148.尽忠報国の臣
「お父様……」
メルティナは書斎に広がっていた凄絶な光景に息を呑みながら、取り乱すことなく部屋の中に足を踏み入れる。
ロックウッド・マーセルは書斎の椅子に腰かけ、口の端から血の泡を垂らしながら息絶えていた。
ロックウッドの手には短剣が握られており、切っ先が腹部を斬り裂いている。真一文字に裂かれた腹部からは大量の出血があり、椅子の脚を伝って床に血溜まりを作り出していた。
明らかな自殺。
ロックウッド・マーセルは、己の意思で死を選んでいた。
「…………」
メルティナは腹部の傷からはみ出している内臓の一部から目を逸らし、ロックウッドの前にある机に視線を向けた。
そこには一枚の紙と真鍮製の鍵が置かれている。紙の表面には、インクで書いた丁寧な文字が等間隔に並んでいた。
「これは……遺書ですか……」
メルティナはそっと紙を手にして、文章を目で追っていく。
そこに書かれているのは、これから死を選ぶ人間が書いたものとは思えないような淡々とした文章だった。
最初に、ロックウッドが死を選んだ理由について書かれている。
動機は、レイドールを追放したことへの謝罪。そして、グラナードが仕出かした事態に責任を取ることが目的だった。
どんな理由であれ、国王の乱心を止めることができなかったのだ。そのことに対して、自分なりにけじめをつけなければならない。
グラナードに忠誠を誓い、共にレイドールを虐げるように画策しておいて、今さら自分だけレイドールの治世下で生き残るわけにはいかないのだと。
残る部分は――宰相として業務の引継ぎや財産の相続についてなど、ひたすらに業務的な内容であった。
それはいかにも勤勉で生真面目なロックウッドらしい。父の人柄をよく知っているメルティナにしてみれば、状況も忘れて苦笑いしそうになる文面だった。
「本当に最後の最後まで……もっと、他に書くことはなかったのでしょうか」
腹立たしいのは、遺書の中に娘であるメルティナへのメッセージが一言たりとも書かれていないことだ。
メルティナには兄弟姉妹はおらず、母親も幼い頃に亡くしている。
たった二人きりの肉親だというのに、この扱いはあんまりではないか。
(今さらといえば今さらですが……結局、父にとって私は、利用価値のある駒でしかなかったのでしょうか……)
開拓都市に送られた時点で、すでにメルティナは父親から切り捨てられている。レイドールに囚われてからは、会話はおろか手紙の一通すらのやり取りもない。
自分達は最初から親子などではなかった――そのことは当然わかっているのだが、それでも、虚しい気持ちが湧き上がってくることを止められなかった。
マーセル家は建国時から王家に仕える忠義の家系である。
滅私奉公――国と王家のために必要とあらば、命も家族も喜んで捧げてきた。
父はあくまでもそれに殉じただけ。
自分が父親や祖父からそれを強要されたように、己も娘に対してそれを行っただけなのだろう。
(……本当にどうしようもない人。もう少し器用に生きられなかったのかしら)
もっとも――それはメルティナも同じこと。たとえ縁は断たれても、やはり二人は親子だったのだ。
小さく息をついて、メルティナは遺書の横にある鍵を手に取った。
執務室の片隅まで歩いていき、壁板の一部を手ではがす。板の下には壁に埋め込むようにして金庫が設置されていた。
それはマーセル家にとって重要な文書が保管されている金庫である。その存在を知る者はロックウッドを除いて、メルティナしかいない。
「…………」
金庫を開けると、そこには無数の書類が入れられている。
宰相の業務に係る書類。マーセル家の財産についての権利書。国政の改革についての草案と予算の概算。対立関係にあった貴族の不正に関する情報と、その証拠。
見るべきものが見れば黄金のような価値がある文書が、金庫の中には雑多として詰め込まれていた。
(これはレイドール様に報告しなくてはいけませんね。摂政として国政を担うあのお方に、必要なものとなるでしょうから…………え?)
メルティナはふと眉をひそめた。
多くの文書に紛れるようにして、麻の布でくるまった何かが埋もれている。取り出して麻布を開くと、中からくすんだ銀色のペンダントが現れた。
「これは、ひょっとして母の……」
ふと、記憶の琴線に引っかかるものがあった。
このペンダントのことをメルティナは知っている。幼い記憶の中にある、母の胸にそれは飾られていたはず。
メルティナの記憶が確かならば――結婚する際に父から送られた物だと、母が話していたような。
形見の品を後生大事に金庫の中に保管しておくなど、ロックウッドらしからぬ行為である。
「あの父親にも、人間らしい感情が少しはあったということでしょうか……」
メルティナは苦笑して、ペンダントを自分の首にかけた。
当主であるロックウッドは自害をして、後継者のメルティナは罪人としてレイドールの奴隷になっている。
建国から続いてきたマーセル家の歴史も、これでもう終わりかもしれない。
(それでも……レイドール様の下で、ザイン王国は続いていく。私はこれからも忠義を尽くすことができる)
そして――すべてが消えたわけではなく、残された物も確かにある。マーセル家という忠義の家が存在したという証拠は、メルティナの胸にぶら下がっている。
「……尽忠報国、お疲れさまでした。どうぞゆっくりお休みくださいませ」
メルティナは父と母――二人の形見になったペンダントを握り締め、瞳を閉じてロックウッドの冥福を祈るのであった。
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