カーチェイス
ベージュのダイハツ・ココアに乗って
出勤する愛紗を、黒いトヨタ・ベルファイアが
車間距離を詰めて追い立てる。
下り坂なので、軽自動車についてこれるはずも無いのだが。
制限速度を守って走っているので、そうなる。
制限を超えるのが、当たり前。捕まらなければいい。
そういう風潮があるのも知っている。
「そういえば....。」
愛紗も聞いた事がある。
深町が入社して担当を持った後、警察官を退職した男、勝間田が
入ってきた。
結構狡猾で、岩市に取入って
最初からいすゞの新目のバス、4053を担当に貰ったりと
あまり、運転手仲間では好かれないタイプだった。
巡査だったらしいが、退職後にガードマンかなにかをして
問題を起こして首、と言う
そういう、汚濁っぽい人だったが
その人が、岩市の命令かなにかで深町をいじめた事があり
ここの下り坂で、回送で下っていた深町のバスを
無理に追い越そうとした事があった。
長い直線である。次は右カーブ。
深町は制限の40km/hで走っていたから、遅いと思われるかもしれないが
バスは重い。12tはあるので
勢いが付くと停まらないのは、理科が好きな人なら誰でも判る。
F=mgh、つまり質量と重力、それと高さでエネルギーが決まるから
重いものの方が強い。
坂を下る時など、だから停まらなくなるので
初速を小さくした方がいい。
それで、深町は5速でのんびり下っていた。
時々排気ブレーキ。
勝間田は、バカにしたように追い越し禁止レーンで追い越して行ったが
速度が乗らない。
同じエンジンだし、重さも大差ないから
譲ってもらえなければ対向車が来たら大事故だ。
深町は知らん顔をしていた。
そのせいで、直線の終わりで無理に勝間田は加速し
次の左カーブで、危険なくらい傾いて
深町の前に割り込んだ。
当然そうなると深町は読んでいたので、排気ブレーキを使って
間隔を空けていた。
それで事なきを得ていたが、それを見ていた近隣の人が
警察に通報。
「東山バスがレースをしていた」
会社に当然通達があり、勝間田は査問委員会に掛けられた
(笑)。
岩市の差し金であったとしても、である。
正義は、こんな風にバスの仕事にはある。
もっとも、それを逆恨みした勝間田は深町を敵視して
後々、駆け込み乗車でドアに挟まれたおばあちゃんを
そそのかして「会社に苦情電話すればお金貰えますよ」と
深町を陥れるような事をしていたのだが。
しかし、そんなことをしていても
見ている人は見ているので。
乗客や、行政からの感謝状は深町にはいくらも来たが
勝間田はゼロ、むしろ苦情が多かったし
勝間田は、バスの燃費比較でいつも下位。
といっても3km/lくらいで普通なのだが
深町はいつも1番か2番。
4から6km/lと、驚異的な数値を上げていた。
旧式のバスとエンジンで、である。
安全は、経済的でもあるのである。
そんな事を思い出しながら「やっぱり、あの人が言うように
女の子っておとなしくしていたほうがいいのかな」なんて
思ったりもする愛紗。
まあ、今日はとりあえず研修の続き。
運転指令に朝の点呼。と言っても
もう9時では、バスはみんな出ている。
当然だが、中番でさえ9時には出てしまう。
コミュニティでも8時くらいだ。
なので、遅い時間誰もいない。
「ああ、今日はね、バスの点検とかね」と、言われて
古いバスの所に連れて行かれて。
「これのオイル交換」と、言われて見上げたのは
大型のバス、5552だった。
ぼろぼろの路線バスだけれども、あまり使われないので
距離が出ないから、まだ使われている。
この数字の二桁目は、西暦年の一番下を表すので
5=95年か、05年、15年であるが
普通20年くらいは使うので、このボロさは
85年かもしれないと愛紗は思う。
下2桁は通し番号である。
一番上は製造メーカーで、1と2が日野、34がいすゞ。56が三菱で
78が日産。
「これ、ですか?」と、見上げる愛紗。
古参ドライバーの斉藤は、白髪で温厚そうな人物だが
にっこりと笑い、つなぎ服姿で車留めを外し
運転席に乗り込んだ。




