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6、そして声も重なるが、それは求めていない


 ——マズイ、非常にマズイ。マジでヤバい事になった。


 俺は生粋のアイドルオタクだ。

 だから推しに対する投資は骨身を惜しまず行なってきたという自負があるし、推しに対する思いは誰にも負けたくない。

 俺は推しのためにライブのチケットが早く売れるよう、2.5chでステマを行なったり、グッズは誰よりも買って来た。


 だけど、俺は引きこもりである。

 ライブに行けないのだ。

 リンク君人形を出動させればいいと思う人もいるかもしれないが、自分の中ではそんな簡単な話ではない。

 代役にライブへ行ってもらい、カメラでその風景を収めるというのは、推しが努力して作り上げたライブを踏みにじるような行為に感じるし、推しが尊すぎて近寄ることさえもおこがましいと思ってしまうのだ。

 つまり推しが尊すぎて辛い。


 時に、アイドル業界には“トップ・オタ“と呼ばれる存在がいる。

 彼らも推しを愛し、推しのために全国各地を飛び回り、推しのために汗を流す。

 そして何より大切なのは、推しから”認知“をもらっていること。

 そんな彼らの仕事に俺は深い感銘と尊敬の念を抱いている。

なろうと思えば引きこもることなんてやめて“トップ・オタ”の道へと邁進していたかもしれない。

 そして“認知”なんかを……、もらっちゃったりして……。

 ぐへへへ……。

 おっと話が逸れた。


 でも結果的にそのようなことはやっていない。

 ——それはなぜか?

 俺は“チキン”であるからだ。

 “チキン”故に推しに近くのは緊張してしまうのだ。

 そこで俺は諦めていた。

 推しに会うことは決してないだろう、と。


 しかし。


 ——扉の向こうに2つの人影が見えた。


 鼓動が高まる。クラスの中も落ち着きがないが、それは転校生の存在を知っているからではなく、それはいつものことである。

 真に落ち着きがないのは、自室で目をひん剥いている自分であろう。


「はい。みんな席に着け」


 ガラガラ、という扉の音に反応して、騒々しかったクラスに秩序が生まれていく。

 皆、席に慌てて戻り、次第に静かになっていった。

 扉から入って来たのは寺田先生、ただ一人だけである。


「今からHRを始める! クラス委員長」


「——はい! 起立」


 気の弱そうなメガネの少女が号令をかける。

 その声を合図に、クラスの人間は立ち上がった。

 ちなみにリンク君人形はというと、少し反応が遅れて一番遅く立ち上がったのはここだけの話である。


「気をつけ! お願いします」


 クラス委員長と呼ばれた少女の言葉通りに皆頭を下げた。

 さすがは進学校。皆、真面目なのだろう。

 聞き分けがいい。


「はい、よろしくお願いします! 今からホームルームを始めたいところですが、その前に、今日はとてもいいお知らせがあります」


 担任の話すとても良いお知らせというものに誰も見当がつかず首をかしげるものが多い。

 心当たりがある俺はというと、自室で一人頭を抱えていた。

 先生はにこやかに廊下を見ると、入って来て、と言いながら廊下に手招きをした。

 つられて生徒たちは先生の視線の先を伺った。


 そこから現れたのは、美少女だった。

 身長はさほど高くないが、全体的にすらっと痩せている分高くも見える。

 黒い髪は太陽を反射し、春の訪れを感じさせた。

 今まで遭遇したことのない美貌を前に、俺を含め生徒たちは口を開けていた。


「転校生の大園さんだ。大園さん、自己紹介を」


「はい」


 その少女はハーフアップの黒髪ツインテールをなびかせながら黒板に向くと、白のチョークで、大 園  莉 子 と教科書のような文字を書いた。


「大園莉子です。アイドルをやっています。ここへは色々あって転向することになりました。これから始まる皆さんとの学校生活を有意義なものにしたいと思っています。仲良くしてください。よろしくお願いします」


 少女は深々とお辞儀する。


 クラス中の誰もが、時が止まったように錯覚した。

 無駄のない動き、落ち着いた所作、それはいつまでも続きそうな永遠であった。


 しかし、少女もずっと頭を下げ続けるわけではない。

 彼女が何を考えているか見当はつかないものの、何かしら満足したのか頭をあげる。

 そして周囲を見回すと……。

 世界で一番の笑顔を振りまいた。


 クラスから歓声が沸き起こった。


「マジかよ……、あの大園さんだろ?」


「——近くで見るとオーラがあるね」


「かわいい〜!」


 クラスに訪れた静寂はひと時のものであった。

 一人、また一人と口を開いては自分の感じた驚きを、周囲の人間と共有しようとした。これは一種のパニックと言っても良いかもしれない。

 騒がれている当の本人は慣れているのか、特に慌てた様子もない。話しかけられては、その都度そちらに目配せをしていた。


 しかし、不意に、俺は少女と目があった。

 いや、その言葉には語弊がある。

 リンク君人形が見ている光景を通して、彼女の透き通った瞳とモニター越しに目があったのだ。

 頭が真っ白になり、自室に固まる俺。

 リンク君人形はというと、視線をそらさずにりったんと目を合わせ続けていた。


 クラスの誰かがそれに気づいのか、冷やかしに声をあげた。


「おい、網島〜。大園さん困ってるだろ。ガン見すんなって」


「網島? キモっ」

  ハッっとなって俺はリンク君人形に視線を外に外すように命令した。

 普段と違い舞い上がっていたのか、冷静さを欠いていた気がする。

 リンク君人形は命令を受け取ると、何事もなかったかのように窓の外を眺め始めた。


「はいはい、静粛に!」


 先生が喧騒を遮る。

 この学校は進学校であるにもかかわらず、大人しい人が多いわけではない。

 個性を持った連中が山ほどいる。

 それをまとめる先生の労力というものは、並大抵ではないだろう。


「そうだな……、席は……。網島の隣が空いているからそこを使ってくれ」


 寺田先生はそういうと、俺の隣を指差す。

 俺の右手側にある机は5つ並べられてはいるものの、入学した時からすべて使われてはいない。


「わかりました」


 少女はそう言うと、俺に近づいてきた。いや、その言葉に語弊がある。俺の隣の席に近づいてきた。


 コツ、コツ、と言う小気味の良いリズムがクラスに響く。

 そしてそれはだんだん大きくなってきて、俺の右で止まった。

 しかし椅子を引く音が一向にしない。


(なんで座らないんだ?)


 リンク君人形に、右を向け、と言う指示を送る。

 モニタの視点が移動する。

 それは美少女を捉えた。

 彼女はこちらを向いて立ち止まっていたのだ。

 そして視線がまたもや交差した。

 すると、少女は微笑み、


「よろしくねっ!」


と言った。


 落ち着け…… 俺。

 今の言葉は俺に向かって言ったのか?

 俺の後ろには誰もいないはず。

 あ、っそうか。

 お隣さんだからこれからのご近所付き合いよろしくお願いします、と言う意味でクラスの中で陰キャラとなっている俺にしょうがなく言ったんだな? 

 でないと、話しかけるのはおかしいのでは??


 ここで俺もよろしくお願いします、と返すべきだが、俺の“推しとは必要以上に関わらないようにする”という原則を守ろうとすると、何も返さず、外に視線を外して“嫌なやつ”、と思われた方がいいだろう。


 しかし、しかしだ。

 俺はりったんに、不快な気持ちで学校生活をスタートして欲しくない。

 そう。

 これは母性だ。

 我が子を見守る気持ちで、よろしく、と返答しよう。


 俺は決心を決めると、マイクのボタンを慎重に押し、よろしく、と一言呟いた。


 しかし、冷静さを欠いた俺は何よりも弱い。

 とんでもないミスを犯していた。



「「よよろろししくく」」



 室内でスピーカーを大音量に切り替えて使用していたせいで、スピーカーから聞こえる音もマイクに入ってしまい、ハウリングをしてしまったのだ。


 直後、俺は大爆笑の渦中にいた。


「ハハハハハハハハハ!あーーハハハハ!」


「網島、落ち着けっハハハハハ」


「さすがにそれはなぁ」


「網島、キモっ」



 これが、りったんに最悪の展開で認知をもらった、最悪のストーリーである。


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