100.東部平定
「お見苦しいところをお見せいたしました。レイドール王弟殿下」
ジャスティとアンジェリカの決闘。そして、スヴェンの仲裁での大泣きから1時間後。
再び領主の屋敷にて、アンジェリカ・イルカスは謝罪の言葉を口にした。
かつては帝国への復讐に憑りつかれ、幽鬼のごとく表情を失くしていたアンジェリカであったが、現在は柔和な顔つきが取り戻されている。
まさに憑き物が落ちたような清々しい表情となったアンジェリカは、顔の左半分が包帯で覆われていてもなお惹きつけられるような魅力的な女性に変貌していた。
本来であればレイドールの管理下に置かれることになったこの町で、レイドールの側近の一人であるジャスティに刃を向けた彼女には厳罰が下されなければいけない。
しかし、被害者であるはずのジャスティが「これは模擬実戦であって私闘ではない!」などと頑なに言い張ったがため、ひとまず処分は棚上げとなっていた。
「それはまあ、とりあえずいいんだが……」
椅子に腰かけたレイドールはアンジェリカの謝罪を受け取り……しかし、微妙な視線を彼女の胸元へと向ける。
「…………きゅう」
レイドールの前に立つアンジェリカの胸にはまだスヴェンが抱きしめられていた。
両腕を背中から前に回して、まるで子供がクマのぬいぐるみを抱きかかえるように抱擁している。
レイドールと目が合うと、少年軍師はパクパクと唇を動かして「タ・ス・ケ・テ」と救援を求めてくる。
「うーむ……」
レイドールは眉間のシワを指で押して難しい顔つきになりつつ、とりあえず尋ねてみることにした。
「ところで、アンジェリカ・イルカス殿。さっきからどうしてスヴェンに抱き着いているんだ?」
「それはですね、殿下。スヴェンが死なないようにするためです」
きっぱりとアンジェリカが断言する。迷いのない強い口調である。
「人間は油断すると死んでしまう生き物です。私の両親も弟も死にました。だから、私がこうしてスヴェンが死なないように守ってあげなければいけないのです」
「いや……ここには敵もいないし、別に危険なことはないと思うのだが……」
「いいえ、死にます。すっごく死にます」
「……死ぬんですか、僕」
スヴェンはすでに涙目になっている。
ケンカの仲裁に入ったら何故か顔見知りの女性に抱きしめられ、ぬいぐるみ扱いされて死を宣告されているのだ。泣きたくなるのも当然であった。
一度は幽鬼と成り果ててしまったはずのアンジェリカ・イルカスの変貌。それにはいくつかの複雑な原因があった。
アンジェリカは『虐殺姫』などという物騒な異名を付けられるだけあり、戦場ではかなり苛烈な戦いをする女騎士であった。
そんなアンジェリカであったが、日常的に非情というわけではない。
両親を深く尊敬しており、友人を大切にし、とりわけ幼い子供に対しては深い慈愛をもって接する母性的な女性としての側面も有していた。
しかし――イルカス子爵家の滅亡と家族の死。特に血を分けた弟の死はアンジェリカの心に深い傷を刻みつけてしまった。
復讐と狂気に憑りつかれたアンジェリカは血をすすり死肉を貪る羅刹女のごとき凶女と化し、イルカス家を滅ぼした帝国と裏切り貴族を追い求めるようになった。
そうして修羅の道へと踏み込んだアンジェリカ。気の休まる暇もなく、破滅に向かって行くだけだった彼女が出会った一欠片の安息――それこそがスヴェン・アーベイルである。
スヴェンの生家であるアーベイル伯爵家は帝国に屈することなく最後まで戦い、そして滅亡に追いやられた家である。つまり、スヴェンはアンジェリカと同じ立場であり、唯一その気持ちを理解できる人間ということになる。
盟友と信じていた者達から見放され、婚約者とその実家カルシファー伯爵家でさえも信じられなくなってしまったアンジェリカにとって、もはやスヴェンは信用できる唯一の希望。地獄に降りてきた蜘蛛の糸のごとき存在であった。
『……元々、アンジェリカさんは子供好きで優しい人でしたから。僕と弟さんは仲もよかったですし、面影を重ねているのかもしれません』
――というのは、ぬいぐるみ扱いされた状態でスヴェンが諦めたように口にした言葉である。
ともあれ、一度は崩壊したアンジェリカの心はスヴェンとの邂逅によって歪な形で再形成された。
スヴェンの存在が彼女にとって一つのタガになっているのだろう。まるで精神安定剤のように、スヴェンを抱いている時だけかつての苛烈ながらも優しかったアンジェリカ・イルカスに戻るのだ。
この世の幸福を独占したような満ち足りた顔で少年を抱いているアンジェリカに、レイドールは苦々しく溜息をついた。
「……その話はとりあえず置いておくか。ところで確認なんだが、イルカス家も俺の軍に降るということで構わないな」
「もちろんでございます、殿下。奪ったカルシファー家の領地、もちろんキルギスやクベルトスのものも全て明け渡します」
アンジェリカは力強く頷いた。ゴチリと細い顎がスヴェンの後頭部を叩くが、気にした様子もなかった。
「ザイン王家の方に再び忠義を尽くせることを嬉しく思います。こちらのスヴェンともども、末永くお仕えいたします」
「……僕とセットなのは決定事項なんですね。もういいです、それで」
諦めきったスヴェンはすでに悟りを開いたような顔になっていた。
遠い目をした少年のお腹をアンジェリカがスリスリと手で撫でまわす。
アンジェリカというあまりにも精神的に歪んだ女性を陣幕に迎えることに不安がないわけではなかったが、ジャスティに匹敵する戦力が増えるのは喜ばしいことである。
レイドールはアンジェリカにまつわる問題をすべてスヴェンに丸投げすることに決めて、この部屋にいる最後の人物へと目を向けた。
「あーあ、浮気だ。これは間違いなく浮気だよ」
アンジェリカの夫であるはずのブラッド・イルカスである。こちらはこちらで達観した目になって窓から空を眺めていた。
「まさか新婚で一週間も経たないうちに他の男を作られるなんて……やはり腐りかけの果実は珍味だ。ほろ苦いなあ」
「……何を言ってるんだ、こいつは」
「夫のことは気にしなくても結構です。用済みになったら始末しますから」
「始末するのか!?」
やはり、若干まだ闇が残っているようである。
レイドールは先行き不安なアンジェリカに、軽い頭痛を覚えた。
かくして、ザイン王国東方国境に領地を持つ東部八家の全てがレイドールの傘下に置かれることになった。
国王グラナードの勅命から半年と経たない短期間での勝利である。
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