82.届けられた手紙
シャーリーによる夜這い事件がきっかけとなり、エラディン男爵が降伏してレイドールの軍門に降ってきた。
領主としての地位を返上して貴族でもなくなったエラディンは、かつての己の領地を代官に任せてレイドールがいるウルフィンへと移り住んできた。
娘の暴走を止めることができなかったという失態はあるものの、エラディンには最初からレイドールに対する敵意はない。ただ己の保身を考えていただけである。
ウルファート子爵のように武力を用いて積極的に抵抗しようともしていなかったため、特に処罰を与えることもないだろうと判断された。
そして、捕虜として身柄を拘束された後は、そのままレイドール配下として働かされることになったのである。
「男爵様、こちらの書類なのですが……」
「そちらは担当者のサインをいれてから財務に回しなさい」
「男爵様、兵士の食料の在庫が足りなくなっていて……」
「兵糧の不足分についてはモルテン商会に注文を終えています。納品は3日後になりますから、倉庫を片付けておくように指示を出しておいてください」
旧・ウルファート子爵邸に作られた政務室では、エラディン男爵が部下に指示を出してデスクワークを手際よく片付けていく。
そこで働いているのはエラディンと、彼によって集められた新米の文官である。
レイドール率いる王国軍に不足していた文官をエラディンがどのように補充したかというと、ウルフィンとエクトゥラの2つの町を拠点とする商会に働きかけて、人員を出させたのである。
もともとエラディンは兄の急死によって男爵家を継ぐことになったものの、いずれは貴族籍から抜けて商人として身を立てることを志望していた。
そのため、東方国境地域にある商会とはそれなりに親交を持っており、ツテを使って協力を得られたのである。
商会側も戦災によって他の町との取引が途絶えたことで経営難に陥っており、従業員の削減を迫られていたため、彼らの再就職先を用意してもらえるのは渡りに船だった。
結果、エラディンを中心として一種の官僚グループが形成されることになり、レイドール軍の文官不足も解消されたのであった。
「男爵……じゃなくてエラディンは随分と働き者なんだな。貴族の身分を奪われたというのに、あんなに生き生きと働いて」
部下に指示を飛ばしてバリバリと働くエラディンを遠目に見つつ、レイドールは政務室の隅のソファでぼんやりとつぶやいた。
かつては毎日のようにデスクワークに追われていたレイドールであったが、エラディンがその仕事の大半を片付けるようになってからはお役御免となっていた。
今では、すでに処理の終わっている書類を確認してサインをしたり、重要事項について指示を仰がれたりするだけとなっている。
おかげで、仕事の合間にソファで寛いで紅茶を飲む程度の時間の余裕はできていた。
「お父様は元々、貴族としての地位を重荷にしか思ってはおりませんでしたから」
対面のソファに腰かけて優雅な所作で紅茶を口に運びながら、シャーリーが答えた。
レイドールの腰ほどの背丈の幼女であったが、本日は脚にスリットが入った煽情的なドレスを着ている。
ときおり見せつけるように脚を組みかえ、チラチラとレイドールのほうをうかがっていた。おそらく誘惑しているつもりなのだろうが、レイドールは幼女に欲情する趣味はなく、無視して紅茶に口をつけている。
「王国に仕えていた頃はいつ帝国が攻めてくるのかと怯えて、帝国に寝返ってからはいつ王国に刺客を送り込まれるのかと怯えて……貴族でなくなって、ようやく領主であることへの恐怖や責任から解放されたのでしょう。お父様にとって、今が人生の絶頂なのかもしれませんわ」
「……誰もが地位や権力を望んでいるわけじゃないってことか。どうやらエラディンにとって、分不相応な立場は苦痛でしかなかったみたいだな」
この町にやって来た当初こそ、唇を真っ青にして怯えきった姿をしていたエラディンであったが、文官として働くようになってからはまるで命が吹き込まれたように晴れ晴れとした顔で仕事をしている。
どうやら、一人の文官という立場がエラディンにとっては天職であり、理想の自分であったのだろう。
シャーリーの隣に座っているスヴェンもまた、レイドールの言葉にうんうんと頷く。
「なにはともあれ、文官不足が改善されたのは何よりです。これで僕も軍師としての仕事に専任できる」
「あら、スヴェンに軍師なんて務まるのかしら?」
「少なくとも、シャーリーのハニートラップよりは上手くやって見せるさ」
「むう……馬鹿にして!」
プリプリと怒るシャーリーに、ふふんと得意そうに笑いながらスヴェンが胸を張る。
実の兄妹のように微笑ましい光景である。レイドールも茶菓子を齧りながら頬を緩ませた。
「文官がそろったということは、今度は武官だな。ダレン以外にも戦場で指揮をとれる人間が欲しい」
「一応、新規参入した兵士の中から素質のある者を十人隊長に任命していますけど……さすがに百人や千人の統率をできる人間はなかなか見つかりませんね」
スヴェンも口元に手をあてて「うーん」と唸る。
優秀な武官というのは文官以上に育てづらいものである。
いくら机にかじりついて教書をめくったところで、実戦経験を経なければまともに使い物にならないからである。
百人、千人もの兵士の指揮を執った経験があり、かつ誰にも仕官をしていないフリーの人間――そんな人材など国中探してもそうはいないだろう。
「実戦経験が豊富で頭が切れる。それでいて腕も立つような人物……1人だけ、そんな人がいるにはいるんですが……」
「なんだ、心当たりがあるのか?」
「はい……僕と同じく東部の貴族なんですけど、ちょっと気難しくって……」
スヴェンが言葉を濁して眉間にシワを寄せる。
レイドールは少年軍師の様子を訝しげに思いながら、その人物について言及しようとした。
しかし、それよりも先に執務室の扉が開いてダレンが入室してきた。
「失礼します。レイドール殿下」
「ん? どうかしたのか?」
「それが……殿下へ、オイギスト子爵より使者が来ております」
「オイギスト……寝返った貴族の1人だったな」
レイドールが確認すると、ダレンもやや緊張した顔つきで頷いた。
机を挟んで対面のソファでは、なぜかスヴェンが口を開いて呆けている。
「軽く話を聞いてみたのですが……どうも不穏な用件のようでして……」
「ふむ?」
ダレンが封に入った書状を手渡してくる。
レイドールは何気なくそれを受け取って、すぐに顔をしかめた。
「『果たし状』……?」
封筒の表面には大きな文字でそう書かれていた。
裏返してみると、手紙の差出人の名前が記されている。
「差出人は…………ジャスティ・オイギスト?」
「ああ……!」
スヴェンが右手で顔を覆って、嘆くような声を発した。
「そういう人なんだ。頭脳明晰なくせに、最終的には筋肉でしか結論を出せない。頭でっかちな脳筋……!」
「ひょっとして……さっきお前が言っていたのって……」
「そうですよ。その通りですよ、殿下……!」
スヴェンは世の無常を一身に背負ったような顔で、うんざりと息を吐きだした。
「イルカスの『虐殺姫』に並ぶ王国東部最強の武人――『東方の獅子』ジャスティ・オイギスト。槍と戦場をこよなく愛する筋肉メガネです」
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