2.王都追放
成人の儀から数日後。レイドールは兄の命令によって王宮がある都を追放され、辺境の開拓都市へと送られることになった。
名目上は開拓都市周辺の土地を領地として与えられ、領主としての任を果たすために赴任するという形をとっている。
しかし、それが事実上の追放であることを事情を知る一部の者達は確信していた。
レイドールが成人の儀で聖剣ダーインスレイヴを引き抜いたことについては箝口令が出されており、王宮に仕えるごく少数の者達だけの秘密となった。
それというのも、もしもレイドールが聖剣に選ばれたことが公になってしまえば12歳の第二王子が次期国王となる大義名分ができてしまい、グラナードとの間で権力闘争が起こることが目に見えているからだ。
たとえそれをレイドールが望んでいなかったとしても、初代国王を敬愛する者達がその後継となったレイドールを放っておくわけがない。
レイドールを切り捨てることは国の分裂を防いで内乱を未然に防止するうえで避けられないことであった。
たとえそこにグラナードの私怨や嫉妬が過分に含まれていたとしても、決定が覆ることは決してない。
追放の原因となった聖剣ダーインスレイヴを取り上げられて、身一つで辺境に追いやられる以外に道はなかった。
辺境送りになるレイドールを見送りに来たのは、わずか三名である。
この国の政治上の最高権力者である宰相ロックウッド・マーセル。
軍事の最高権力者である将軍バゼル・ガルスト。
そして――レイドールの幼馴染であり、結婚するはずだった宰相の娘メルティナ・マーセルである。
「レイドール殿下。道中、どうぞお気をつけて」
「…………」
胸に手を当てて頭を下げるロックウッドを、レイドールは無言で睨みつけた。
レイドールの両腕には手枷が嵌められており、王家の人間として修練を積んできた剣術も魔術も使うことができなくなっている。
本来であれば罪人というわけでもない人間に、それも王家の人間に手枷を嵌めるなど許されることではない。しかし、今回は兄王子グラナードの特別な命令によってその残酷な処遇が実行されていた。
レイドールは沈痛な面持ちで拘束された両腕を見下ろし、小さく口を開いた。
「…………兄さんは?」
ポツリとつぶやかれた言葉。その声音に込められた悲哀と絶望を感じ取り、ロックウッドが目を細めた。
「国王陛下は政務多忙により見送りには来れないとのことです。弟の出立に顔を出せない薄情を許して欲しいとの言伝を預かっております」
「薄情……もっと他に謝らなければならないことがあるだろう」
咎めるような口調でレイドールが言うと、ロックウッドは「はて?」と惚けた顔をする。
「殿下はあくまでもご自分の領地に赴任されるだけ。それ以外にはございません」
「……ならばこの手枷はなんだ! これではまるで罪人ではないか!?」
「それはあくまでも安全上の配慮でございます。殿下」
叫ぶような問いかけに応えたのはロックウッドではなく、隣に立っているバゼル・ガルスト将軍だった。
二メートルの長身であるバゼルは巌のような顔でレイドールを見下ろし、固い口調で言葉をつづる。
「殿下は聖剣保有者となり、その加護の一部を身の内に宿すこととなり申した。その力が万一暴走すれば、甚大な被害をもたらすこととなりましょう。手枷はそれを防ぐためのもの、罪人への刑罰とは別のこととお考えいただきたい」
「だけど……!」
レイドールは反論しようとして口を開き、結局なにも言うことなく黙り込んだ。
この二人にどんな言葉をぶつけたとしても意味がない。彼らは国王の側近であり、兄王子グラナードの支持者である。
レイドールが辺境送りとなる処遇を決めた人間の一人なのだから。
「……殿下。貴方はなに一つ悪くはございません。されど、これは国家の統治に必要なこと。どうぞ恨むことなどなきようお願いいたします」
「さようでございます。グラナード殿下が即位され、その治世が安定すればいずれ殿下を王都に呼び戻すことがありましょう。それまで、どうぞご健勝で」
奥歯を噛みしめてうつむいたレイドールに、やや同情したようにロックウッドが慰めの言葉をかける。バゼルも引き継ぎ、彼なりの激励を送った。
「…………」
レイドールは口を噤んだまま、悔しそうに唇を噛みしめた。
謂われもない罪で生まれ故郷を追われることになる少年にとって、そんな大人の身勝手な事情が慰めになどなるわけがない。
代わりに、この場にいる最後の人物へと目を向けた。
「メルティナ……」
縋るように、泣きつくようにレイドールが幼馴染の名前を呼ぶ。
宰相の娘である彼女がレイドールの処遇を見直すように請願してくれれば、あるいは辺境送りがなかったことになるかもしれない。
そうでなかったとしても、同年代の誰よりも親しい彼女であれば王都を追われる自分についてきてくれるかもしれない。
そんな思いを込めての懇願の呼びかけであったが、メルティナから帰ってきたのは無情な返答である。
「はい、レイドール様。どうぞお気をつけて行ってきてください」
「え……?」
「南の辺境は王都よりも暖かいと聞いております。レイドール様は寒いのが苦手ですからちょうどよいですね。次にお会いするときには、ぜひとも面白い土産話を聞かせてくださいな」
「え、ちょ……メルティナ?」
婚約者となるはずだった幼馴染の顔には悲しみの色など欠片もない。清々しいほど落ち着いた穏やかな笑顔でレイドールを送り出そうとしている。
まるで別れを惜しむ様子のない幼馴染にレイドールは戸惑いを隠すことができず、思わず父親のロックウッドを見上げた。
「殿下。メルティナは宰相の娘として、貴族令嬢として教育を受けております。情よりも家や国を選ぶように幼い頃から教え込んでおります」
「それはどういう……」
「もはや貴方はこの子の婚約者ではない。すでに過去の人間ということになります」
「は……?」
申し訳なさそうなロックウッドの言葉に、レイドールの頭の中が真っ白になる。
メルティナとは物心ついた頃から一緒にいて、同じ時間を過ごしてきた。
その思い出はどれもかけがえのないもので、レイドールにとって宝石のように価値があるものだった。
しかし――そう思っているのはレイドールのほうだけだった。メルティナは自分のことなどなんとも思ってはおらず、ただ宰相の娘として貴族としての義務感からレイドールと一緒にいただけだったのだ。
「殿下? どうかされましたか?」
「っ…………!」
メルティナが不思議そうにレイドールの顔を覗き込んでくる。
無邪気に見える顔が恐ろしい怪物の形相に見えてしまう。レイドールは恐怖に表情を歪めて後ずさり、牢獄のような馬車に自分から逃げ込んだ。
辺境に送られれば、魔物や蛮族に怯える日々が待っている。
それでも、自分の家族を、友人を平気で切り捨てることができる者達のほうが、魔物よりもずっと恐ろしく感じた。
自分の家だったはずの王宮が、いつの間にか怪物の巣窟となっている。その事実は幼いレイドールには到底受け入れられないものだった。
「いってらっしゃいませ、殿下」
馬車の扉越しにメルティナの声がする。
ロックウッドとバゼルが深々と頭を下げ、馬車が走り出した。
レイドールは両手で自分の身体を抱え込み、ガタガタと肩を震わせながら連行されていった。
こうして、ザイン王国第二王子レイドール・ザインは辺境の開拓都市に送られることとなり王都からその姿を消した。
レイドールが歴史の表舞台から姿を消して5年後。
彼の父親である国王が病によって眠るようにこの世を去り、第一王子グラナードが新たな国王として跡を継ぐことになる。
王が身罷られる以前から政務を行っていたグラナードのおかげでザイン王国には表面上はなんの混乱もなく、穏やかな治世が保たれるものだと思われていた。
しかし――そんな平和な王国にも、蛇が這うように静かに戦乱の波が近づいていた。
主と離れ離れになった聖剣ダーインスレイヴは王宮の奥深くに安置され、歩み寄ってくる戦乱の足音に耳を傾けるのであった。
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