03 成人の儀式・下
「いい加減、諦めなよ?」
森の社から村への帰り、項垂れて藍玉に引きずられるように歩く琥珀に、翠玉はため息と共に何度も呟いた言葉を再び口にした。
琥珀の髪と瞳は、漆黒に変わった。つまり憧れの大地の加護ではなく闇の加護を受けたことになる。性別は誰もが思ったように、男性だった。
「太刀が適性だったんだし、良かったじゃない」
翠玉の言う様に琥珀の爪には、剣士の紋章が現れた。剣士だったので、それは嬉しいことだった。剣士は色んな武器があるのでさらに調べてみると、琥珀は太刀に向いているらしい。伝承の中であまり良く書かれていない闇の女神の加護は、冒険に憧れる子供心的に微妙だった。
「それに剣士は、樹木と大地が有利だ。だがしかし加護の力が強いと言われる闇と光は、悪くないかもしれないよ? 訓練を受けずに魔獣退治で活躍した私の兄も、琥珀のように闇の加護だっただろう?」
琥珀が見上げる藍玉は、水晶に触るまでの彼と同じ様なのにどこか変わった気がした。声音は少し低くなり、柔らかだった顔立ちは頬が少しすっきりした様に見える。しかし三人の中で一番背の高い彼は、変わらず彼らのまとめ役だ。
藍玉の兄は蒼玉という。三歳年上で、闇の呪術師に選ばれた。長く美しい濡羽色の髪の、物静かな端正な顔の兄だった。その年は、兄しか成人の儀式を迎える者はいなかった。その翌年、つまり蒼玉が十六歳になる前の冬。隣の村との間にある山奥に、魔獣が現れて二つの村の作物や家畜を荒らす様になった。時期が時期だけに村に冒険者は生憎訪れなく、冬を越す食料の備蓄を不安視した村長達は隣村と合同の討伐隊を作り、魔獣を狩る事にした。
即戦力になりそうな年頃の若者は冒険に旅立っているため、参加できる者が少なかった。だから戦士教育を受けていない蒼玉ですら、参加せざるを得ない状況だった。村には、商いや農業をしている大人たちばかりで武器の扱いに熟達した大人は少なく、極寒の中年老いた者は戦いに参加できなかった。回復しか役に立たない蒼玉だったが、村人達は犠牲を出したものの何とか魔獣を倒した。その魔獣を仕留めたのは、道具屋の店主が風の加護を込めた弓だったそうだ。
力不足を痛感した蒼玉は村の大人達に褒められても不甲斐なく感じたため、彼は戦士になるため旅に出た。闇と光の呪術師は回復に特化していることを理解していた。単に、運が良かったのだと。だから、戦士になり強くなりたかった――そう、藍玉に言っていた。
夜遅く血だらけで帰ってきた討伐隊を村人達は労い、討ち死にした村人は手厚く葬られた。琥珀達は、普段慣れ親しんでいた蒼玉の変わり果てた様子に驚き、しばらく彼に近づくことができなかった。優しく物静かな蒼玉の辛そうな姿に、琥珀は強くなりたいと強く願ったのを覚えている。蒼玉が、命がけの戦いに参加したことを理解していた。なのに、何故魔獣に勝って村を守ったのに彼が辛い思いをしなければならなかったのか――ならば自分が戦う時は、絶対に生き延びて相手を倒してやる。そうして、自慢してやる、と。
「蒼玉から連絡はあるのか?」
後ろを歩く村長が、長老と並び歩きながら藍玉に声をかけてくる。
「いえ、夜岳に向かうと出て行ってから連絡はありません」
夜岳とは、北の方にある寒い闇の男神――今は闇の子の守護する国だ。氷連地と呼ばれる氷の大地の先にある険しい道程だ。
「そうか。あの子は不憫な経験をしたからな。元気でいると良いが」
社を出て話している間に、いつの間にか琥珀たちの住む村が見えてきた。まだ小さい白い姿のままの村の子供たちがピョンピョンと跳ねて手を振っている。それを見た翠玉が、笑顔で手を振り返して駆け出す。未成人の頃に比べると女性らしく、丸みを帯びた翠玉の姿に、成人になるという儀式に琥珀はある意味怖さも感じた。自分が男になり成人した事で、僅かに世界が変わった気もする。
――村で何か有れば、これからは俺が守らないと……!
右手に刻まれた剣士の紋章に視線を向けて、翠玉の親が殺されたことや蒼玉が受けた心の傷を思い、その右手をぎゅっと握り締めた。
家で待っている親に報告するため、琥珀と翠玉は藍玉と別れて家に戻った。
「翠玉、女の子に選ばれたんだねぇ。きっと可愛らしい子に育つわ」
「お母さん達が大事に育ててくれたからだよ」
二人を迎えた母親は、顔を綻ばせて翠玉を抱き締めた。照れ臭そうに翠玉も母を抱き返した。
「琥珀はまだ三人の中で一番小さいのに、闇の剣士だって? 母さん村長に笑われたわよ」
母親は花の加護で、鴇色の髪と瞳だった。召喚師に選ばれたが戦士にはならず、父と村で食堂を経営していた。冒険者達が通る街道に近い村だから、旅の途中に立ち寄る人がいるし村人もよく利用していた。冒険者に旅の話を聞くのが好きで、琥珀はよく店を手伝っていた。料理が苦手な翠玉は、ほとんど料理を配膳する係だった。
「お前達は、これからどうする?」
仕込みを終えた父が、調理場から濡れた手を拭きながら二人に尋ねた。
父は、風の加護を受けている。山葵色の刈り込んだ髪と瞳。守護師に選ばれてしばらく冒険者として旅をしていたが、片目を失い村に帰ってきて妻の食堂を手伝いを始めた。村で一番の戦力なのだが、四年前の魔獣討伐の時は食材の補充で村を離れていた。
「翠玉は、村でこのまま私たちと過ごしましょう。戦士なんて危ない事は辞めた方がいいわ」
翠玉を抱き締めたまま、母親は柔らかだがキッパリと呟いた。翠玉の殺されてしまった両親を思うと、彼女を魔獣や魔物に遭わせることはさせたくないという親心だろう。
「僕は……」
翠玉は言葉に詰まって、うまく続きを言えなかった。
「俺は、戦士になる! 村を守る力が必要じゃないか!」
「それなら王都に行って、使い手様の修行を受けに行かないといけないぞ?」
手を拭き濡れた手拭いを腰元に巻いた前掛けに挟んで、父は反対するでもなく琥珀に返した。
「太刀なら、武器屋に頼みに行って来い。ああ、それにお前達は成人したから大人用の新しい服も買ってこい。何時までも白童子の格好では駄目だからな」
白童子の時は、着物に簡単な帯を巻くだけで済む。だが成人になると、肌着を身に着け、きちんとした帯を巻くようになる格好が普通だ。
「お前の太刀の柄には、闇の聖獣の蛇を入れてもらうといい」
闇の聖獣は、九つの頭を持つ蛇だった。蛇が嫌いな琥珀は引きつった面持ちで嫌そうに顔を背けながらも、母に連れられて翠玉と着物屋に向かった。