52.王弟と皇女
「許さない……こんな屈辱。絶対に許さないんだから……!」
「はあ……そんなに怒るなよ」
男物の上着をきっちりと羽織って身体を隠して、セイリアが激しい憎悪を込めて目の前の男を睨みつけた。
皇女の青い瞳はいまだに目端に涙の粒が残っており、目の周囲は泣きはらして赤くなっている。
そんな烈火の視線を受けたレイドールは困り果てて頭を掻きながら、ペタリと床に座り込んでいる女を見下ろした。
「悪かったと思っている。いや、悪気はなかったんだ。まさかあんなに嫌がるとは……」
「嫌に決まっているじゃない! あんな、む、胸を……」
怒りか、それとも羞恥だろうか。セイリアは顔を真っ赤に紅潮させて肩を震わせている。
自分が凌辱されるわけではないと気づいたことで、セイリアは心の余裕を取り戻していた。感情に任せて、これでもかとレイドールに罵倒の言葉をぶつける。
「いやらしい! 一国の王子様が女の子にこんなことをするなんて……ケダモノ! 動物! ワンちゃん!」
「ワンちゃんは悪口かあ?」
呆れ果てた声を返しながらも、レイドールは大人しくセイリアの罵倒を受け続ける。
ちなみに、セイリアの胸をはだけさせたレイドールであったが、本当に帝国皇女を辱めてやろうとか悪意があったわけではない。
本心から、心の底から、セイリアがそこまで胸を見られることを嫌がるとは思っていなかったのである。
レイドール・ザインという男は12歳という年齢で王都を追放されて、開拓都市へと送られることになった。
訳アリの移民ばかりの開拓都市には同年代の女子は皆無であり、レイドールはもっとも異性を意識する多感な年頃を女性とほぼ接することなく過ごしてきた。
レイドールと接触する女性は男の視線などとまるで気にしない女冒険者か、女としてみることができない年配女性、あとは開拓都市まで流れてきた変わり者の娼婦くらいである。
例外として数百年の封印から解き放たれたエロメイドもいるのだが、彼女もまたレイドールに裸を見られることはなんとも思っていない。むしろ、隙あらば脱ぎだそうとするような痴女である。
そんな環境下で思春期を過ごしてきたため、レイドールには女性が裸を見られて嫌がるという心境がまるで理解できていないのであった。
「もうイヤッ! こんな屋敷出てってやるんだから!」
「いやあ、それは困るんだけどなあ」
セイリアはこの屋敷の中で自由を許されており、その気になればいつでも逃げ出せるような扱いである。
それでも彼女が逃げ出そうとしないのは、呪いを解くことなく逃げるわけにはいかないことと、もう一つ。
「君が逃げたら、将軍のじいさんを殺すことになっちまうぜ? どれだけ先があるかもわからない老体の命を奪うのはこっちも気が進まないんだけどな」
「むう……」
レイドールの言葉に、セイリアは不満そうに形の良い唇を尖らせた。
ブレイン要塞の戦いでは、奇襲部隊が帝国陣地を攻撃した混乱に乗じて、ネイミリアが敵将グラコス・バーゼンを拉致していた。
バーゼンはとある場所に幽閉されており、かの老将がレイドールの手に落ちていることはグラナードやガルストにも知らせていなかった。
(帝国との取引材料を増やすためにとネイミリアに命じていたんだが……皇女殿下に対しても有効なカードになるとは嬉しい誤算だったな)
セイリアがバーゼンを実の祖父のように慕っていることは後から知ったのだが、そうでなければ皇女を縛り付けるように幽閉することになっただろう。
「……おじいちゃんは無事なの?」
「三食食事は与えているし、寝るときは毛布を二枚も渡している。敵国の捕虜としてはあり得ないくらいに優遇しているよ」
「……会わせて、くれないよね?」
セイリアが上目遣いで訊ねてくる。さすがにそれは無理だとレイドールは苦笑する。
「心配せずとも、帝国との交渉が終われば君と一緒に解放しよう。約束する」
「……お兄さんは何が目的なのかな? 私やおじいちゃんを捕まえただけでも、十分な手柄なはずなのに」
「王国が帝国と交渉することが重要なんじゃない。俺が帝国との交渉材料を握っていることに意味があるんだよ」
レイドールは唇を歪めて冷笑する。
帝国との交渉における主導権を握っているのは、兄王グラナードではなく弟のレイドールだ。
それは確実にレイドールが兄を追い落とすうえで切り札になるに違いない。
「君はしばらく、この屋敷で静養してくれればいい。なんだったら観光したっていいぜ? 王国にはきれいな湖だってあるからな。今度、案内してやるよ」
「…………」
口に笑みを貼りつけたレイドールを疑わしそうに見て、セイリアは今は使うことができない聖剣をギュッと握り締めた。




