二
二年前、俺が十九の頃、沼ドラゴン討伐に出たことがある。
魔獣が現れるこの大陸では、王国の騎士団、魔術師団は民を魔獣から守るために在る。他にも魔獣狩りを生業とするハンターが集うハンターギルドがある。
当時、騎士団に所属する俺は第二王子が率いる沼ドラゴン討伐隊にいた。
「なんでわざわざ沼ドラゴンを討りに行くんだか」
同僚の騎士で友人のエクアドの呟きに同意しながらも注意しておく。
「そういうことはもっと小声にしろ」
「皆、そう思ってるっての。目撃したって話はあっても人の住んでるとこからは離れてるってのに。それに沼ドラゴンは手を出さなきゃ大人しいって聞いてるぞ」
「それでもドラゴンだ。倒せばドラゴンスレイヤーを名乗れるってことだろ」
「角無し翼無しの下位地龍を討伐して、ドラゴンスレイヤーも無いと思うがね」
「三年前のゴブリン大進行撃退に参加できなかった王子様が、手柄を立てたいのだろうよ」
「なんだ、カダールもこれがバカバカしいって解ってんじゃないか」
「それでも騎士の役目だ。なるべく被害が出ないように終わらせることとしよう」
薄暗い森の中、沼地の近くへと。騎士団に魔術師団、雇ったハンター達で目的地に向かう。二本足で立つトカゲ、リザードマンの襲撃を撃退しつつ、沼ドラゴンの住み処へと。
「射て射てっ! 魔術師は火系で集中攻撃!」
第二王子が後ろから叫んでいる中、沼ドラゴンとの戦いは苦戦した。何より足場が泥でぬかるみ動きづらい。平地であればブレスを吐かない下位地龍など、この部隊ならば簡単だったものを。
一軒家ほどの大きさの巨大な茶色のトカゲ、動きは鈍いが外皮は硬く、泥で滑る。
剣を振り沼ドラゴンの前足に切り込むもたいしたキズをつけられない。
身体ごと旋回して振り回す丸太のような尾を伏せてかわす。騎士が二人その尾に撥ね飛ばされて、沼の側の繁みに落ちる。もう鎧は泥まみれだ。
首を振り叫ぶ。
「一度後退を! 足場の良いところまで引き寄せてから!」
「ならん! 逃げられてしまうだろうが!」
あの第二王子は解ってない。このまま騎士とハンターで押さえて魔術師団が火弾を射ち続ければ討伐も可能だろうが、これでは前衛の被害が増え続ける。
騎士エクアドが槍を構えて沼ドラゴンの後ろ足に突撃する。
「足だけでも止めるぞ! カダール!」
「エクアド! 無茶をするな!」
沼ドラゴンが前足でハンターを撥ね飛ばす。角の無い大トカゲ頭に魔術師の火弾が命中し、滅茶苦茶に暴れだす。俺もエクアドも慌てて飛び退いたところで、沼ドラゴンは第二王子のいる後衛の方に突撃する。大盾を構えたハンターが体当たりを受けて、呪文詠唱中の魔術師を巻き込んで倒れる。
これは不味い、そのときに沼ドラゴンの身体の上に影が落ちた。
沼ドラゴンを押し潰すように上から落ちてきたのは、巨大な黒い蜘蛛だった。
「ジャイアントウィドウ!?」
沼ドラゴンよりは少し小さいながらも、小屋ほどはある大きさの黒い大蜘蛛。ジャイアントウィドウは肉食の獰猛な危険な魔獣。そのジャイアントウィドウが沼ドラゴンの背に降り、牙を突き立てている。
「ギョアアアアッ!」
沼ドラゴンが悲鳴のように鳴く。背中を噛み千切られて血がしぶく。
だが、何故、ジャイアントウィドウが人を狙わず、自分より大きな沼ドラゴンを襲うのか? 疑問が頭をかすめるが、この混戦に付き合ってはいられない。既にハンター達は退き始めている。
顔の泥を拭って後衛に走り叫ぶ。
「撤退! 撤退だ! 戻って隊の立て直しを!」
「何を言う! ここまで追い詰めたのだ! 二匹ともまとめて討伐するぞ!」
こんのボンクラ王子が! 状況解れ!
ジャイアントウィドウは沼ドラゴンの背中に張り付いたまま、牙と爪でその背中を抉り辺りに赤黒い血飛沫が跳ねる。沼ドラゴンは背中の大蜘蛛を振り落とそうと滅茶苦茶に暴れ出す。
こんな二大巨大魔獣決戦に付き合ってられるか。潰しあってくれるなら今のうちに離れるべきだ。
騎士団長を見れば、
「撤退するぞ! 騎士団は殿! 魔術師団と王子が退くまで援護だ!」
流石に解っている。俺は喚く王子を退かせる為に近づく。不敬でもいっそ殴って黙らせるか。
そのとき暴れる沼ドラゴンの頭が王子を襲う。迫り来る沼ドラゴンの顋を前に棒立ちになるへなちょこ王子。
「御免!」
王子を守る為に肩から王子に体当たりをかまして転がす。とっさに右手の剣を迫る沼ドラゴンの頭に突き出す。
あぁ、俺、死んだな。こんなところで沼ドラゴンに食い殺されるのか。父上、母上、俺は騎士の務めを果たしましたが、先立つ不孝をお許し下さい。
だが、待っていても来るべき衝撃も牙も来ない。目を開けて見てみれば、沼ドラゴンは俺の目の前で大口を開いて動きを止めていた。
キラリと光るものがある。よく見れば糸のようだ。沼ドラゴンの顎に足に細い糸が巻き付いて動きを止めている。
これはジャイアントウィドウの糸か?
沼ドラゴンは自分で振り回した頭の勢いを、糸で強引に止められ、めくり上げるようにトカゲのような上顎を大きく開いている。
俺が反射的に突き出した剣は、沼ドラゴンの口の中から上顎を貫いていた。
状況をやっと把握して止めていた呼吸を再開すれば、腐ったような沼ドラゴンの口臭に吐きそうになる。
口の中に刺さったままの剣から手を離し、倒れて白眼を向く王子を抱えてジャイアントウィドウから逃げる。
「団長! 王子は俺が運びます!」
「任せたカダール! 全員退け! 一旦森を出る!」
怪我をしたハンターに肩を貸して進むエクアドと並んで、ジャイアントウィドウから逃げる。
一度、首だけ振り返って見れば、動きを止めた沼ドラゴンをジャイアントウィドウが貪り食っていた。
そのジャイアントウィドウは右の一番前の足が一本欠けていた。
このときはそのまま全員で撤退した。俺は剣を無くしたが、代わりに沼ドラゴンにとどめを刺し、第二王子を救った騎士などと言われるようになった。
実は沼ドラゴンを倒したのはジャイアントウィドウなのだが。
あの大蜘蛛は俺が窮地のときに現れて、助けてくれたのだろうか?