94.虎穴の蛇
カルシファー伯爵家の滅亡の報告を受けて数日後。
レイドール軍はカルシファー伯爵領にあるカルトリスの町へと到着した。
城塞都市であるカルトリスであったが、現在は城門が開け放たれている。伯爵家の旗が掲げられた城壁にも見張りの兵士は最小限しか見当たらない。
まるで敵意がないことをアピールしているかのような町の姿に、レイドールはわずかに眉をひそめた。
「……どう思う? 何かの罠だと思うか?」
「さて……どうでしょうか」
疑問をぶつけられたのはレイドール軍の将軍に任命されたダレン・ガルストである。
ダレンは鋭い眼差しで城壁の左右へと視線を走らせて、「ふむ?」と首を傾げた。
「敵意などは感じませんが……レイドール殿下を町の中へとおびき寄せて討つための罠かと聞かれれば、否定はできませんな」
「虎穴に入らずんば、ってやつか。まあいい。ブラッド・カルシファーとやらが何を考えているのか見極めるとしようか」
すでにカルシファー伯爵家が、嫡子であるブラッド・カルシファーによるクーデターによって滅亡したことを密偵から聞いている。
レイドールの下に届いている情報によると、ブラッドは三つの貴族家が集まっている会合の最中に反逆を起こして当主らを殺害したとのことである。
それからさらに当主を失ったキルギス男爵家とクベルトス子爵家の領地を制圧し、逆らう人間や貴族家の生き残りを一人残らず皆殺しにしていた。
(……鮮やかな手際の良さ。おそらく、かなり前から計画をして準備を進めていたに違いない。間違いなく、ブラッド・カルシファーは曲者だな)
問題はブラッドがレイドールにとって有益な人物か、それとも危険な人物かである。
ここぞという場面で乾坤一擲をぶつけてくる思慮深さ、大胆さは軍師のスヴェンと通じるものがある。
しかし、己の父親すらも手にかける非情さはとても油断できるものではない。
仮にブラッドがレイドールに服従を誓ったとしても、親ですら裏切れる男だ。主君となったレイドールのことだって、必要とあらば平然と切り捨てて見せるだろう。
「やあやあ、よくぞお越しになりました!」
レイドールが城門をくぐるや、すぐに見慣れない男が声をかけてきた。
金色の髪をオールバックにして、黒のタキシードというこれからパーティーにでも行くかのような格好をしている。胸にはバラの花まで飾っているのが妙に間が抜けて見えた。
「……殿下、あやつがブラッドです」
「……そうか」
ジャスティ・オイギストの進言に、レイドールは頷いた。
「出迎えご苦労。ブラッド・カルシファー卿」
「ははあ! レイドール殿下も遠いところをご足労いただき、真にありがとうございます! 一度は帝国のものとなったこの町に再びザイン王家の方を迎えることができて、至極光栄でございます!」
ブラッドが芝居がかった動作で膝をつき、頭を下げる。
レイドールは馬上から降りることなく、胡散臭そうにブラッドを見下ろした。
「……さっそく確認させてもらいたいのだが、この様子を見るにカルシファー伯爵家は我が軍に降伏するということで構わないのか?」
「無論でございますとも。我らにザイン王家に逆らう意思はございません」
「王家に、ね……」
それは単に言葉通りの意味なのか。
それとも、レイドールが兄王グラナードと反目していることを知ったうえで、皮肉でも口にしているつもりなのか。
ブラッドの内心は初対面のレイドールには察することができないが、とりあえず戦闘になることはなさそうである。
「ああ、ただ一つだけ訂正をさせていただきたい」
「ん? 言ってみろ」
「私はブラッド・カルシファーではございません。そして、ここはカルシファー伯爵家でもありません」
ブラッドが立ち上がって大きく両手を広げた。すると、町の周囲を取り囲む城壁の上にいた兵士が一斉に動き出す。
突然、動き出した兵士にレイドール軍に緊張が走ったのは数秒。すぐに唖然として城壁を見上げることになった。
「この町はイルカス子爵家。そして、私の名前はブラッド・イルカスですよ」
城壁の上に掲げられていたカルシファー伯爵家の旗が、兵士の手によって一斉に下げられる。
代わりに掲げられたのは青地の布に蛇を咥えた鷹の紋章。帝国との戦いで滅亡したはずのイルカス子爵家の紋章であった。
「もはや私は裏切り者のカルシファー伯爵家の人間にあらず。忠義の士であるイルカス子爵家の人間として、ザイン王国に忠誠を誓わせていただきます」
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