86.公爵令嬢の帰還
東方国境地域で戦いが佳境へと向かって行く中、ザイン王国の中心である王都でもまた一つの変事が生じていた。
王都の貴族街にある屋敷の一つ。
国王グラナード・ザインに仕える臣下の一人であるエイブ・マクベスの館にとある珍客が訪れていた。
「ふむ……このような夜更けに何の御用ですかな?」
屋敷の主であるマクベスは長い白髭を撫でつけながら、椅子に腰かけている客人へと尋ねた。
マクベスの声にはやや咎めるような色合いが宿っている。
すでに時間は夜半に近い。王宮で法務卿の役職についている高位貴族であるマクベスの屋敷をこんな時間に訪れるなど、あまりにも礼儀知らずなことである。
それでも、マクベスが客人を追い返すことなく屋敷の応接間へと迎え入れたのは、その相手がマクベスをもってしても無下にはできない人物だったからである。
「このような時間に申し訳ございません。マクベス卿」
涼しげな声音で言って、頭を下げたのは簡素なドレスに身を包んだ若い女性だった。
彼女の名前はメルティナ・マーセル。
ザイン王国の宰相であるロックウッド・マーセルの実娘であり、王弟であるレイドール・ザインの婚約者であった女である。
彼女の背後にはメイドらしき女性が控えており、背筋を伸ばして無言のまま立っている。
(いったい何の用だ。こんな時間に?)
マクベスはわしゃわしゃとヒゲを掻きまわしながら内心で首を傾げる。
マクベスは70代の高齢で、権謀術数の渦巻く政治の世界で何十年も生き抜いてきた老獪な貴族である。
そんな経験豊富なマクベスにとっても、メルティナの来訪はまるで予想外のものだった。
そもそも、メルティナは数ヵ月前にレイドール・ザインを呪いで操ろうとした罪によって囚われの身となっており、それ以来、王都には姿を見せていなかった。
かつてはサロンの花として貴族の婦女子をまとめていたメルティナだったが、すでに宮廷において彼女は無いものとして扱われている。
二度と表舞台に登場することはないと誰もが思っていたメルティナの来訪に、マクベスも内心で戸惑いを隠せなかった。
「上品な味わいですわ。さすがは法務卿であられるお方。飲んでいる紅茶も一味違いますね」
「…………」
そんなマクベスの困惑をよそに、メルティナは優雅な所作で出された紅茶を口に運んでいる。
マクベスはしばし探るような目でメルティナを見つめていたが、やがて諦めたように溜息をついた。
「……そろそろ来訪の理由を聞かせていただいてもよろしいですかな? なにせこの老体です。夜更かしは身体に応えるのですよ」
「あら、これはいけませんわ。私としたことがご無礼をいたしました」
メルティナは今気がついたとばかりに口に手をあてて、驚いた顔を作った。
しらじらしい態度にマクベスはわずかに苛立ちを覚えるが、それでも老獪な貴族らしく、表面上は好々爺とした表情を崩さない。
「ほっほっほ、若いお嬢さんとお話しできるのは嬉しいことですがな。できることならもっと常識的な時間に来ていただきたかったものです」
「うふふ、重ね重ね申し訳ございません。用事が用事だけに、人目に付く時間帯に来るのがかえって迷惑になるかと思いまして」
「ほう? これは穏やかではない。よもや良からぬ相談事ですかな?」
「ええ、マクベス卿にとってはそうかもしれませんわね」
うふふ、と上品に笑うメルティナにマクベスは目を細める。
先ほどからこちらをはぐらかすばかりで埒が明かない。ここは単刀直入に訊いたほうがよさそうだ。
「メルティナ嬢、いかに夜中とはいえ私も暇ではないのですよ。ただでさえ、帝国との戦争の後始末で忙しい時期ですから。用件がないのでしたら、帰っていただけますかな?」
「あら、それではそろそろ本題に入らせていただけましょうか」
やや厳しめな口調で言われ、メルティナはようやくティーカップをテーブルに置いた。
まっすぐな目でマクベスのことを見つめながら口を開く。
「単刀直入に申し上げますわ、エイブ・マクベス法務卿。貴方は帝国と内通していますね?」
「は……?」
メルティナの発した言葉にマクベスは凍りついたように言葉を失った。
驚いて固まっている老人に、メルティナは紅を塗った赤い唇をつり上げた。
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