118.王妃の本心
「お久しぶりでございます。王妃殿下」
ロックウッドは王妃の姿を見るや、慌てて腰を折って頭を下げる。
シャノアールは紺のドレスを身に纏っており、紫がかった髪を頭の後ろで編んだ簡素な出で立ちをしていた。手には鳥の羽をあしらった扇子を持っており、白い羽飾りが明かりを落とした廊下の薄闇に浮かんでいる。
(何故だ……いったいどうして王妃が……?)
深々と頭を下げながら、ロックウッドは王妃来室の目的について考えを巡らせる。
シャノアールは五年前に隣国より嫁いできた令嬢である。
レイドールと入れ違いに王都にやって来た王妃の出身国はアテルナ王国。ザイン王国の西側にある小国だった。
両国の間には険しい山脈が隔てている。時折、物好きな旅人や商人が山越えをしてくる以外に、長く交流がなかった遠い隣人だった。しかし、近年の航海技術の発達によって北側航路が開通され、海運による交易が始まったことにより二つの国の間に友好関係が築かれることになったのだ。
そして、その友好の証として、現・アテルナ国王の姪にあたるシャノアールがザイン王国へと嫁入りしてきたのだった。
王宮において、遠方より嫁いできたシャノアールの立場は決して高いものではない。
王国貴族の中には国王グラナードに自分の娘を嫁がせて王妃にしたがっている者だっているのだ。味方がほとんどいない王宮での生活は、針の筵のようなものだったに違いない。
シャノアールは王宮の奥深くにこもりがちで、式典などの必要最低限の公務以外では表舞台に立たないようになっていた。
そんな王妃が自分から宰相であるロックウッドを尋ねてきたのだ。尋常な事態であるとは思えなかった。
「ええ、お久しぶりですわ。マーセル宰相。お部屋に入ってもよろしいかしら?」
「もちろんでございますとも。散らかった部屋で申し訳ありませんが、どうぞお入りくださいませ」
シャノアールが穏やかな声音で入室の許可をとる。もちろん、ロックウッドもすぐに頷いた。
「扉は閉めていただいて構いませんわ。今晩は冷えますから」
「……かしこまりました」
王妃の言葉にピクリと眉を動かしつつ、宰相は部屋の前で見張りをしている兵士に扉を閉めるように指示を出す。
本来、王妃であるシャノアールが男性の部屋を訪れる際には、不貞の疑いをかけられないように入室中は扉を開けたままにするのが通例である。それをあえて破るということは、人には聞かせられないような話をするためということになる。
ロックウッドは心中で穏やかならぬ感情を抱きながら、シャノアールに椅子を勧めた。
「……それで、今日はどのような御用件でしょうか?」
シャノアールが椅子に座るのを確認するや、ロックウッドが単刀直入に尋ねた。
本来であれば世間話の一つもしてから本題に入るのが礼儀なのだが、それ以上にロックウッドは王妃の目的が気になっていた。積み重なった公務による多忙も極まって、ついつい話を急かすような訊き方になってしまったのである。
そんな無礼とも受け取れる宰相の態度を受けながら、シャノアールは扇子で口元を隠しながら話を切り出す。
「最近の王宮は随分と騒がしくなっておりますわね。帝国との戦争。それに……王弟殿の謀反ですか」
「王妃様、レイドール殿下は謀反など……」
「ええ、まだ起こしてはおりませんね。しかし、時間の問題なのではなくて?」
シャノアールが有無を言わさず断言する。
「ご存知の通り、私は五年前に隣国より嫁いでまいりました。私個人にとって遠く離れた異国での生活は決して幸福なものではありませんでしたが、祖国アテルナにとって必要な政略結婚です。アテルナは南の蛮族との戦いで長く疲弊しておりましたから、この国との交易によって得られる利益は戦費として無視できないものでしたから」
「…………」
「夫・グラナードは私をないがしろにすることはありませんでした。しかし、この国の貴族に異国人として蔑まれ、影口を叩かれる妻を庇ってもくれませんでした。当然でしょう。私を優先させてこの国の貴族をないがしろにすれば、それだけ己の支持者を減らすことになりますから。どうせ逃げることなどできない妻よりも、裏切るかもしれない狐の機嫌を取りたかったのでしょう」
「……何がおっしゃりたいのですかな。王妃様」
婉曲に言葉を重ねるシャノアールに、痺れを切らしてロックウッドが尋ねた。王妃は冷ややかな目で宰相を見返しながら、扇子を畳んでパシリと手の平を叩く。
「私にこの国と心中する義理はないということですわ。夫への愛情がまるでないとは言いません。けれど、共に沈むつもりはありませんの」
「それは……まさか……」
「ええ、御想像の通り」
わずかに目を見開くロックウッドに、シャノアールは嫣然と微笑んだ。紅が塗られた唇が三日月形に吊り上がる。
「わたくし、近々この国を出て行きますわ。実家に帰らせていただきますの」
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