101.揺れる王宮
レイドールが王命を果たし、東部八家の裏切り者全てを討伐したという知らせは王宮にも届けられた。
国王グラナード・ザインは配下の兵士によって届けられたレイドールの戦勝の報を黙ったまま聞いていたが、やがて静かに首肯した。
「…………そうか、奴はまた勝ってしまったか」
「はっ……」
報告にきた兵士が膝をついたまま深々と頭を下げた。その表情には深い恐怖の色が刻まれており、必死に床に顔を向けてグラナードから目を逸らしている。
あえてグラナードの顔から眼を背けている兵士であったが、その理由は明白であった。
玉座に腰かけて苛立たしげに指で肘掛けを叩くグラナードの顔には、火傷のようなアザがこびりついていた。顔の四分の一ほどを覆ったアザは鼻と唇から首を通って、左胸まで続いている。
国の頂点である人物を蝕んでいる青紫色のアザは、数ヵ月前に突如として浮き上がってきたものだった。その原因はレイドールによってかけられた『誓約』の呪いである。
今から数ヵ月前、レイドールを嵌めるためにウルフィンの町に送り込まれた密偵が暴走して、王に無断で王弟の命を狙ったことがあった。
暗殺は失敗に終わったものの、王の配下がレイドールの命を脅かしたことで呪いの引き金が引かれてしまい、グラナードの左胸の呪印が発動をして王の肌に色濃いアザを刻みつけてしまった。
左胸から顔へと続くアザは、日夜、火で炙るような痛みをグラナードに与えている。
そして、痛みが走るたびにグラナードは弟への憎しみを募らせていたのだった。
痛みと憎悪からあからさまに不機嫌な表情をしている王から目を伏せて、兵士は淡々とした口調で報告を終える。
「ご苦労、下がってよい」
「はっ……失礼いたしました」
安堵に肩の力を抜いて、兵士がそそくさと謁見の間から退室する。
兵士の姿が扉の向こうへ消えるのを確認して、グラナードは大きく拳を振り上げた。
「クソッ、レイドールめ!」
ダン、と拳を玉座の肘掛けへと叩きつける。
歴代のザイン国王が座ってきた椅子がミシリと不吉な音を立てるが、構わず声を張り上げる。
「どこまでも私を虚仮にしおって! この私を、王であり兄でもある私を貶めておいて、勝利の美酒にでも酔いしれているというのか! どこまでもハラワタが煮えくり返る弟め!」
呪いによるアザが刻まれてからというもの、グラナードの心中では絶えず憎しみの業火が荒れ狂っていた。
そもそも、呪いを発動させる原因となった密偵は、ウルフィンの町に火をかけてその責を被せることによりレイドールの名誉を貶めることを目的としていた。それが勝手な独断専行によってレイドールの暗殺を謀り、失敗したあげくに呪印を発動させてしまった。完全に墓穴を掘ってしまった形である。
策士、策に溺れる――まるで天が、運命がレイドールを王にしようとしているように感じられて、グラナードの怒りに油を注いでいた。
そんな怒り狂う王を苦々しく眺めているのは、やはり側近である宰相ロックウッド・マーセルである。
「……しかしながら、陛下。結果だけ見れば悪いことだけではありません。レイドール殿下の勝利のおかげで、東方国境地域を取り戻して支配下に置くことができます」
ロックウッドは王を刺激しないように言葉を選びながら、やんわりとフォローの言葉をかける。
帝国に奪われた東部八家の領地は大部分がザイン王国へと復帰している。帝国軍に滅ぼされたアーベイル伯爵領とイルカス子爵領はいまだ敵の手中にあるものの、和睦と並行して返還の交渉が進められていた。
「元々、東方国境地域は中央からの目も届いていませんでしたから、これを機にこちらにとって都合のいい人間を領主として送り込むことができるとなれば、好意的にとらえるべきではないでしょうか?」
ザイン王国の国境地域は、建国当初こそ王家に忠実で信頼できる領主が治めていた。
しかし、長い歴史の中で中央から離れた地方貴族は己の既得損益に執着するようになり、王家への忠義も薄れていってしまった。
事実、今回の帝国侵攻でも最後まで王家に忠義を尽くした家はわずかに二つ。東部八家の四分の三が寝返っている。
「信用できる人材を送り込めば、グラナード陛下の権力はさらに増すこととなりましょう。物は考えよう、レイドール殿下を利用して陛下が影響力を強めたと考えればよろしいかと」
「……ふん。これで奴が戦死していれば文句はないのだがな!」
宰相のフォローによってやや溜飲は下がったものの、それでもグラナードは悪態をついて左手で顔のアザを撫でる。
落ち着いてきた様子の王に安堵の息をついて、ロックウッドは渋い顔で頭を振るう。
(……もう陛下はダメかもしれんな。もはや国の主柱としての役割が果たせるかどうか)
宰相ロックウッド・マーセルは滅私奉公の忠臣である。
しかし、その忠義は必ずしも国王グラナードに向けられているわけではなく、ザイン王国という国に向けられていた。ロックウッドにとって国王というのは国を支える柱であり、国家運営の歯車でしかない。
ロックウッドがグラナードの側についているのも、若く未熟な弟よりも、先王の時代から国政を支えていた兄の方が王としてふさわしいと思ったからでしかなかった。
(しかし……すでに状況は一変した。辺境に送られて全てを失ったはずのレイドール殿下が、今や全てを手に入れようとしている……!)
レイドールは帝国との戦いで聖剣保持者としての力を示し、名誉を手に入れた。
冒険者としての活動を通じて人々をすくい、民衆の支持を得た。
そして、今回の東方遠征によって自分の軍を手にして、東部八家の生き残りらを側近として従えた。
(そして……王宮の貴族や官吏の中にもすでにレイドール殿下の側についている者がいる。どれほどこちらの喉元に手を伸ばしているかはわからぬが、このままでは天秤がひっくり返るのも時間の問題だ)
ロックウッドも、どれだけの人間がレイドール側についているかは完全には把握していない。
しかし、少なくとも法務卿をはじめとした重臣の何人かがレイドールの側に寝返っていることを見抜いていた。
聖剣に選ばれたこと以外に取り柄のなかった弟王子が、いつの間にかグラナードの地位を食うまでに影響力を増している。
こちらがどんな苦境に送り込んでも、どんな謀略を差し向けても、まるでそれを糧にするかのように成長してしまう。
(そうか……これが時代の英雄というものなのか)
ロックウッドはどこか遠い目をしながら納得する。
運命の女神に愛されたかのように短期間で力を付けているレイドールは、まさしく時代に求められた英雄なのだろう。
あるいは、後世の歴史家にいたずらに国を乱す内憂として見なされるのは自分達の方かもしれない。
(そう考えてみるのなら、娘を殿下の下へと送り込んだのは妙案だったかもしれん。どんな形であったにせよ、我がマーセル家の人間が次の国王に仕えることになるのだから)
薄々感づいていたことであったが、宮廷内部の切り崩しには捕虜としてレイドールに捕らえられているメルティナ・マーセルが関わっている。
仮にグラナードが失脚してロックウッドがともに沈むことになったにせよ、メルティナが次代の王となるレイドールを支えるのであれば、忠義の宰相としては満足のいく結果である。
これから兄弟で生じるであろう政争――そこでグラナードが勝利したのであればロックウッドが、レイドールが勝利したのであればメルティナが王を臣下として支えることになる。どちらが勝利するにしても、マーセル家の忠義は不滅であった。
(国のために一度は娘を犠牲にしたのだ。今度は私も犠牲になることを覚悟せねば)
「ロックウッドよ、次はどのような手を打つつもりだ? これ以上、あの弟を増長させることなどあってはならん!」
「そうですな……」
王国の未来を憂える宰相へと、グラナードが忌々しそうに声をかける。
ロックウッドは考えを中断して、現在、思いつく限りの最善手を口にした。
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