78.さらに広がる波紋
オイギスト子爵は従者を伴い、屋敷の奥にある一室を訪れた。
部屋の前には扉を挟むようにして2人の兵士がいる。兵士は子爵の顔を見るや、ぺこりと頭を下げてくる。
「ジャスはどうしている」
「若旦那様はいつも通りに過ごしています。食事もしっかりとられており、何の異常もありません!」
主人の問いかけに兵士が背筋を伸ばして答えた。
子爵は「そうか」と頷いて、扉を開けるように兵士に命じる。
兵士がカギを開けて扉を開くや、部屋の内部からぶわっと熱気が押し寄せてきた。
「フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ!」
部屋の中には1人の男の姿があった。
上半身裸の男は、天井から吊り下がっている簡素なシャンデリアを両手で握って何度も懸垂を繰り返している。
いったい、どれだけの時間をそうしていたのだろうか。
男の身体から流れた汗が床に水たまりを作っており、上気した肉体から噴き出した熱のせいで部屋の温度は廊下よりもずっと高くなっている。
オイギスト子爵は顔にかかる熱気に顔をしかめて、天井からぶら下がる男へと声をかけた。
「ジャス! 邪魔をするぞ!」
「む……?」
子爵の呼びかけに懸垂を繰り返す男の腕が止まる。
天井から子爵の頭部を見下ろし、声を発した。
「おお、これは父よ。お久しい」
ひょいっと男がシャンデリアをつかんでいた手を放す。
そのまま床へと着地した男の足元で、汗で作られた水たまりが跳ねる。
「顔を見るのは1ヵ月ぶりになるか。私が閉じ込められてからちっとも会いに来てくれないので、親子の縁を切られたかと思っていたところだ」
「うぐっ……」
子爵がぐっと息を飲んだ。
男の言葉はあくまでも平坦なものだったが、心に後ろめたいことがある子爵には刃物のように鋭く感じられる。
上半身裸でトレーニングをしていた男の名前はジャスティ・オイギスト。
オイギスト子爵の息子であり、何事もなければ子爵家を継ぐはずだった嫡男である。
ジャスティは1ヵ月前から屋敷の一室へと軟禁されており、外に出ることを禁じられていた。
「それは…………いや、すまない。言い訳の言葉もない」
「構わない。別に嫌味を言ったわけではないのだ。それで……今日はいったい、何の用だ?」
「…………」
ジャスティが汗に濡れた髪をかき上げながら尋ねる。
子爵はその問いに答えることなく、しばし考え込んだ。
(何と説明をすればよいものか……)
子爵が息子をこんな場所に閉じ込めることになったきっかけは、アルスライン帝国からの侵略である。
帝国によって国境のバルメス要塞が落とされて、東部国境に領地を預かる貴族は侵略者に対して決断を迫られた。
すなわち――『服属』か『抵抗』か。
オイギスト子爵が出した決断は『服属』だった。
帝国に戦わずして降伏をして、食料の提供などと引き換えに領地の安全を図ったのである。
しかし、そんな子爵の決断に息子のジャスティは大いに反発した。
ジャスティはあくまでも徹底抗戦を主張して、アーベイル伯爵家やイルカス子爵家と協力して戦うべきだと譲らなかった。
親子の話し合いは終始平行線で、最終的に主張を曲げることのないジャスティは謹慎を命じられ、子爵邸の一室へと閉じ込められることになった。
(もしも……あの時、ジャスティの言うとおりに徹底抗戦していたら、今の状況も変わっていただろうか?)
子爵は今さら考えても仕方がないことを知りながら、それでもそんな益体もないことを思わずにはいられなかった。
どれほど後悔に苛まれようと、自分は決断をしたのだ。
ならば、その責任を取らなければいけない。
「ジャスティ、聞いて欲しい。我がオイギスト子爵家は現在滅亡の危機にあるのだ」
結局、子爵はありのままを話すことにした。
ブレイン要塞を攻めていた帝国軍が撃退されたこと。
王家が裏切り者を粛清するために東部国境に軍を送り込んできたこと。
王国軍によってウルファート子爵家が滅亡させられ、オイギスト子爵家にも粛清の刃が伸びてきていること。
包み隠すことなく、子爵が知る限りの全ての情報を息子へと明け渡した。
「…………」
ジャスティは途中で言葉を挟むことなく、水で濡らした布で身体を流れる汗を拭きとりながら、父親の話に耳を傾けていた。
やがて、子爵の話がすべて終わったタイミングでジャスティは口を開いた。
「それで……父は何をお望みか?」
ジャスティはようやく汗が引いてきた身体にガウンを羽織る。
そして、テーブルの上に置かれていたメガネを手に取って顔にかけた。
こうしてメガネをかけていると、ジャスティは文官のように理知的な顔をしている。
しかし、首から下は肉の鎧といえるほどの筋肉に覆われており、まるで上下が別人のようなアンバランスな身体つきであった。
「もしも父が命が大事であれば逃げるのが良い。財産をすべて持って帝国に亡命するといい。もしも父上が領民の命が大事であれば、王国軍に大人しく降伏して領地を明け渡すのが良い。現在は仮に帝国領となっているとはいえ、もともとは王国の一部。悪いようにはしないはずだ」
「それは……」
もっともらしい息子の言葉に、子爵は返す言葉もなく黙り込んだ。
子爵とてわかっている。ただ決断をできないだけで。
領主であることを第一に考えるのであれば、大人しく降伏をして領民の安全を求めるべきだ。実際、帝国から降伏を迫られた時にもそうしたのだから。
しかし、その場合にはオイギスト子爵とその家族は残らず粛清の憂き目を見ることになるだろう。
敵国に寝返った者を生かしておけば王家が軽んじられることになってしまう。
新たな裏切り者を出さないためにも、自分達は確実に見せしめにされることだろう。
(首を斬り落とされるのが私だけならばよい。決断をしたのは私だ。その責任は私にある)
しかし、反逆罪の罰は一族全体に及ぶものである。子爵だけではなく、妻や子供達も処刑台送りになってしまう。
それは子爵にとって受け入れがたい未来であった。
「……もしも我々が逃げ出せば、領民はどうなるだろうか?」
「休戦状態であるとはいえ、今は戦中。ただでさえ領内の治安が低下しているというのに、領主が逃げ出してしまえばさらに領内は荒れ果てることになるだろう。雇い主を失った兵士や傭兵は途方に暮れて野盗になり、混乱した人々は金や食料をめぐって争いを起こすに違いない。善良な町の人々さえ、商家に押し入って略奪を働くやもしれぬ」
「…………」
領民のことを思うのであれば逃げ出すことはできない。
王国軍に領地を明け渡すまで、責任をもって町を統括するべきだ。
領民と家族。
大切な2つの間で揺れ動き、オイギスト子爵は決断もできず目を伏せた。
「む……」
うつむいている父親の姿に、ジャスティの目に憐憫が宿った。
オイギスト子爵とジャスティは意見による食い違いで対立してしまったものの、それでも親子である。
ジャスティにとって子爵は愛すべき父親であることに変わりはなかった。
ましてや、ジャスティとて帝国に膝を屈した子爵の判断が完全に間違っていたものとは思っていない。
だからこそ、大人しく虜囚の身に甘んじていたのだから。
「父よ……1つ、代替案を出そうではないか」
ゆえに、ジャスティは父親の悩みを払拭するための案を出すことにした。
「代替案、だと……?」
「そうとも。父は母と弟たちを連れて王国から脱出して、そのまま帝国に亡命をするのだ。そして――オイギスト子爵領には私が残り、王国軍がこの町にやって来るまで治安を守ろう」
「なっ……馬鹿な! それではお前が……!」
子爵は目を剥いて叫ぶ。
生贄といっても過言ではない役割を、息子にさせるわけにはいかなかった。
「町に残るのならば、私が残ろう! お前も帝国に逃げるのだ!」
「それでは弟たちが悲しむ。子供には父親が必要だろう」
詰め寄ってくる父親に、ジャスティはきっぱりと断じた。
「それに帝国に寝返りを働いた貴方を王国軍は決して許しはしないだろう。しかし、寝返りに反対をしていて幽閉までされた私であれば、王国軍は恩赦を出すやもしれん」
「それは……」
「私が父と反目していたのは多くの兵士が知るところ。町でも噂になっているようだし、王国軍の責任者に噂が届いていれば見逃してくれる可能性は十分にある」
「…………」
それはあまりにも希望的観測だった。
しかし、息子の目にはっきりとした覚悟の色を見た子爵はそれ以上なにも言えなくなってしまった。
沈痛な面持ちで唇を噛み、己の無力に拳を震わせる。
「そんな顔をしてくれるな。死ぬと決まったわけでもあるまいに」
ジャスティはくいっとメガネの中縁を押し上げる。
「グラナード陛下が相手であれば処刑台送りは免れないが、レイドール殿下が指揮を執っているとなれば交渉の余地はあるだろう。噂の通り、スヴェン・アーベイルを臣下としているのであればなおさらにな」
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