15.暗闇の魔女
『お前のような悍ましい魔女を愛する者などいない。お前を愛したことなど一度もない』
「ひうっ………!」
頭の中に鳴り響いた冷たい声。身を引き裂かれるような言葉の刃に、ネイミリアはバネ仕掛けのように勢いよく跳ね起きた。
周囲には暗い闇が広がっている。夜目を凝らすと、それは見慣れた屋敷の一室である。ネイミリアはベッドの上に横になっていた。
「ね、寝ちゃいましたか………いけませんね、メイドがご主人様の帰りを待たずに眠るなど………」
ネイミリアは壁際に置いてある振り子時計へと目を向けた。
部屋の中にはランプや燭台の明かりはない。それでも猫のように夜目に優れた魔女であるネイミリアであれば、問題なく時計の針を見ることができた。
「もう夜中ですか。ご主人様、今日も遅いですね………」
ネイミリアは不安そうにつぶやいて、はむっと掛布団を噛んだ。
王都に戻ることを決めたレイドールは、連日、夜遅くまで開拓都市の有力者と話し合いをしていた。
いかにお飾りといえど、最終的な決定権を持つ領主が町を留守にするのだ。有事の際の対処法を始めとして、引継ぎをしなければいけないことは山ほどあった。
すでに時間は夜半を回っているものの、いまだレイドールが帰ってくる様子はない。捕虜として捕らえていたメルティナはすでにギルドにある犯罪者用の牢屋に移されており、あまり広くもない屋敷の中にネイミリアはただ一人で取り残されていた。
「ううっ………」
どれほど遅くとも、朝になる前には主人は帰ってくる。
それがわかっていながら、ネイミリアは心中に湧き上がってくる不安の感情を抑えることができなかった。
もぐもぐと掛布団を噛んだまま、涙目になって唸る。
こうして暗闇に一人でいると、かつての地獄のような日々を思い出してしまう。
ネイミリアの脳裏に、後の主人となるレイドールとの出会った時の記憶がリフレインした。
『破滅の六魔女』
それは数百年前から人類史に出現して、たびたび世界を滅ぼしかけている怪物の名前である。
長女――『炎』の魔女、アーカーシャ
次女――『水』の魔女、カルメラン
三女――『風』の魔女、フーフール
四女――『土』の魔女、オスマン
五女――『闇』の魔女、ネイミリア
そして、大いなる母――『光』の魔女、グラスリード
その災厄の魔人の一人であるネイミリアがレイドール・ザインと出会ったのは、今から2年前のことである。
大陸西方の国であるザイン王国。その南方には国土の五分の一にもわたって広がる広大な樹海があった。
龍脈から膨大なマナが吹き荒れ、突然変異による強力な魔物を排出し続ける辺境の樹海である。
そして、その樹海の奥深く。鬱蒼と生い茂った木々に隠れるようにして、古い石造りの遺跡が建っていた。
いったいいつの時代からその場所にあるかもしれない遺跡は外側から魔法で封鎖されており、何人の進入も固く拒んでいる。
「………………………………ほう」
そんな遺跡の内部で、ネイミリアが溜息をついた。
ネイミリアの両手両足は天井と壁から吊り下がっている鎖によって拘束されている。その身体は布切れ一枚纏ってはおらず、一筋の光もない闇の中に白い裸身を存分にさらしていた。
ネイミリアの裸体は誰にも触れられていない処女雪のように汚れを知らず、頭部から流れ落ちる銀色の髪はまるで精巧な銀細工のごとく美しい。瞳に宿る色は黄金色であり、夜空に浮かぶ満月の光が宿っているように光を放ち、暗闇をぼんやりと照らしている。
それ自体が一個の芸術品のような姿をしたネイミリアであったが、アリ一匹入り込む隙間もない遺跡に、その美貌を鑑賞する者は誰もいなかった。
『闇』の魔女であるネイミリアは、奈落のごとく光のない遺跡の中で、数百年の時を過ごしていたのである。
「………………さびしい。誰かとお話ししたい」
ぽつりと、ネイミリアの口からそんなつぶやきが漏れた。
『闇』を司る魔女であるネイミリアにとって、深淵の闇は必ずしも苦痛とはならなかった。
けれど、誰とも会うことはなく、たった独りぼっちで過ごしていた数百年は着実に彼女を追い詰めていた。
むしろ、よく保ったほうであろう。光の差さない暗黒にたった一人で閉じ込められれば、常人であれば1週間と経たずに発狂させてしまう。そんな環境で数百年を過ごしながらまだ心の均衡を保っているネイミリアのほうが異常なのだ。
しかし、そんなネイミリアの心にも限界が訪れつつあった。
数百年かけて少しずつ削られた精神は崩壊寸前であり、数日と待たずに彼女の心は狂気に沈むことだろう。
ネイミリアという魔女がどうして終わることのない虜囚の身と成り果てたのか――それはさらに数百年の年月を遡る。
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