいお湯が溜まっていた。
トーゴは、金槌と釘でブリキバケツの底にシャワー用の小さな穴をあけていた。
「おわー、凄いな、こりゃ」
「トーゴ、バケツで水を持ち上げたの?」
「まさか、そこまで体力ないですよ。
日本で買ってきて使い道がなかった、小型電動揚水機です」
「うん?」
「えーっと、説明しても文化の違いがあるからなぁ。
えーっとですね、日本では毎晩入浴します。お湯はバスタブに溜めて、そのお湯を家族全員が順番に使います。あ、体を洗うのは、バスタブの外ですから。
シャワーもついていますよ。
ちょっとわかんないですよね。まあ、そういうものだと思ってください、スパ(療養型温泉)の家庭版だと。
それでですね、お湯をきれいに使って、残ったお湯を流さないんですよ。蓋をして朝までバスタブに残しておいて、洗濯の時使うんです。冷え切るってことがなくて、少し暖かいので汚れが落ちやすくて洗剤も節約できますから。
その時、浴槽から洗濯機まで、この」
と、蛇腹ホースの一方の端に小さな機械が付いたものを指さす。
「これが、その残り湯を洗濯機に送るための装置です。洗濯機がバスルームの隣にあることが多いんですよ。
わかりにくいですよねぇ、全然習慣が違いますから。
ま、そういうことで、使おうと思って日本で買ってきたんですけど、ホースの長さが足らなくて使いませんでした、はい。
こんなところで役に立つとはねぇ、はあ」
カッサンドラとコンラートはトーゴの話はよくわからなかったが、その小型揚水機を、なぜ志願するときに持ってきたのか、そっちの方が気になった。
しかし、もう今更だった。質問して答えてもらってもどうせ訳が分からないだろう。
まあ、とにかく、その揚水機のおかげで、シャワーが浴びられるなら問題なんかない。もうスルーしてしまうことにした。
ドローンにしろ、揚水機にしろ、役に立ってんだからそれでいいじゃないか!
小川のほとり、ちょうどいい高さの木の枝に小さな穴をたくさん開けたバケツを吊るし、衣装ケースからバケツへ、サイフォンの原理を使ってぬるいお湯を注ぐことができるようだった。
よくわからないことの連続だが、上にブリキのバケツ、足元には荷物パレットだったすのこを敷いて、カッサンドラはシャワーを満喫した。
ハマーの上ではコンラートが大活躍だ。娘がシャワーを浴びているのを覗かれるのは父親の面目に関わるので、いちいちトーゴの指示を受けながら、衣装ケースの日向ぬくもり水をブリキバケツに流し込んだ。
髪と体を石鹸で洗って、心までさっぱりしたところで、トーゴが煮出してくれたハーブを薄めたぬるいお湯を被って、全身がいい匂いになったのだった。
コンラートとトーゴはシャワーなんて面倒なことはしない。単にお湯を被って石鹸で体を洗い、タオルでバサバサと拭いたら終りだ。
トーゴは、電気カミソリ機を取り出して、ご機嫌でひげを剃った。高湿度の中、ひげを剃らないでいたから、顎がかゆい。
コンラートは、剃刀派だった。だが、あいにく持ってきていなかったので、カッサンドラから鋏を借りて、精一杯短く切る。切り残しが目立つ顔のあちこちを気持ち悪そうにさすっていた。
洗濯用に地面に並べた容器で温めておいた水を使い、四日分の下着と、着替えがある分の服を洗濯した。最後にハーブ水に少しワインビネガーを垂らしたぬるま湯で濯いだところで、濡れて重い洗濯物をぬるま湯を使い終わった衣装ケースに入れてハマーに積み込み、できるだけトラックの近くまで運んで行った。
ランチタイムを忘れてシャワーと洗濯に熱中していたので、これはハイ・ティーってやつかな、と言いながら、四時ごろにパスタとミネストローネで食事になった。
この日から、カッサンドラが採取した薬効のある野草を野菜代わりに使うようになり、コンラートが見つけたフルーツやナッツのようなものも食べた。味は悪くない。
車と木の間に渡したロープに干した洗濯物から、ぽたぽたと水が滴る中でなければ、まあ、なかなかのハイ・ティーではあった。