138.魂の邂逅
絶対不可避の死が迫る中、レイドールは静かに瞳を閉じる。
グラナードが放った光線は1秒とかかることなく到達して、レイドールの身体に無数の穴を穿つだろう。光線の数から考えて、骨の欠片すらも残らないかもしれない。
しかし――不思議なほどにレイドールの心は落ち着いている。
心の水面は細波一つ立つことなく凪いでおり、まるで悟りを開いた行者のように澄み切った心境であった。
死の間際に、人は己の人生すべてを走馬灯のように回帰するという。
それと同じ現象だろうか。レイドールには光が到達するまで一瞬が、永久のごとく長い時間に感じられていた。
(今の俺では、魔鎧を纏ったグラナードを倒すことはできない。だったら……)
倒せるレベルまで成長すればいい。簡単なことだ。
グラナードの光線がレイドールを殺すまでの一瞬の時間で、二人の間に広がっている彼岸の断崖絶壁を埋めてしまえばいいだけのことである。
(……戦闘狂の皇帝に感謝しないといけないな。アレと戦ったおかげで、向こうにつながる扉を叩く方法がわかった)
レイドールは瞳を閉じたまま、心の奥底にある扉を開く。
まるで生まれた時からその方法を知っているかのように、扉は容易く口を開いた。
そのまま10秒、20秒……1分以上が経っても、いっこうに『死』は訪れない。光に焼かれることはなく、痛みも熱も存在しない。
「…………」
レイドールがゆっくりと瞳を開くと、目の前に見知らぬ光景が広がっていた。
そこは青々とした草むらが広がる草原だった。青い空には白い雲が悠然と泳いでおり、時折トンビのような鳥が天地の境を横切っていく。
そして――草原の真ん中には一台のウッドテーブルが置かれている。
テーブルの傍らには、脚を組んで椅子に座ってティーカップを傾けている少年の姿があった。
「邪魔するぞ」
レイドールは一方的に言って、少年の対面にある椅子に腰かけた。
テーブルの上に置かれたティーポットと未使用のカップを手に取り、自分の手で紅茶を淹れる。
それを一口ほど口に含み……すぐに顔をしかめた。
「苦いな……ミルクか蜂蜜はないのか?」
「……いきなりやってきて本当に図々しいね。流石に呆れてしまうよ」
少年が高い声音で鬱陶しそうにつぶやいた。
顔に目を向けると、少年は非常に整った顔立ちをしている。
目、鼻、唇、眉……顔面を構成する全てのパーツが非の打ち所がないほど完璧な形をしており、それが黄金律のような調和をとって顔の上に並んでいた。
髪の色は淡い金色。柔らかそうな髪の毛は羽毛のようで、思わず手を伸ばして撫でまわしたくなるような質感をしている。
「む……触るなよ。気持ち悪い」
少年がレイドールの心を読んだように両手で頭を押さえ、椅子を引いて距離をとる。
どうやら撫で損ねたようだ。レイドールは肩をすくめて、口を開いた。
「そんなに機嫌を悪くするなよ。ダーインスレイヴ」
口にした名前はレイドールが所有する聖剣の名前である。
こうして言葉を交わすのは初めてのことだが、レイドールは目の前にいる少年こそが己の無比の相棒であることを理解していた。
「……それは無理な相談だよ、レイドール。ボクはすこぶる機嫌が悪い」
少年――ダーインスレイヴは拗ねたように唇を尖らせながら右手を振る。すると空の手に忽然とポットに入ったミルクが現れ、ぶっきらぼうにテーブルに置かれた。
「そもそもさ、ボクは君のことが嫌いなんだよ。嫌いな奴がアポもなしに訪れてきて、それで気分が良いわけがないだろう?」
「おいおい……俺が何をしたって言うんだよ。お前に嫌われる覚えはないぜ?」
「何を? それを聞くのかい!」
ミルクを自分の紅茶に注ぐレイドールに、ダーインスレイヴは音を立ててテーブルを叩いた。
「そもそもさ! 君はボクの扱いが粗雑すぎないかい!? せっかく使い手に選んであげたのに五年間もほったらかしにして、ようやく手にしてくれたかと思えば平気でぶん投げたりするし……! ボクは伝説の聖剣なんだぞ! ボクに選ばれるのがどんなに名誉なことなのかわかっているのかい!?」
「いや、わかってるつもりなんだけど……生憎とこちらも育ちが悪くてな。それにこっちだって文句を言いたいことがある。俺は君のせいで王都を追放されたんだがな」
「それは君達兄弟の勝手な都合だろう! 僕の知ったことじゃないよ!」
ダーインスレイヴは憤然と言い放ち、腕を組んでふふんと鼻を鳴らす。
「それで? わざわざそちらから扉を開けて、どうしてここにやって来たのかな? くだらない用事だったら承知しないよ?」
「わかっているだろう。聖鎧の使い方、教えてくれよ」
「フーン……」
率直な要求を受けて、ダーインスレイヴは見下したような顔つきになる。テーブルの上のカップを軽く指で弾き、皮肉そうに唇を歪める。
「偉そうなことを言って、結局、最後はボクの力が必要ってことかい? 人間は本当に身勝手だよねー」
「身勝手か……確かに、それが人間の業だからな。許せよ」
レイドールは首を振って、ティーカップの中身を一気に飲み干した。
やけに寛いだ態度のレイドールに、ダーインスレイヴは面白くなさそうに眉根を寄せる。
「随分とゆっくりしているね。外の様子が気にならないのかい?」
「どうせ大して時間も経ってないんだろ。それぐらい、わかっているさ」
レイドールはこの場所がどんなところなのか本能的に理解していた。
ここは他でもない、レイドールの心象世界。言うなれば魂の内側である。
この場所でいくら時を過ごしたとしても、外の世界では1秒も経過してはいないはず。レイドールは誰に教えられるでもなく、それを本能として理解していた。
そして――その直感的な理解力と適合性こそが聖剣保持者として最も必要な才覚であることを、ダーインスレイヴはわかっていた。
「ボクが言うのも何だけど……君はさ、聖剣保持者としては天才的だよ。前の使い手だって僕が招かなければこの場所には来られなかった。あの知ったような顔をした皇帝だって、聖剣を手にして1年もしないうちに、ここまでの高みにはたどり着けなかっただろうさ」
「誉めてくれるじゃないか。だったら……」
「だけど! 君はボクの使い手としては粗暴すぎる! 優美さに欠けているよ! もっと丁寧な扱いと綿密な手入れ、それとボクへの敬意を要求する!」
「おいおい……要求が多いな。悪かったと言っているだろうが。善処するから勘弁しろよ」
「当然だろう! これからは気をつけてくれよな!」
「『これから』ね……それはつまり、承諾と受け取って構わないんだよな?」
レイドールが訊ねると、ダーインスレイヴは不服そうに頷いた。
「……いいよ、力を貸してあげる。君の態度は気に入らないけど、あんな聖剣のマガイモノにボクの使い手が負けるなんて腹立たしいからね!」
「助かる、感謝するぞ。相棒」
「本当に調子がいいなあ……ってボクの頭を撫でるな! 子ども扱いするな!」
呆れかえった様子のダーインスレイヴの頭を撫でてやると、少年姿の聖剣は憤然と両手を振り回して抵抗した。
レイドールの手を振り払い、ダーインスレイヴは噛みつくように八重歯を剥いて言ってくる。
「ボクが力を貸すんだから、負けたら承知しないんだからな! 絶対に勝てよ!」
「ああ、勿論だ。魔女に騙されて利用されるような阿呆の兄貴に負けてたまるかよ」
「ふんっ! だったら勝ってみなよ! ムカつく魔女の使徒なんて紙一重も寄せ付けることなく、楽勝でやっつけてみせろ! ボクの聖鎧の名前は……」
〇 〇 〇
「聖鎧【黄昏の戯者】!」
レイドールは瞳を開き、決然と言い放つ。
同時に止まっていた時間が動き出した。平原と少年の姿が消えて、迫りくる無数の光が出現する。
光線がレイドールに到達するよりわずかに早く、漆黒の聖剣から爆発的に瘴気が噴き出した。
地獄の門が開いたような禍々しいオーラが、刹那の間にレイドールの身体を包み込む。
けれど、グラナードの攻撃は止まらない。
そのまま押し寄せる津波のように、瘴気を纏ったレイドールを飲み込んでいった。




