デビルあたっく! 悪魔商人召喚本
古より、悪魔のセールス方法について羅列されている、凄くどうでも良い様な――本。
「そうそれが『デビルあたっく!』シリーズなのだよ!」
「はぁそうですか……」
俺は、とどのつまり不可解な理由によって――どうでも良い理由で――教授の研究室にいる。
そして目の前で『デビルあたっく!』と呼ばれる――先に説明したアホみたいでクソみたいな――本を、積極的かつ大胆に、うるさくビブリオバトルをしてくる変人こそ、この大学の教授である(なぜこんな変人で変態がこの大学にいるのか、物凄く疑問だが――)。
まぁでも教授だなんだっていうくらいだから、さぞかし有名で高尚な教授だと思うだろうけど。
所がドッコイ! この目の前の教授は裏学会では有名な教授だと、オカルト大好きな友人であるセリカは言っていた。
裏学会というのは、マッドな人たちのマッドな研究を発表する学会だとかなんとか……。
うんで、目の前の教授は裏では『悪魔学』で有名な教授だとかで家には魔術グッズを集めているらしい。
そういえば目の前にいる教授の名前は……思い出せない。
悪魔学の話を聞いた時に、この教授が見せてくれた。
熱烈歓迎悪魔学! ――この文字を見ると中国に来た時、空港の出入り口でガイドがスケッチブックに書き込んだ様な感じもしなくない――のパンフレットを渡された事によるインパクトが強すぎるせいなのかもしれない。
普段の講義では、すごくだらけた感じで――やる気がなく――やっている。
そのギャップがひどいせいで、ド忘れしてしまった様だ。
「おい、聞いているのかァァァァ!?」
などと教授は奇声じみた声を発して、机を叩く。
ここで言う奇声じみたとは、いわゆる創作物的中国人の『アイヤヤヤ!』だとか、昨今とある界隈で有名な忍者的な小説『アイエエエ!』などがそれに当たる。
つまりはそういう事だ。猿みたいな奇声を人に浴びせる半猿人(実際、猿人から進化した我々だが、目の前にいる変態は例外だと思う)。
人によって、目の前の変態の奇声じみた声は騒音と、なり得るはずだと思われる。
思うと――回りくどい文章羅列で疲れることになるというメタ発言を――言ってしまう理由は2つ。
1.この奇声じみた声が快感を感じる音に聞こえるごく少数な人々。
2.その他大勢が『ボエ~!』と文字表記された、とあるガキ大将歌手の歌声に似ているからと言う理由。
そんな理由からして“人によって”と言った訳だが……。
まぁともかくこの小生――佐藤健二――がこの研究室にいる理由を結論から言えば。連れ去り又は、かどわかされた。もっと難しい表現で表記するならば、ひっさらわれたとかそんな理由だ。
それにここから逃げようにも、研究室の出入り口には、件の友人が立ちふさがっている訳だ。
誰かになぜ、とか聞かれたらこう答えるしかない。友人いや彼女は、そこにいる教授の助手兼彼女という危うい立場なのだ……。
もう一度言ってやろう。
佐藤健二の友人だった彼女は、そこにいる教授の“助手”兼“彼女”!
そんな、危うい関係を暴露されることを恐れた彼女は、薬が塗られたハンカチを使ってこの小生――佐藤――を誘拐した。
俗に言う、口封じと監禁をするためだ。そして彼氏と結託して良くも分からない『デビルあたっく!』についての講義を無理矢理受講中な訳だ。
この無理矢理というのは、手錠で拘束されているという事だ。
このシュチュエーションを一言で説明すると『SとM』または『受けと攻め』という立場だと思う。
だが俺の趣味ではない。俺の趣味はタ――いや何でも無いぞ。
「佐藤君、話を聞こうね。話を聞けるはずだよね? だって私たち友達じゃない……」
「いやいや、待ってくださいよ。もう貴女を友達だとは思ってないですよ!」
「つれないわね。まぁ、この講義を聞いた後に待っているのは“死”という一文字なんだけど……」
いまさらだが、彼女の本当の正体を知る事なんてなかったはずなのだ。
最も、大学の文化祭で知り合った時には、あんなにも大和撫子で清楚な人だと思っていたのに――。
事の発端は、先週うちの部室に――夜――忘れ物を取りに行った時に、ドアを開けたら教授とセリカがキスをしていた。その事を思い出したくも無い。
キスしている場面を目撃した時の第一声はこんなだったと思う。
思うと言ってしまうのは、あの時の感情が不安定だったとしか言えないからだ。
最も、『驚がく』や『ビックリ』の類だと言ってしまうのは簡単なものだ。
そんな割に合わない表現方法で、この場面を説明するのは野暮=意味がない。
意味がないという事は、飽きるという事だ。何故、俺がこんな気取った物言いになった理由がこの回想の中にある(人それを大人の階段を上ると言う)。
その時、俺の意識が飛んだ――。
完全にかつ大胆に小生と入れ替わったようだ。まぁともかくこの説明の上で小生の黒き封印を解き語ろうと思う。
「何してるんっすか……!?」
俺がこのドアを開けた時、電気をつけた時の一言がそれだ。
最初電気をつける前。暗い中で誰かいる気配はしていたし『クチュクチュ』とかいう音も聞こえていた。
でも……俺の誕生日で、おふくろがケーキを作ったり、親父や妹が準備して待っている。
だから早く家に帰らないといけなかった。
「何って? 先生とキスしていたのよ。佐藤君……いいえ、友人であるあなたにバレてしまうなんて思ってもいなかったわ」
「目の前に誰も居ないですし、それに先生って一体誰なんっすか!? 答えてくださいよセリカさん!」
目の前には、誰もいなかった。そう誰もいなかった。
だから俺は大声で叫んだ。
するとセリカさんは、妖艶でうっとりとした顔つきでこう言った。
「あらあら……ごめんなさいね。出てきてくださらないかしら先生いや___教授」
「ああ今、アレを解くからちょっと待ってろ――」
そんな声が聞こえた次の瞬間だった。何もない場所だった彼女の横には不思議な現象が起こった。
なんと視界が蜃気楼の様に揺らいだのだった。
そしてそこに現れたのは、だらけた講義をするあの教授だった。
「どうして、どうしてセリカさんは、きょ、教授とキスしていたんっすか!?」
「どうしてって、決まっているじゃない。好きだからよ彼のことがね。そうですよね先生……?」
セリカさんはかわいい仕草をしながら、教授に対し同意を求めた。
教授は、頭の後ろをポリポリとかくと上の空を向いて
「ま、まぁそうなるな……」
などとふざけたことを言っていた。
この場合のふざけたという感情を今、回想している小生が表現するならば『悔しさ』や『怒り』といった感情であるだろう。
この感情がトリガーとなったかは定かではないが、小生という存在の種が生まれた要因である事は言うまでもない。
一応説明をするならば、存在の種というのは、俗に言うならば『多重人格』その種が生まれてしまった訳だ。
普通ならば、種は芽吹くことさえあり得ぬはずなのだが、この後の出来事で芽吹いてしまう事になる。
「ねぇ先生……佐藤君に私たちの愛を見せつけてあげましょうよ」
「ふむ、それも良いかもなセリカ君。今夜はサバトだな!」
そう言うとセリカさんと教授は近づいて、口と口をネットリと交わらせる。
そして部屋の中に、くちゅくちゅとした擬音をいやらしく響かせて、彼をセリカという女は――横目で――見た。
それを見ていた彼は逃げたかった。
彼は、セリカという女を好いていたのだろう。だからこそ悔しい、憎い。何故あんな中肉中背の覇気のない男に、取られなければならないのか混乱していた。
混乱していても目が離せなかった。ぼう然と立ち尽くすしかなかった。
そして彼の感情は死に、小生が生まれた。
いやこの場合死んだという表現はおかしい。安直に表現するなら、彼を逃がすために避難させたと言ったほうが正しいであろう。
「ふざけるな! 不純異性交遊など言語道断! 小生は、問答無用で学校に言いつけてやる!」
そう言い張るとセリカという意地汚い女は、目を見開いて接吻を止めた。
だが予想もしなかったのか――いきなりのことだったのかは知らんが――盛大にむせていた。
しかし小生は、彼の誕生日である事を失念していた事に気が付いた。
その上このままでは本当に、彼が死に絶えてしまう事に危機感を覚え、脱兎のごとく忘れ物を取り去った。
「ま、待ちなさーい!」
そんな意地汚い女の叫び声が聞こえたが、時すでにお寿司――いや遅い。
小生は、階段を駆け下り一目散に逃げ出した。
後ろから最初は猿の様な奇声を発しながら男が迫ってくる。
しかし道半ばで。
「ブヒィーッ! ブヒィーッ!」
と最後辺りからブタの様な奇声を発し距離は開いていった。
その時の小生の心境としては、この体を鍛えておいて良かったと感慨深くなっていたが、ある意味この心情はアホらしいと一蹴りした。
だってそうであろう。何かあるからと言って鍛える彼奴がどこに居ようか?
居るとするならば少数民族並みだ。逆に護身術は役に立つからやるだろうが……。
とにかく最も、後ろの教授みたいになりたくなければ少しは考えるだろう。
だが、考えられない彼奴にはこう言っておく。
全財産が入った財布をすられたのに気づき、追いかけるが、鍛えていなかったせいで最後まで追いかける事すら出来なかったと、後悔するだろう。
その話は置いておこう。まぁこの後の話をすると、一週間つまり今日まで彼は意識を失っていた。
小生の推測からするなら、彼の人格と小生の人格の整合的な結合期間であったと踏んでいる。
そして今日は、彼の人格のまま授業を受けに大学に行った訳だ。
何も知らぬ彼は、小生が言い放った事に危機感を覚えた意地汚い女――芹香――は行動に出た。そして、あの最初の辺りに戻る訳だ。
『デビルあたっく!』シリーズという意味不明な本の素晴らしさを、教授がありがたーく布教するという言葉の暴力(体罰的なものを含め)を行われた内に、小生と完全に入れ替わってしまったようだ。
彼の逃げたいという欲望が、小生と完全に入れ替わらせたのだとすると、彼なりの無意識下における防衛本能なのやもしれぬ。
そんな思慮にふけっていると、教授と呼ばれる例の彼奴が小生に対し殴りかかった。
「聞いて、聞いているのかァァァァ!」
「……まぁはい。聞いているかと言われれば、聞いていますが……小生を殴って気絶でもさせられるといささか不都合では無いのですかな?」
「偉そうな口を叩くガキだが、お前の言っていた通りだ。呪詛たる契約の呪文は唱え終わった!」
ふむ……呪詛たる契約の呪文? 彼奴の頭が猿以下であったかと不覚にも感動を覚えてしまった。
しかし、いささか口から出た戯れ言が猿以下というのは、世の中学二年生に失礼だ。まだまだ若い、若さゆえの過ちさえもあるであろう。
だが嫌な予感もしなくもない。なぜなら禍々しい何がが、うごめいているのを小生は感じた様な気がしたからだ。
空気の違いというのを聞いたことがあるだろうか? 空気が澄んでいるとか、空気が重いだとか、そんな空間を占める感覚。
訳が分からないだろうが、小生も分かるわけがない。何せ勘なのだ、期待するのが間違いである。
「なんだそれは!? お主らは、ふざけておるのか!?」
「ふざけてなんかいないわよ佐藤君。これからね私たちは、誰にも邪魔されない恋を貫き通すために、異世界の扉を開けるのよ! その扉が開くときあなたは死ぬのよ。代価としてね」
代価だと? ふざけておるのかこの意地汚い女は! 現に化学が発展したこの世の中において『異世界の扉が開く!』だの『俺が新世界の神だ!』などといった、確証性もないものを語ること自体不可思議である。
その上、証拠も無いのに語るなど言語道断だ。
「小賢しいな、代価? 頭でも狂っているのかこのクソ女が!」
小生がそう言い張るとクソ女は、顔では笑いつつもこめかみをピクピクさせていた。かわいらしい顔が台無しだな、まぁこんな奴に慈悲に似た憐れみなんぞを与えるなんて、つくづく小生はバカらしい。
などと考えているうちに、横から鉄拳制裁を喰らった。
「ふざけんじゃねぇぞこのガキ! 俺の嫁をバカにするやつは許さねぇ!」
殴った奴は案の定、教授とかいう猿野郎だ。殴れば解決するとは、流石は山猿の大将だな……気に入らなければすぐ殴り、イラッとくればすぐ殴る。例え、異世界というところでやっていこうにも子供が不幸だな。
と物思いにふけていると、研究室の魔方陣が光り輝きだした。
「ふふふ……黒い召喚術式が光っているわ! 来たわよ。いえ来たのよ。誰にも邪魔されない私たちの世界が――」
「アヒャ、アヒャヒャヒャヒャッ! 来たぞ来たぞ! ついに来た! 悪魔学の最高位召喚術『デビルあたっく!』つまり私の夢であったデビル商人を呼び出す事に成功したのだァァァァァ!」
あの彼奴らは狂喜乱舞しておるが、面妖なものだ。人間執着が過ぎると、とんでもない事を引き起こすものだとつくづく思う。
猿野郎とクソ女は、うれしいのか涙を流していた。
ここにはテレビカメラなんぞ回っていないぞ。それにプロデューサーなんて居らぬし、お涙頂戴のシーンじゃない。やめてくれ目が腐る。
光が収まると、小生の目の前にデビル商人と呼ばれた彼奴は現れた。身なりは黒いスーツに身を包んだ胸の豊満な金髪女にしか見えない。
あれか『生命保険入っていますか?』などと聞いてくるセールスの人か! などと思うが、やはりただ者ではない気がする。
「はじめまして皆様方……デビル商会のウィザーズ・メンゼス2世でございます。お気軽にメンゼスとでもお呼びくださいませ」
そう深々と淑女らしく挨拶をした。小生としては高得点だ。普段、挨拶を面倒くさがる輩が多いこのご時世に、そつなくこなすとは良い商人なのだろう。
いやこの場合商人というより、この小生を殺しに来た死神と言った所か……。
「おお、待っていた待っていた! さぁこのクソガキを生贄として差し出してやるから、私たち二人を異世界へ連れて行ってくれ!」
何がクソガキを差し出すだ。それよりも、礼儀を知ったほうが良いと思うぞ。
小生に対して指さした猿野郎にこう言ってやりたい。『人を指さしちゃいけません!』って親に言われなかったか? いや猿野郎なのだから、親は猿と人間のハーフか――。
「フフフ、それは出来かねますわ」
「ムキィー! なぜだ!? この本に書いてある通りの手順を踏んだんだぞ!」
猿野郎は、地団駄を踏んで暴れる。手順が合っていないはずが無いだとか騒いでた。
「そうよそうよ! 何故出来ないの……私たちの愛の逃避行はここで終わるわけないのに!」
一方でクソ女は、そんな言葉をわめき散らす。
だがデビル商人であるメンゼスは、顔色を変えず不敵な笑みを浮かべていた。
「手順は踏んで頂いたことは確かですわ……ですが生贄自体が呪詛内容を正確に、一字一句残さずに聞けてはいませ――」
「このクソガキ呪詛を聞いていなかったな!」
殴るモーションを取る猿野郎、だが拳はメンゼスが受け止めていた。
顔色さえ変えていない、むしろ余裕の笑みさえ浮かべている。
「あらあら、あなたお手が早いのね……大切なお客様に拳を振るおうなんて、どういう了見ですこと?」
「あのクソガキが客だと!? 俺たち二人が客だぞ!」
「そうよそうよ! なんでこんなブタ野郎に私たちの恋路の邪魔をされなきゃいけないのよ!」
豚野郎ね。その言葉はクソ女に返してやる。しかし、はたから見ていると、ものすごく滑稽だ。何が恋路だ、恋の路? そんな道どこにある? え、ここか……またまたご冗談を。恋路じゃなくてイバラ道の間違いだろう、こいつはよ。
猿野郎とビッチだぞ、滑稽じゃなくて何と言うんだろうか?
「おやおや、ねぇそこのアナタ。この状況をどう見ますこと?」
「小生か?」
「ええ、そうですわ」
「話を聞けぇ!」
猿野郎がまたも殴りかかろうとするが――無駄だった。
メンゼスが右手をかざすと何か良く分からない事象によって弾き返された。
いや厳密に言えば、弾き飛ばされたと思われる。
「あらあら頭が足りないんですの? まぁ良いですわ、お話に戻りましょう」
「先ほどの質問であるが、あの二人はやはり滑稽だな。というか小生を囲んでいるものは何だ!?」
「ああ……魔法障壁と言いましょうか、結界と言っても過言ではありませんわ」
満面の笑みを浮かべ、机の上にティーカップとポットを取り出した。
そして小生にも同じものが差し出される。
この匂いからするとアールグレイか……。
「便利なものだな」
魔法障壁やら結界なんぞオカルトの話だが、こうマジマジと見せつけられると信じざる負えなくなる。
しかし便利なものだ。これさえあれば、小生自身のテリトリーを作り放題ではないか。
しかも猿のわめき声さえ聞こえぬ防音とは、いやはや恐れ入った。
「そうでしょう、便利でしょう生贄さん――いえ生贄さんだと失礼だわ、お名前をうかがってもよろしいかしら?」
「佐藤浩二だが、ここにいる佐藤は小生ではない。主人格は闇の底だな」
「やはりそうだったんですわね」
「やはりそうだったというのはどういう事だ?」
「あの本の呪詛内容が半分しか刻まれていないんですの、ですので佐藤様のおっしゃられた事で納得いたしましたわ~」
「呪詛内容が半分しか刻み込まれていない。だとすると小生をお客様と言ったのは頷けるが、あの二人は何になるんだか、もしや犬畜生か?」
「それなら、あの二人はもちろん生贄ですことよ。呪詛をしっかり聞いていらっしゃいますし、呼び出した代償と依頼内容は達せられませんと、魔王様に怒られてしまいますの~」
「ふむそれは大変だな……依頼内容といったなそれは何だ?」
「異世界へのカウントダウンじゃなくて異世界へレッツゴーです事よ」
異世界へレッツゴーだと、ふざけるでないぞ! 小生には妹や両親がおるのだ簡単に、はいそうですかなど言えるわけなかろう。
小生は気持ちを多少和らげるため、ティーカップに手を伸ばす。中に入った紅茶をのどに流し込むと、ティーカップを乱雑に机に置いた。
「小生は行かんぞ絶対にな!」
「あらあら、そんなに異世界が嫌ですの?」
「当然だ! 両親や妹もいるのに異世界なんて行くことなんざ、そうは問屋が降ろさぬよ」
「困りましたわ~、先ほど申しましたけど依頼を取ってきませんと魔王様にどやされますのよ。哀れなわたくしにお恵みを~」
悪魔がお恵みなんて、どこの宗教だって聞いた事は無い。
それを言うのであれば『哀れな仔羊にお恵みを~』だろうに――
「嫌だな、むしろこのまま帰って欲しい。それに三分経ったぞ、そろそろ戦えなく頃なんじゃないか?」
「私はインスタント悪魔じゃありませんのよ。誇り高き悪魔商人なんですのに……エーンエーン。いけずですわね」
明らかなウソ泣きをして恥ずかしくないのだろうか? それに小生が泣かせているみたいに思えてくる。
「あーそうかい小生が悪いのか、ソレハヨカッタヨカッターー」
「エーンエーン魔王さま~、佐藤様がいじめますわ……」
小生は上の空を向いて棒読みで答える。少々面倒くさいと思っていたその時だった。
「なんてね!」
不意打ちで小生に軽く掌底を貰ってしまうと小生の意識が奥へ追いやられていった。
「ふ、不覚……!」
「フフフ、ごめんなさいね。これでも仕事なんですの恨まないでくださいませ――」
俺は先ほどまでの記憶がない。目の前に起こっている事は現実なのか? 非現実なのか? 分かりはしない。しかし、目の前にいる白磁のような、綺麗な顔をしたお姉さん見惚れていたのは確かだ。
「ねぇ君お名前は何ておっしゃいますの?」
「佐藤浩二って言います。所でセリカさんと教授は、なぜ倒れているんですか?」
「それは……ただ寝ているだけなのですの、だから心配しなくても良いのですわ」
お姉さんはクスリと笑いながら、一枚の紙とペンを取り出した。
「この紙の下の欄に名前を書いていただくだけで結構ですわ」
紙にはいろいろ書いてあるけど、どうせ会員規約とかと同じで意味など無いのだから気にしないことに決めた。別に生命にかかわることじゃないのだしね。
「ここに名前を書いておけば良いんだね」
「ええ、そうですわ」
お姉さんは、ティーカップを口に持っていき喉を鳴らしていた。
俺は目の前にいる女性の優雅さと美しさに見とれていた。
しかし、ペンを持つ右手の動きが妙に悪かった。
「か、書き終わりました!」
「フフフ……初々しくて、かわいらしいですわ。さて佐藤様、この契約書にサインを頂けたという事は契約成立となるのですわ」
「え、契約? 何の契約なんですか!?」
ただ名前書けと言われて書いただけだぞ、どういう事だ?
「それは、あなたを異世界へお連れすることですの――」
「は? 異世界? 何のことですか? 冗談がキツイデスヨ……」
「冗談じゃありませんの、それに契約書にも書いてありますわよ。ほらご覧なさい」
そして俺の目の前に名前が書いてある契約書を突き付けてきた。
内容を読むと確かに異世界へ飛ばされるうんぬんの話が書いてあった。
ただこれは詐欺じゃないかと思う。
「そ、そうだクーリングオフを要求する!」
「クーリングオフ? ソレってなんですの? 現にサインしたのはあなたではありませんか!?」
「だ、だけど――」
「補助条項3『契約不履行時には、抗えぬ罰が与えられる』ここに書かれている罰は、死ですの……だから死にたいならご自由に」
そう言われ、俺の抵抗は空しく事は進められてしまったのだった。
サインしなければと言うだろうけど、目の前のお姉さんは傾国の美女だと思う。
美しさに気を取られ、まんまとサインしてしまった俺はバカ、いやしょうがないのだなと思った。