34.決戦直前、帝国サイド
「さて、それでは四度目の攻撃をするとしようか」
レイドールがブレイン要塞に入った翌朝。
アルスライン帝国軍の陣地にて、西方方面軍将軍グラコス・バーゼン中将は顎髭を手で撫でつけた。
丘の上に立つバーゼンの視線の先には攻略するべき要塞の姿がある。
ザイン王国の王都を守る最後の砦は王国の威容を示さんとばかりに堂々とそびえ立ち、帝国軍の前へと立ちふさがっている。
バーゼンの横に並ぶのは副官であるダラス・サファリス大佐。後方には、帝国第三皇女であるセイリア・アルスラードの姿もあった。
バーゼンが軍服をきちんと着込んでいるのに対して、セイリアは上下のボタンを掛け違えており、ズボンの端からはシャツが出てしまっている。
秀麗な少女の目はトロンと瞼が落ちて半開きになっており、いかにも寝起きですと言わんばかりの顔つきであった。
「も~、朝からの戦いは疲れるよう。お昼からにしない?」
「おやおや、眠いのでしたら天幕で休んでいて構わないのですよ? 面倒な戦いは我々で処理しておきますので」
目元を手でこすりながら欠伸までするセイリアに、バーゼンが孫を甘やかすような猫撫で声で言う。
実の祖父のような態度をとる将軍に、「そんなのダメだよう」とセイリアは自分の両頬を指でつまんで眠気覚ましに引っ張った。
「私は一応、この軍の責任者ってことになってるんだから。おじいちゃんに全部は任せられないよう」
「ほっほっほ、老体を労わってくださるとはなんと有り難い。このグラコス、姫様のご恩情に応えるべく力を尽くしましょうぞ」
「……それで、今日はどのようにして攻めますか。バーゼン将軍」
「む……サファリス」
仲の良い祖父孫のような会話を交わす二人に横からサファリスが水を差した。
溺愛している姫君との一時を邪魔されて、バーゼンが横目で副官を睨みつける。
「そうだな……今日は少し本気で攻めてみようかのう」
「おや? しばらくは手加減をして済ませるのではなかったのですか?」
サファリスが怪訝に眉を寄せて上官に尋ねる。
今回のブレイン要塞攻略であったが、バーゼン率いる帝国西方方面軍は本気で攻め込むつもりなどなかった。
否、攻め込む必要がないというべきだろうか。
今回の戦争で帝国軍は一ヶ月という極めて短い期間で国境のバルメス要塞を落として、王国東部地域の大部分を占領した。
これにより王国に仕える貴族の中からは帝国に寝返る者が現れており、すでに帝国の密偵が王国各地に放たれて調略を進めている。
つまり、ブレイン要塞を無理に落とさずともザイン王国を内側から切り崩す準備は着々と進行しており、兵士の命を無駄にせずとも王国の崩壊は時間の問題なのだ。
(ましてや……我らはザインを滅ぼして終わりではないのだ。軍から損耗を出せば、『次』に障ってしまう)
サファリスはザイン王国を滅ぼした後の未来に目を向けて、そっと息を吐く。
大陸西部地域にはザイン王国の西側にいくつかの小国がある。王国を滅ぼした後は彼らとの戦いが待ち受けている。
次の戦いに備えるという点でも、できる限り戦わずに勝利を収めたいと帝国軍は考えていた。
「それなのに、どうして今になって本格的な攻撃を仕掛けるのですか? 無理に戦わずに政治的な勝利を目指すというザイン攻略の方針を変更されるのでしょうか」
「ふむ……儂も無理に戦うつもりはなかったのだが、どうも要塞の空気が変わった気がしてな?」
バーゼンは孫を甘やかすじじいの顔から一変、真剣な表情になって要塞を睨みつける。長年、帝国を守り続けてきた老将の顔つきにサファリスは緊張で唾を飲んだ。
「昨日までは要塞を守る王国軍にはどこか諦めたような空気が漂っていたのじゃが、今日はどうも違う気がしてな。活気があるというか、どうにも息を吹き返しているような空気がある」
「それは……昨日、要塞に入った援軍と関係しているのでしょうか?」
ブレイン要塞を見張っていた物見から、王都方面から来た援軍が要塞に入ったとの報告を受けていた。
要塞に入った兵士はわずかに五百。取り立てて警戒することもない数字だとは思っていたのだが……。
「あるいは、馬車に乗って要塞に入って行ったという人物がカギとなっているのかもしれぬな」
「馬車……まさか!」
サファリスが両目を見開いた。若いながらも落ち着きを有しているはずのその男が、高揚に顔を赤くさせる。
「国王が、グラナード・ザインが要塞に入ったのでしょうか! それならば王国軍の士気が上がるのも納得できる!」
「ふむ……その可能性はあるのう」
バーゼンは興奮する副官を手で宥めながら首肯する。
これまで国の危機にもかかわらず、ザイン王国国王グラナードは王都に座して動くことはなかった。
しかし、このままでは勝てないと踏んで重い腰を上げた可能性は十分にある。
「この要塞が落とされれば王国は終わり。さすがに動いたのかのう……しかし」
気になるのは、王宮にいる貴族どもからなんの連絡もないことだろう。
王宮に務めている王国貴族の一部はすでに帝国の調略に乗って寝返りの密約を交わしており、王都の情勢を知らせてきている。
彼らからは国王が動いたという報告は受けていなかった。
「寝返りに気づかれたのではないでしょうか? あるいは、王国が持ち直すかもしれないと判断して我等と天秤にかけているのか」
サファリスが不快そうに顔をしかめて吐き捨てた。
皇帝とその一族に深い忠義を持つサファリスにとって、追い詰められた途端に主君を裏切る貴族どもは憎悪の対象である。
たとえそれが自国にとって優位に働くとしても、悪感情を消すことはできなかった。
「蝙蝠の貴族どもならあり得るのう。王宮というのは戦場以上の伏魔殿。それはどこの国も同じじゃからな」
バーゼンは重々しく溜息をつき、どこか遠い目を空へと向ける。
バーゼンもまた過去に帝国の貴族や政治家の陰謀に巻き込まれ、痛い目を見た経験があった。彼らのせいで腹心の部下を失ってしまったこともあり、政治を司る権力者には良い感情を持ってはいなかった。
肩を落とした様子の老将に、背後からセイリアが声をかける。
「陰謀とかそういうのはよくわからないけど、油断しちゃダメだよ。おじいちゃん」
「おや? 姫殿下も思うところがあるのですかな?」
これまで戦場で剣を振るうことはあっても、軍の方針などには口出ししてこなかった。そんな彼女の突然の忠告に、バーゼンは目を白黒とさせる。
「うん……なんだかね、さっきからクラウソラスが騒いでるんだ。あの要塞には何かがいるよ。私達を脅かす何かが」
腰に差さった剣――聖剣『クラウソラス』の柄を撫でながら言うセイリアに、「ふむ」とバーゼンは目元を険しくさせた。
「聖剣保持者である姫殿下がそうおっしゃるのならば、その言葉には黄金の価値がありましょう。その何者かが戦場の流れを変えられる前に、王国軍に痛撃を与えなければ……む?」
ブレイン要塞に動きがあった。
これまで固く閉ざされていた城門が開かれて、中から兵士が出てきたのだ。
要塞から出てきた兵士達は、指揮官らしき人物の指示の下で陣形を構築している。
「要塞から出てきた!? まさか、我等と野戦をするつもりか!?」
密偵の報告ではブレイン要塞に詰めている兵士はおよそ一万。対する帝国軍は三万である。
砦や要塞での籠城であればまだしも、数の優位が勝敗を分ける平野の戦闘であれば確実に帝国が勝利するだろう。
(それがわからぬほどバゼル・ガルストは無能な将ではない! となれば、やはり起死回生の切り札を得たか!)
「サファリス、大至急、こちらも陣形を整えよ! ここで王国軍を叩き潰すぞ!」
「はっ!」
バーゼンの命を受けてサファリスが走り出した。
丘の上に残された老将と姫騎士は、鶴翼の陣形を構築しているザイン王国軍を眼下に睨みつける。
「おじいちゃん」
「わかっております。此度の戦、決して油断はできますまい。場合によっては姫殿下にも前線に立っていただきとうございます」
「うん、そのための聖剣だからね」
セイリアが剣の柄をギュッと握ると、クラウソラスが主に応えるように青白い火花を放った。
「敵の切り札の正体がわかるまでは自重してくだされ。万が一にも姫殿下が討たれることがあらば、その時点で我らは敗北なのですから」
「うん、わかってる。だけどその時が来たら躊躇わないからね!」
つつましい胸を張って毅然と言うセイリアに、バーゼンは緊張に引き締めた面持ちで頷いた。
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