54.妖精の不安
レイドールとの予定外の面会を終えて、王都の冒険者を統括するギルドマスターであるサイナ・クルスは深々と溜息をついた。
「ふう……」
緊張から解き放たれたエルフの女は、ぼんやりと応接間に飾ってある絵画へと目を向けた。
先代のギルドマスターの頃より飾ってある絵は窓からの日差しによって日焼けしてしまっており、色がややかすれてしまっていた。
(そろそろ新しい絵に変えないといけませんね……いっそのこと、部屋をすべて模様替えしてしまいましょうか?)
現実逃避気味に考え込んでいると、部屋の扉が控えめにノックされた。一拍おいて扉を開けて入ってきたのは、ギルドの受付嬢をしているリオナという娘である。
「あ、王弟殿下は帰られたのですね。お茶を淹れるのが遅くなってしまって申し訳ありません。とっておきの茶葉を使おうと思ったのですけど、棚の奥のほうにしまっちゃって……」
「……いいわ、あちらも長居をするつもりはなかったようだから」
「そうですか……西方産の良い茶葉だから是非とも飲んでいただこうと思っていたんですけど」
リオナは残念そうに言って、クルスの前に紅茶を淹れたカップを置いた。
先ほどまでレイドールが座っていた対面のソファに腰かけ、王弟殿下のために淹れたお茶を自分から口をつける。
「ふう、いい香りですねえ……ところで、王弟殿下はどんな用事だったんですか?」
「……聞かないほうがいいわよ。貴女はね」
「はあ? やっぱり王族の方のお話ですから、政治の話ですか」
「聞かないでって、本当に」
クルスはうんざりと疲れ切った声を漏らして、目の前に置かれた紅茶をグイッと一息にあおった。
無作法だなんて言ってはいられない。レイドールの口から語られた話のせいで、喉がカラカラになってしまった。
(まさか、王弟殿下があんな野心を抱えているなんて……)
レイドールの口から語られたのは、とても口に出すには憚られるような野望と政変の計画である。
どうして初対面のクルスにあんな話をしてきたのかはわからないが、とんでもない秘密の共有者に選ばれてしまったことを、心から恨めしく思った。
(あんな怪物を送り込んでくるなんて……恨みますよ、ザフィスさん)
レイドールの剣の師匠であり開拓都市のギルドマスターをしているザフィス・バルトロメオは、クルスにとって旧知の恩人であった。
まだクルスが新人冒険者の頃には魔物との戦いで何度も命を救ってもらい、さらに亜人に差別感情を抱く冒険者に絡まれた時には庇ってもらった経験もある。ザフィスがいなければ、クルスは今の地位につくこともなかっただろう。
そんなザフィスの紹介によって訪れた王弟のことを邪険にすることなど、できるはずがない。
たとえ彼から持ち込まれた話が国に背信する内容であったとしても、可能な限り力を貸さなければ義理が立たなくなってしまう。
悶々と悩み続けるクルスに対して、部下のリオナはのほほんとした表情で紅茶を飲んでいる。
「それにしても、噂の英雄は随分と普通の男性でしたねー。てっきり筋骨隆々の大男かと思ってたんですけど」
「……あれが普通の男に見えるのなら、それは貴女の目が節穴だからよ」
「え?」
「あれは腹を空かせた火竜よ。絶対に怒らせてはいけない類の人種だわ」
エルフであるクルスには、魔力を視認する能力が宿っている。
そんな彼女の目には、レイドール・ザインという男が人間とはまるで違う化け物に見えていた。
(なによ、あの身体から立ち上る黒い魔力は……現役の頃に戦った悪魔だってあそこまで禍々しい魔力は纏っていなかったわよ)
あれが神の力を下賜された聖剣保持者だというのだから、なんの冗談かと思ってしまう。聖剣ではなく魔剣の加護でも受けているのではないだろうか?
「リオナ、これからレイドール王弟殿下がいくつかの依頼を受けると思うけど、ランクにかかわらずその依頼はお任せしなさい。ギルドカードも確認しなくていいわ」
「ええっ!? それってギルドの規約違反ですよ!?」
「いいのよ、聖剣に選ばれた英雄様に私達のランク付けなんて無意味でしょう。それに、開拓都市での実績を聞く限り、殿下がSランク相応の実力を持っていることは間違いないから」
クルスはティーポットを手に取ってお代わりをカップに注ぎ、それをまた一息で飲み干した。
熱さのせいで喉がじんじんとしてしまうが、構わずソファの背もたれに体重を預けた。
「……これくらいの協力で義理を果たせるのなら安いものよ。反逆の片棒を担がされずに済んで安心したわ」
「はあ?」
小首を傾げるリオナに、クルスは「ハアッ」と熱い息を吐きだした。




