230.死の騎士
アテルナ王国。王都。
かつて大陸西端において最も栄えていたその都は、無数の死者が闊歩する地獄と化していた。
かつて都に暮らしていた人々は残らずアンデッドとなっており、街中をフラフラと徘徊している。
男も女も。老人も子供も。あらゆる者達はオスマンの前では平等。まるで『死』という現象そのものであるかのように、公平に不死者と化していた。
都の中央に位置する王城には『土』の魔女にして冥府の女王――オスマンが鎮座している。
そして……オスマンを守護する最大の壁である『終末の四騎士』、その一角である男が王都を囲む城壁の上に立っていた。
「…………」
鎧を纏った腰に剣を佩いて、男は東の空を睨みつけていた。
時間は深夜。辺りは闇の帳によって閉ざされている。だが……男の視線は鋭い。まるで闇の向こうにいる未知の敵を見通しているかのようだ。
男の名前はザン・シャ。
魔女オスマンの側近。『死』を司る『終末の四騎士』である。
「……来たか」
ザン・シャがおもむろに口を開く。
常人であればとてもわからないだろうが……アンデッドが放つ死臭に混じって、ピリピリと鉄錆の香りが鼻を突いてくる。
武器の香り。血の匂い。迫りくる敵が放つ殺意……生前は幾度となく戦場に立ち、死後も魔女オスマンの騎士となって戦い続けているザン・シャであるからこそ感じ取ることができた戦争の気配である。
「ルールーブ、ウィルフレッド……どうやら、お前達の仇を取る機会がやってきたようだ」
普段は寡黙なザン・シャの口から出てきたのは同じく『終末の四騎士』であった者達の名前。『水』の聖剣――ミストルティンを追って東に向かい、返り討ちにあった同胞の名前である。
親しい仲だったわけではない。友人や仲間などとはお世辞にも言えない。主人の寵愛を巡って争ったことすらある。
それでも……同じ旗の下で戦ってきた戦友である。彼らの死を思えば、ザン=シャの胸にぽっかりと虚無が口を開くのが感じられた。
ザン=シャは武人である。
生前、まだ人であった彼はとある王国に仕えている騎士だった。
王家から信頼を寄せられ、護国の騎士として幾度となく国を救ってきた。大勢の人々がザン=シャに期待と信頼を寄せており、ザン=シャもまたそれに応えることが己の生きる意味であると信じていた。
だが……そんなザン=シャの栄光と誇りに満ちた日々は唐突に終わることになる。
心からの忠義を誓っていた主君が病によって命を落とし、若い王子が国王となってしまったのだ。
新たな王は若く、未熟で……そして愚かだった。
父であった先王からも半分は見限られており、王位継承権を剥奪して弟達に継がせるべきではないかと考えていたくらいだ。
ザン=シャは思う。もっと早く王位継承権を取り上げるべきだったと。そうしてくれたら、あんな悲劇は起こらなかったのにと。
『予が新たな国王だ! 王には妃が必要である!』
新王が最初にやったことは、国中から美姫を集めて後宮を作ることだった。
その国では一夫一妻制を取っていたにもかかわらず、強欲な王はそれを捻じ曲げて多くの女性を妻にしようとしたのである。
もちろん、多くのものが反対した。中には、弟王子らを擁立して新王を廃そうとしたものもいる。
だが……新王は愚かだったが、狡猾だった。
弟王子とそれに従う臣下に反逆の罪をかぶせて、瞬く間に処刑してしまったのだ。
いっそのこと本当に無能であれば良かったものを、新王は己の欲望を叶えることにだけは驚くほど力を発揮してきたのである。
『これでもう邪魔者はいない! 逆らう者はみんな殺したからな!』
他の王族を皆殺しにした新王はヘラヘラと笑いながら、欲望に満ちた治世を敷いた。国中から美女を集めて巨大な後宮を築いたのである。
千人もの美姫が集められた後宮の建築・維持には恐ろしいほどの予算が投じられ、国家の財政を圧迫することになった。民には重税が課せられ、多くの村人が生活することができずに離散させられることになる。
だが……ザン=シャにとってそれ以上に重要だったのは、新王が後宮に集めた美姫の中に、己の妻がいたことだ。新王は家臣の妻でさえ容赦なく奪い、己がものにしようとしたのである。
『陛下……どうか、何卒妻をお返しください……!』
ザン=シャは必死になって王に頼んだ。騎士のプライドすら投げ捨て、地べたに這いつくばって額を土で汚すことすらした。
いっそ奪われた妻を力づくで取り返してしまえば良かったのだろうが……どこまでも忠義の騎士であったザン=シャには、ひたすら頼むことしか妻を取り戻す方法はなかったのである。
『わかった、わかった……その代わり、条件がある』
しつこく頼み込んでくるザン=シャに辟易したのか、新王が鬱陶しそうに条件を提示してきた。
新王が求めてきたのは当時、その国の周辺にあった大国を滅ぼしてくること。ザン=シャの武勇をもってしても容易ならざる難題だった。
だが……ザン=シャは忠実にそれを実行することになる。騎士として築き上げてきた人脈を駆使し、あらゆる計略を使って王命を遂行した。
命じた新王も予想していなかっただろう。まさか、本当に成し遂げてしまうだなんて。
ザン=シャは成し遂げた。騎士としての忠義を貫きながら、王に奪われた妻を取り戻すための条件を成し遂げた。
そして、そんなザン=シャの武勇に贈られた褒美は……かつて妻であった女の骨と灰である。
隣国を滅ぼして国に戻った時には、すでに妻は亡き者となっていたのだ。
『約束通りに女は返した! 予は誓いを破ってなどおらぬぞ!』
『…………』
言い訳のようにぶつけられた新王の言葉を、ザン=シャは聞こえていなかった。
後から知ったことだが……女を返すことを惜しんだ王が無理やりに妻を凌辱したらしい。夫に操を立てている妻は汚されてしまった自分を恥じ、自らの首を刃物で掻っ切って自害したのである。
最後まで貫こうとした忠義は踏みにじられ、泥にまみれた。
そこから先の記憶はない。気がつけば、ザン=シャは焼け野原に一人立っていた。
『…………?』
周囲に建物はない。
否、かつて建物であったであろうものの残骸は無数に転がっている。
砕かれ、焼かれ、滅ぼされ……かつて都が存在したであろう場所が焼け野原となって広がっていた。
ザン=シャの右手には一本の剣が握られている。驚くほどの威圧感を放っているそれはタダの刀剣ではない。凄まじい力を持った魔剣に違いなかった。
『き…………、あ…………』
『オスマン様は『気は済んだのかしら、新しい我が騎士よ』と仰っている』
何者かが声をかけてきた。
栗色の髪の美しい女性と、しわくちゃの老人である。
『貴殿らは……?』
『まったく、何を呆けておる。オスマン様から魔剣を与えられておいて不甲斐なきことよ』
『オスマン……魔剣……?』
困惑するザン=シャは知ることになる。
自分が『破滅の六魔女』の一人――魔女オスマンと契約をして、『終末の四騎士』となっていることを。
何と誘われたのかは覚えていない。何と応えたのかも覚えていない。
はっきりと残っているのは右手に握った魔剣の握り心地。
自分が忠誠を誓っていた王を殺戮し、愛していたはずの祖国を滅ぼした手の感触だけである。
かくして、ザン=シャは魔女の使徒となった。
人類廃絶を願う魔女の手先となり、多くの人々を殺害して不死者に変える手伝いをしている。
高潔な忠義の騎士であったはずの男は、堕落と破滅の道をなおも騎士として歩き続けていた。
(騎士には主君が必要だ……どれほどの愚君であったとしても、滅びを願う魔女であったとしても……)
城壁に立ち、頭上を見上げるザン=シャの顔に水滴が落ちてきた。どうやら、雨が降ってきたようだ。
雨は徐々に勢いを増していき、アンデッドによって汚された都と大地を濡らしていく。
「……天より降る雨よ、弔いたまえ。死者の嘆きが鎮まらんことを」
死んだ同胞の冥福を。殺してきた者達の安らかならん眠りを願う。
願いながら……右手で剣の柄を握りしめ、ゆっくりと抜き放つ。
「……どうかこの忌まわしき今生に終わりがもたらされんことを」
『死』を司る騎士は心の底から祈りながら、東からやってくる敵に魔剣の切っ先を向けるのであった。
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