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99.泣いた幽鬼


「私は貴方と違って魔法の才能はなかったから、得意の水属性だって他の魔法使いのようにうまく使えない。既に存在する水を操作することはできても、魔力で新しく水を生み出すことはできないのよ」


「…………」


「だから、代わりに水を操作する力を極限にまで高めたの。おかげで、敵の体内の水を操って爆砕することも、こうやって自分の血を剣にすることだってできるようになったわ」


「血の剣、だと……?」


 ジャスティはアンジェリカの肩へと目を向ける。そこには刃物で裂いたような傷ができており、飾り気のないデザインのドレスを赤く染めている。

 どうやら自分で自分の身体を切って、そこから流れる血で剣を作ったようである。


「タダの血だと思わないことね。貴方は知らないかもしれないけど、血液の中には多量の鉄分が含まれているのよ? それをうまい具合に操作すれば…………ほら」


 アンジェリカが血の剣を翻す。すると、崩落から逃れていた石壁の残骸が紙を切るようにスパスパと切断される。


「この剣は魔力操作によって小刻みに振動しているの。石でも鉄でも簡単に斬ることができるわ。それに水だからこんなふうに形だって変えられる」


「っ……!」


 背筋に感じた悪寒に、ジャスティが大きく飛びのいた。

 アンジェリカの手の中にある剣が、蛇が噛みつくような動きでジャスティがいた場所に突き刺さる。薄く、長く引き伸ばした血の刃によって地面が大きく抉られた。

 アンジェリカの血によって生み出された剣は変幻自在にして伸縮自在。剣身を伸ばして遠くの敵を攻撃することもできるのだった。


「なるほど……その剣で私の背中を斬ったのか。切り札を温存していたのはそちらも同じということですな」


 戦慄とともにつぶやいて、ジャスティは手の中の槍を握り締めた。


「オイギスト隊長……!」


「下がっていろ! 他の者も手出しは許さん!」


 ジャスティは集まってきている兵士達に鋭く命じた。

 今のアンジェリカが相手では、生半可な救援など足手纏いにしかならないだろう。無駄な死人を増やすよりも、一人で相手をした方がずっといいに決まっている。


「アンジェリカ殿、もはや生け捕りなどという無礼は致しません。全力で、殺すつもりでお相手いたす」


「私は最初からそのつもりよ。本気になるのが遅いわ」


 アンジェリカの右目に宿る狂気のごとく殺意の光。ジャスティはそれを真っ向から見返しながら体内の魔力を練り上げていく。


(運が良ければ戦いの音を聞いたレイドール殿下が駆けつけてくれるやもしれぬが……いや、期待はすまい。もはや殺し合うのみ)


 ジャスティは本気でアンジェリカを殺す覚悟を決めた。


「フッ、クククッ……」


 アンジェリカもまたジャスティの本気を読み取った。

 幽鬼の表情のまま口の端をつり上げて、背筋が凍えるような笑みを浮かべる。血の刃を構え、お互いの全力をぶつけ合う一瞬へと備えた。

 一触即発。周囲の兵士もこれから始まるであろう死闘に呼吸も忘れて見入っている。


「…………」


「…………」


 睨み合っていたのはごくわずかな間。すぐにどちらともなく動き出した。


「待ってください!」


 しかし、制止の声は意外なところから入ってきた。

 戦いを見守っていた兵士をかき分けて一人の少年が進み出てきて、二人の間に割って入ったのだ。


「スヴェン……!」


 ジャスティが少年の名前を呼ぶ。

 二人の戦いに水を差したのはスヴェン・アーベイル。レイドール軍の軍師である少年だった。


「カルトリスの町はすでにレイドール殿下に降伏し、その管理下に置かれています! この町での私闘は殿下の顔に泥を塗るものと知りなさい!」


「やめろ、スヴェン! 今のアンジェリカ殿は話が通じる状態では……!」


「スヴェン・アーベイル……!」


 ジャスティがスヴェンを押しとどめようとするが、それよりも速くアンジェリカが動いた。

 右足で地面を蹴って、ジャスティの盾になって立ちふさがるスヴェンへと肉薄する。


「っ……!」


 スヴェンが目を見開く。

 一瞬で少年の前まで移動したアンジェリカは、右手で血の剣を翻した。


「スヴェン……!」


 ジャスティが叫んだ。

 鋼鉄をも切断する血液の高周波ブレードが少年に向かって振り下ろされる。


「スヴェン……! 生きていてよかった!」


 ……などということはなかった。

 アンジェリカは血の刃を柄になっている短剣ごと放り投げ、正面からスヴェンに抱き着いたのだ。

 ふくよかな胸に包み込むように少年の頭を抱きかかえて、両手でギュッと抱擁する。


「は……?」


 呆けて立ちすくむジャスティの手から槍がこぼれて、カランコロンと地面を転がる。

 先ほどまで殺し合いをしていた相手を無視して、アンジェリカはさらに強くスヴェンを抱きしめる。


「ああ……スヴェン! よかった、生きていてくれてよかった!」


「へ、あ……えーと、アンジェリカさん?」


「アーベイル伯爵家が滅ぼされたと聞いていましたが、貴方が生きていてくれて本当によかった! 今日は何と素晴らしい日でしょう!」


 つい数分前までの血に飢えた凶相はどこに行ってしまったのだろうか。アンジェリカは無事な右目からポロポロと涙をこぼしている。

 その慈母のごとき顔はかつてジャスティが憧れていた女性そのものであり、状況を忘れて見惚れてしまった。


 そんな彼らの下へと、騒ぎを聞きつけたレイドールが屋敷から現れた。その背後にはダレンと護衛の兵士の姿もある。


「……おい、ジャスティ。これはどんな状況だ? うちの軍師は何をやっているんだよ」


「で、殿下……これはその、何と申しますか……」


 主君の詰問にジャスティは言いよどむ。

 レイドール軍の陣地には明らかに戦いがあったと思われる破壊の痕跡があり、ジャスティは背中を斬られて血を流している。

 そして、なぜか自分の軍師である少年が顔に包帯を巻いた女に抱き着かれており、わんわんと泣かれているのだ。

 この現場を見て状況を正確に予想するなど、大陸中の賢者を集めたって不可能に違いない。


「まいったなあ、これってひょっとして浮気現場じゃないのかな?」


 少し遅れて追いついてきたブラッド・イルカスがつぶやいた。


「新婚早々に若い男に浮気をされるなんて新しい性癖に目覚めちゃうじゃないか。いくら僕だって、そこまでストライクゾーンは広くないんだけど……」


 飄々とした狐にしては珍しく本気で困り果てたような声音である。


「よかった、無事でよかったよお……! スヴェン……よかったあああ……!」


 途方に暮れたような男達を尻目に、アンジェリカ・イルカスは子供のように泣き続けるのであった。


いつも応援ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 0か1かしかないんだなあ。
[一言] は? はあ?
[一言] あれ?スヴェンはセーフなのか。
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