身勝手な婚約
失敗した婚約破棄のイザベラ目線。
彼と婚約したのは幼少の頃。
何歳だったかも覚えていない。ただ彼の姉を見る目が、悲しそうで寂しそうで尊敬しているようでごちゃ混ぜになったその顔を、どうしても幸せにしたくなってしまったの。
彼の姉は、とてもとても優秀な人。何においても望んだ成果以上の結果を出す人で、自分のできないことを補う人間を見出すことにも長けているそんなすごい人。それをすごいとも思わず、淡々とやってのける姿は恐ろしくもあって、同じ人間なのかと疑うこともあった。そんな人が姉だなんて、と可哀想になってしまった。
身の程知らずにも、同情し、初めて両親に言った我儘が彼との婚約だった。
互いの家が了承して、婚約者としての初めての顔合わせの時。なにもかも完璧な彼の姉も間近で見てしまった。その、完璧すぎるが故に人間味のない彼女に魅入られてしまって、彼との会話も覚えていない。
この人が姉で、家族なんて息が詰まりそうで、彼をよくわたしの家に誘った。お茶をして、彼の話を聞いて彼を褒めた。
彼はよく、
「自分は両親に褒められるけど姉は褒められているところを見たことがない。だから自分の方が優秀であるはずなのに、少し早く生まれただけで家を継ぐことに耐えられない。」
と言った。
婚約者の自分でも、彼女の優秀さを知っているのに間近で見ている彼はなにを言っているのかと思ったけれど、それが本心からの言葉であると目が語った。
けれど、そういいながら彼は努力はしなかった。
貴族としての作法は常に学んでいるようだったけれど、彼は平凡だった。両親が褒めるから、自分を過信しているようで、過信していることを分からせるのは自分の役目なのだと、彼を幸せにしてあげたいと決めたのは、婚約を望んだのはわたし。
厳しいようだけど、それではだめなのだと、貴方の姉は貴方の数倍の努力の上で次期公爵の立場にいるのだと言い続けた。
「姉が家で勉強をしている姿や、領主として学んでいる姿など見たことがない。ただ庭で自室で当主の席でお茶をしているだけだ。」
姉の姿をきちんと見ることもしていない彼は愚かだと思った。でも結婚さえすれば、わたしが舵をとればいい。愚かであっても、見つめる目は優しいし、話をすれば愛おしいと思うから、ずっとこのままでいられるのだと思った。思っていたのだった。
歳を重ねて、彼の姉が公爵になった。彼の過信はますます酷くなっていった。そう言われる度に、彼の姉のすごさを伝え彼の言葉を否定した。
言い続けていたら煩わしくなったようで、顔を合わせる機会がどんどん減っていった。手紙を出しても返事が返ってくることもなくなってしまった。夜会の席でのエスコートですらも、してもらえることがなくなってしまった。
そうして、学園に入る頃にはもう婚約者という立場などどこにもなくなっているようだった。事実上の婚約者というだけ、婚約破棄目前とも言われていた。
そんなわたしの心の支えは彼の姉から来る手紙で、彼が勝手をしていることの謝罪だったり、お茶のお誘いだったりそんなことが書かれている手紙を支えにしなければ彼の婚約者であると忘れてしまいそうな程に、彼との関係は希薄になっていた。
しばらくして学園で、どこの誰とも知らない女生徒と一緒にいるところをよく見かけるようになった。優しい眼差しで、わたしと話していたあの頃を思い出すような、それよりも熱い視線をその女生徒に投げかけていた。
それを受けている女生徒が羨ましいと思った。それを受ける立場はわたしなのに、と。
けれど、彼に話しかける勇気がなかった。関係ないと言われてしまうことが怖かった。
彼と女生徒の会話を聞いてしまった。わたしにも話していた過信を彼女に話しているようだった。
「こんなに優秀なのにお家を継がないなんて、そんなのおかしいです!こんなにも頑張っているのに!」
甘い毒のような言葉だと思った。何も知らないからこそ言える言葉だ。だけどその言葉を受けて嬉しそうな笑みを浮かべる彼を見たときに、彼に必要だったのは現実を突きつける鋭い言葉ではなく、ただ認めるような甘やかすような彼をだめにするようなその毒のような言葉であると知ってしまった。
知ってしまったから、もうだめだと思った。
初めから間違っていたのだ。幸せにしたいなんてエゴで婚約者の立場に収まり、現実を突きつける婚約者と、彼に見初められて一緒にいて甘い言葉を囁ける女生徒。どちらを選ぶかといえば彼女を選ぶ。
けれど、わたしは間違っていたとはいえ、彼を愛していた。愛してしまったのだ。だから、婚約を破棄されるまではせめて、婚約という言葉の鎖で彼を縛っておきたかった。彼がわたしを見てくれることなんてないと分かっていたのに。
卒業を控えたある日、彼の姉から手紙が届いた。彼が卒業パーティーでわたしを糾弾するのだと。女生徒を虐めていたことを断罪するのだと。
その言葉を見たときに、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
邪魔なんてしなかった。だって彼が幸せになることがわたしが婚約者でいる理由だったから。彼と女生徒が一緒にいるところに割って入ったこともない。そもそも彼女自体と面識がないのに、どうやって虐めるというのか。
あんなに愛していたのに。ただの婚約破棄なら受け入れたのに。そこにちょっとした謝罪さえあれば祝福すらできたのに。そしてわたしだってエゴで婚約してしまったことを謝ることだってできたかもしれないのに。それに、そんなことをするのであれば、もういらないのだと捨て置いてくれたらよかったのに。お前の存在が煩わしかったのだとそう言ってくれたらよかったのに。
散々泣き腫らした後に、彼の姉からの手紙が二枚だったことに気づいた。
彼の処分について記されていた。
もう、顔なんて見たくなかった。知らない土地で彼女と勝手に幸せになったらいいと思った。
勢いに任せて、そのまま手紙に書いてしまった。
冷静になって、わたしが一番勝手だということに気づいた。
愛していることを伝えもせずに、彼と女生徒の関係を尋ねることすらしなかった。距離が近いことを咎めもしなかった。婚約者という立場に甘えていた。
甘えることを認めたのは、彼ではなくて彼の姉だった。
彼の姉が認めるのだから、何もしなくていいのだと彼を、彼の姉を理由にし続けたのはわたしだ。
卒業パーティーでの断罪は受け入れるべきだったのかもしれない。
勝手だったわたしへの罰。
彼を下に見ていた、可哀想だと同情して、幸せにしてあげたいなどと身勝手に思って、彼と向き合おうとしなかった。彼をずっとずっと支えてあげたいなんて勝手に思っていたのに。
彼の姉から、彼が病死したのだと手紙が来て彼を偲んで泣いた。
それすらきっと、彼からしたら勝手なのだろう。
わたしなどと婚約しなければ、彼は病死なんてすることはなかったのだ。甘い毒などと言っていないで女生徒との関係を認めて、わたしから婚約破棄をすればよかった。
後悔にまみれて、身勝手な婚約をしてしまったことがそもそもの間違いだったのだと思い知った。