89.新生レイドール軍の初陣
レイドールが東方国境地域に遠征を始めてから数ヵ月が経過した。
アーベイル伯爵家の遺児であるスヴェン・アーベイルが軍師としてレイドールへの忠誠を誓い。
ウルファート子爵家がスヴェンの策略によって、敵味方ともにほとんど被害を出すことなく制圧された。
さらに――紆余曲折あったものの、エラディン男爵家とオイギスト子爵家がレイドールに降伏をして領地を明け渡し、シャーリー・エラディンとジャスティ・オイギストという癖の強い二人が傘下に降ってきた。
これにより、すでに帝国との戦いで滅亡しているイルカス子爵家を除いて、『東部八家』と呼ばれる国境貴族の過半数がレイドールの制圧下に置かれることになったのである。
そして、ようやく再編成が終了した王国軍――レイドール軍は北へと進んで行った。
次に目指すのはカルシファー伯爵領。帝国に寝返った裏切り貴族の一つであり、東方国境地域においてアーベイル伯爵家と並んで強い力を持っている大貴族の領地である。
かつてはたったの一千しかいなかった軍は征服した町々で兵を募り、すでに五千まで膨れ上がっている。
五倍になった兵士を管理するのは容易ではないはずなのだが、一連の戦いを通じて有能な仕官・文官を多く得たことによって問題は解決している。
元々、千騎長として騎兵を率いていたダレン・ガルストが暫定的な将軍に任命された。
そして、副官である女騎士サーラ・ライフェットと、決闘を通じて服属したジャスティ・オイギストがダレンの左右を固めている。
さらに、スヴェン・アーベイルが護衛として連れていたアーベイル家の騎士隊長、エラディン男爵家の兵士長が新たに千人隊長として任命された。
この五人がそれぞれ千の兵士を率いて、大将として先頭を馬で駆り、カルシファー伯爵領を目指すレイドールの後ろに続いている。
レイドールの横には軍師となったスヴェンの姿もあった。
かつて親族であるウルファート子爵に裏切られ、帝国に領地を滅ぼされて逃げ延びた少年であったが、今は堂々と胸を張って子供だてらに馬を乗りこなしている。
「じきにカルシファー伯爵領に到着します。レイドール殿下」
「そうか」
スヴェンの言葉にレイドールは頷いた。
カルシファー伯爵家は東方国境地域において最大規模の貴族である。
その兵力は屈指であり、もしも彼らが帝国に降伏することなく抵抗していたのであれば、帝国軍は容易くブレイン要塞まで到着することはできなかったに違いない。
加えて、カルシファー伯爵家はキルギス男爵家とクベルトス子爵家を傘下にしている。
三つの貴族家の総兵力は一万を超えている。偵察に出した斥候の報告では、すでに敵の兵はカルトリスという町に集結してこちらを迎え撃つ準備を整えているとのことだった。
「これがこの軍の実質的な初陣になりますね」
「初陣にして決戦とは泣かせるよな。兵が浮き足立たないといいんだが」
「大丈夫ですよ。ダレンさんは優秀ですし、ジャスティさんもいますから」
レイドールの懸念にスヴェンが自信満々に胸を張る。
敵の兵力は自軍の二倍である。兵法の基礎に則るのであれば、戦うことなく撤退するのが良策とされる場面である。
しかし、スヴェンは敗北するとは少しも思ってはいない。
自分達が丹精込めて作り上げたこの軍に、敗北などありえないと確信していた。
「カルシファー伯爵家はたしかに巨大。仮に僕の実家が健在であったとしても、まともに戦って勝てる相手ではありません。だけど、今は士気が落ちていて十分に力を発揮できる状況ではありません」
カルシファー伯爵家はザイン王家を裏切り、アルスライン帝国に寝返った裏切り者である。
それは生き残って領地を保全するため、貴族としての合理的な判断だったのかもしれない。しかし、忠義を重んじている兵士達の中には、不忠を働いた主君に対して不満や不信感を覚えている者も少なくない。
「ましてや、こちらには帝国を打ち破った聖剣保持者がいるのです。浮き足立っているのは敵軍のほうでしょうね」
「だったらいいんだがな。とはいえ、俺ばかりが活躍するわけにもいかないな」
「そうですね。編成したばかりの軍にも実戦経験を積ませたいですし、できれば殿下の御力を借りずに勝利したいものです」
スヴェンがコクコクと頷いて同意する。
いくら聖剣の力があるとはいえ、その力に頼ってばかりの軍はいざという時に頼りにならない烏合の集まりになってしまうだろう。
苦労してつくった軍を完成させるためにも、ここで本物の戦争を経験させておく必要があった。
「ご安心ください。殿下の御手を煩わせることは致しません」
「当然ですな。カルシファーごとき、我らだけで十分です!」
どうやらレイドールとスヴェンの会話を聞いていたらしく、ダレンとジャスティが馬で走り寄ってきて力強く断言する。
貴公子のような秀麗な顔立ちのダレン・ガルスト。
学者のような知的な顔に、筋肉を盛りに盛ったジャスティ・オイギスト。
二人は顔立ちや性格こそ大きく異なるものの、武人としては気が合うらしくすぐに打ち解けている。
昨晩も夜遅くまでカルシファー伯爵家の侵攻について戦略を練っていたらしく、白熱した議論の声が部屋の外まで響いていた。
「新生レイドール軍の華々しい初戦。ガルストの名に懸けて必ずや勝利を飾って見せます!」
「同じく、一度は裏切ったオイギストの汚名を晴らすためにも、カルシファー伯爵家を打ち破って御覧に入れましょう!」
「頼もしいことだ。よろしく頼むぞ」
二人の武人の忠義にレイドールは笑顔で応えた。
この二人ならば、決してレイドールの期待を裏切ることはしないだろう。
カルシファー伯爵がどれくらいの力を持っているのかわからないが、鎧袖一触に薙ぎ倒すに違いない。
(さあ、決戦と行こうじゃないか。たった一人で辺境に追放された俺は、家臣を手に入れた。軍を手に入れた。力を手に入れた! もう止めることなんてできないぜ!)
きっと自分の勝利を聞いてグラナードも悔しがることだろう。
地団太を踏む兄の顔を思い浮かべ、レイドールはフッと冷笑をこぼす。
必ずやこの戦いに勝利して見せる――その確固たる決意を改めて抱え、馬の手綱を握り締める。
しかし――
「レイドール殿下―! 火急の知らせですよー!」
「あ?」
そんなレイドールの決意を嘲笑うように、パタパタと手を振りながら声をかけてくる人物がいた。
レイドール軍が向かう進行方向上に立っているその人物は、かつて『火喰い鳥』と呼ばれた密偵である。部下とともにカルシファー伯爵領に潜入していたはずのその男は、横に馬を停めてレイドールを待ち構えていたのだ。
「フレアバード……? いったいどうした?」
「はいはい、ちょいと横を失礼しますよ」
『火喰い鳥』――フレアバードが馬に乗ってレイドールの横に並ぶ。
いつも通りに咥えタバコをしたその男は、気のない声でレイドールに報告を始める。
「ちょいとカルトリスの町で問題が起こりましたので、報告に来ましたよ」
「問題? 敵に援軍でもいたのか?」
懸念しているのは、帝国軍がこの戦いに横やりを入れてくることである。
帝国にとって、東方国境地域は苦労して削り取った領地の一部である。そこを奪還されれば、この戦いそのものが無駄になってしまい敗北しか残らなくなってしまう。
ブレイン要塞での被害により干渉する余力はないと踏んでいたのだが、まさかここにきて参戦してきたのだろうか?
そう思って緊張した面持ちになるレイドールであったが、フレアバードが首を振る。
「いーえ、どちらかというと逆ですよ」
「逆?」
「カルシファー伯爵家が滅ぼされました。キルギス男爵家とクベルトス子爵家もまとめてやられたみたいですよ」
「はあ!?」
予想外の報告を受けて、レイドールは思わず声を裏返らせた。
新生レイドール軍にとっての初めての戦い。華々しい勝利で飾るはずだった戦いは、まさかの不戦勝という結果で終わってしまったようだった。
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