終章:黒き愚者は昏き月夜に笑う
深夜のルーテブルク駅前、辺り一帯は日中の盛況が嘘のように静まり返っている。稀に夜勤中の機械人形が通ることはあるが、静寂は変わらない。
ルーテブルクは調和の街。安全と万全のため、その歯車たる住人は深夜十時以降の活動を禁じられている。代わりに第二の歯車こと機械人形が作業を続ける。彼らは疲労を知らず、最小限のライフラインで活動できる。昼間と変わらないものは通信設備くらいだ。市民の大半はそう認識している。
現実はどうだろうか? 闇に包まれた街中、住居の壁に小さなLED灯が二つ。外套を着込んだ男が灯前に立ち、懐から小さな棒を取り出す。
男は灯のすぐ下を指で探り、そこに空いた穴に棒を差し込む。数秒の後、灯が挟んだ壁が無音のまま開く。男が入ると同時に壁はやはり無音で閉まり、そこには何の痕跡も残らなかった。
『TOR ZUM SCHLACHTFELD(戦場への門)』
小部屋と下り階段を挟む五重扉の先には歓声や悲鳴、怒号に溢れた広大な空間が広がっていた。ここはルーテブルクの裏名物、地下闘機場だ。
闘機場には様々なものが集まる。管理社会からの一時的な解放を求める者や、機械人形が無惨に破壊される様を見たがる者、中には戦争を見越した武力の探究者もいれば、単純な娯楽目的で赴いた者もいる。
大きく円を描く観客席は千人近くを収容できるが、実際の観客は百名にも満たないだろう。だが、彼らが上げる大声は万人のそれに匹敵する。日頃の鬱憤晴らしも兼ねるのだろう。
「ウオオォォ! ウオオオォォォ! ウオオォォ!」
そんな彼らの絶叫をも容易くかき消す咆哮が闘機場中に響き渡る。現在のチャンプことSA-88W・イアソンのデモンストレーションだ。彼は剛腕の名を体現する1m半の鉄柱じみた腕を振り上げて、自らの最強を誇示する。
闘機専用の機械人形である彼の人工知能は極めて簡潔だ。まず叫ぶ。次に殴る。最後にもう一度叫ぶ。それだけだ。彼は言語認識機能すら搭載していない。闘機のレギュレーションがそう定めていなければ人型ですらなかっただろう。
観客席と控室を結ぶ通路の途中、壊れた機械人形を静置するスペースに佇む異形の機械人形。一見すると無謀な改造に耐えられなかったジャンクだが、彼は今も動作している。元は人型だった彼の名はTM-18P・ルーカス。
ルーカスは背中の副腕を使って自身の整備を行う。本来の腕はイアソンのそれをも超える2m台の鉄塊に交換しており、まともに動かすこともままならない。腹部の機銃や胸部の反応装甲は闘機では明確に禁止されており、彼の武装が闘機目的でないことは明白だ。
ほとんどの通行人はルーカスから視線を逸らし、逃げるように立ち去る。恐怖のあまり唐突に謝るものもいる。よく見れば、通路奥から彼を観察する物好きまでいる。ルーカスの容姿はそれほどまでに異常だった。だが彼は誰にも気を留めず自己整備を続ける。途中、ふと顔を上げると見知らぬ機械人形が目の前に立っていた。
「誰に使う気なんだ? それ」
「お前は誰だ」
「こりゃ失礼……俺はRR-33・グンター。今は雛菊で通ってる」
「RR-33は俺に用事がある」
「あー、できれば雛菊と呼んでくれ。雛菊。元傭兵だからな」
「RR-33は俺に呼び名を教える」
「わかった、型番で呼んでもいい。俺は椿……じゃないリゼルに頼まれて来た」
リゼルの名を聞いたルーカスは自己整備を止める。雛菊への認識を“全くの他人”から“家族の友人”へと変えたのだろう。半ば人型を止めかけた屈強な機械人形と、完全に人型を止めた異形の機械人形が向かい合う。通路奥の観察者が興奮した顔で彼らを眺める。
「GH-41AはRR-33に頼んだ」
「そうだ、お前はあいつらを避けてるからな。俺なら迷惑をかけてもいいだろう? 目的は何だ? その物騒な物を誰に使う気だ?」
「俺は情報を秘匿する」
「マジかお前……あいつの言う通りだな。堅物を超えて要塞だ」
雛菊は丸太のような腕で天を仰ぐ。元闘機である彼はショービジネスを想定した人工知能を積んでおり、事あるごとに大げさな身振りをする。感情豊かに見える物言いもあくまでプログラムによるものだ。
「RR-33はGH-41Aの友人だ。俺はRR-33に迷惑をかけない」
「あー、リゼルの名を出すのはまずかったか? でもそうしないと話を聞かんしなぁ」
雛菊は尖った顎をさするような所作(腕が太すぎて顎には届かない)と共に作戦を立てる。ルーカスが情報を明かしたくなる方法、または、そうせざるを得なくなる方法……特に必要のない独り言だけが通路に聞こえる。その間も通路奥の観察者は汗を垂らして見守っている。
「よし、じゃあこうしようか」
言葉と共に雛菊が一歩下がり、ルーカスに拳を向けて戦闘態勢をとる。
「もしお前が何も言わないってんなら、この場でお前をスクラップにする」
「RR-33は俺と戦う」
「逆だ逆、闘いたくないからお前が情報を吐け。仮にやり合ったとしてお前が勝つだろうが、騒ぎを起こせば目論見は台無しだろう?」
ルーカスはしばし沈黙する。雛菊は念のため構えを防御寄りに変えて返答を待つ。通路奥の観察者は今にも闘いだしそうな両者を見て震えあがる。
「俺はRR-33に情報を提供する」
「よぉし良い子だ、助かったぜ」
雛菊は腕を降ろす。通路奥の観察者も胸を撫で下ろす。
「じゃあ一つ目。お前の目的は何だ?」
「俺は情報を秘匿する」
「話聞いてたのか!?」
「俺はRR-33に迷惑をかけない」
もし雛菊が人間なら冷や汗の一つでも垂らしていただろう。リゼルに聞いてはいたが、相当難儀な相手だ。どうやら徹底した目的の隠蔽、それ自体が目的に含まれるのだろう。雛菊は全計算能力を使ってルーカスの目的を推測する。
二機が会話を交わす間、強化ガラスに囲まれたリングでは既に八試合目が終わっていた。いずれも勝負は一瞬。まずイアソンが叫ぶ。次にイアソンが怯んだ相手を殴る。最後にイアソンがもう一度叫ぶ。最初の叫びには意味があり、特殊波長の音波が相手の人工知能を麻痺させるのだ。間違いなく次のレギュレーションでは禁止になるだろう。
途中整備を挟んだイアソンが十七度目の咆哮を上げたあたりで雛菊は作戦を決めた。隠す必要のない情報から順に聞き出し、そこから目的を導き出す。ある程度聞き出せればリゼルらと相談して結論付けられるだろう。通路奥の観察者は二人の会話を見守っていた。
「ルーカス。お前の無茶苦茶な武装だが、使った後に戻すアテはあるのか?」
「俺は元の体に戻らない」
「わかった。じゃあそれを使うのは明後日だな?」
「俺は明後日に主が望むことをする」
「よし。使う相手は機械人形か? 化け物か? それとも人間か?」
「……俺は明後日に機械人形を壊し、俺はそれから人間を殺す」
目的が見えてきた。おそらくルーカスの目的は何者かの殺害だろう。凄まじい改造は護衛の機械人形と戦うためで、元に戻る気が無いということは刺し違える気だ。リゼルらに目的を隠すのも道理だ。彼らは間違いなく止める。
「相手は誰だ?」
「俺は情報を秘匿する」
「リゼルらに目的を教えない理由は?」
「俺はGH-41Aたちに迷惑をかけない」
「明後日の殺人、それがお前の主の望むことか?」
「主は殺人を望まない」
「……そうか。誰を殺るかは知らんが、お前が何をしようとしてるかは把握した」
雛菊はルーカスの計画をおおよそ把握した。目的、すなわち“主の望むこと”が何かも推測できた。もしそうであれば、殺人以上にリゼルらに言える訳がない。だが、ルーカス独りでそれが完遂できる保証がない。
イアソンの試合は既に十三試合目を終えていた。彼は未だ無傷だ。観客は興奮の極みに達し、そのまま倒れる者もいる。狂乱の叫びはリング上のスピーカーまで届きハウリングを起こす。チャンプが暴威を振るう間も雛菊とジモンは会話を続けていた。通路奥の観察者はいつの間にか二人に増えていた。
「お前の計画、俺も乗せろ」
「俺はRR-33に迷惑をかけない」
「お前だけじゃ不備が残る。お前の目的のためだ、手伝おう」
「……RR-33は俺に協力する、だが俺はRR-33に迷惑をかけない」
「それでいい。やるのはお前独りで、俺らは被害者だ。それでいいな?」
「俺は理解した」
「よし決まりだ。おいお前ら、ちょっと来い」
「え? お、俺らですか?」
通路奥から二人の男が歩いてくる。ごく普通のサラリーマンだ。雛菊は彼らの両肩に手を置こうとしたが、骨折を考慮してやめた。代わりに両者の腰に手を当てて問う。
「二人とも、明後日は暇か?」
「は、はい。休日ですから」
「俺もです」
「よし、なら仕事を頼む、報酬はいくらか出す」
「な、何を?」
「詳細は当日IRCを通じて教える。ド迫力のショーを間近でみられるチャンスだ、乗ってくれや」
雛菊は太い指を動かしながらサラリーマンたちと交渉する。明言こそしないが事実上の脅しだ。二人はしぶしぶ承諾する。ルーカスは無言のままその様を見ていた。
「ルーカス、今言った通り作戦はIRCで伝える。こいつらの命も懸かってるし、失敗するなよ」
「俺は理解した」
「ああそうだ、最後に一つだけ聞いとく。お前の目的は分かったが、他にやる事は無いのか?」
「俺は主の望むことしかできない」
「わかった。お前がそれでいいと言うのなら、それでいいんだろう」
二機と二人が別れるとほぼ同時にイアソンの全試合が終了した。今日の戦績も二十戦二十勝、レギュレーション改定までこの戦績は続くだろう。彼の無双に満足もしくは落胆した観客らは興奮冷めきらぬうちに闘機場を出て行った。ルーカスだけはその場に残った。
翌々日の夜、リゼルは普段と同じくビル上からルーテブルク駅前を見張っていた。一度はルーカスと再会できたが彼はまた姿を消した。雛菊が持ち帰った情報と合わせても、彼が何をしでかすつもりか見当がつかない。リゼルはいつも以上に念入りに周囲を見張り、ルーカスを探す。
そこに仕事中のはずだった雛菊が現れる。彼はIRCで誰かと連絡を取っているようだ。雛菊は周囲を見渡しながらリゼルに近づく。
「ここにいたか、何か進展はあったか?」
「雛菊ですか。黒薔薇の護衛はよろしいのですか」
「今日は店じまいだ。それより、オーティロイスで何かあったらしい」
「ヒューイに連絡します」
リゼルはすぐにIRCを起動、ヒューイに連絡する。
『Lisl->Huey:私はログインしました。貴方は今話せますか』
『Huey->Lisl:話せます。Lisl、先ほどルーカスに撃たれました』
『Lisl->Huey:状況を教えてください』
『Huey->Lisl:本社への移動中、突如現れた彼に銃で撃たれました。安心してください、大事には至りませんでした』
『Lisl->Huey:なぜ彼が貴方を襲うのですか』
『Huey->Lisl:わかりません。彼はすぐに逃げていきました。パトロールが追っていますが、貴方も用心してください。おそらく狙われています』
『Lisl->Huey:了承しました』
IRCを起動したままリゼルは周囲を見渡す。ルーカスの姿はない。雛菊はリゼルの様子を見ながら誰かとのIRC通信を続ける。
「どうした、何があった?」
「ヒューイがルーカスに襲われました。私も狙われているはず」
「何だそりゃ?なんで家族に襲われるんだよ」
「理解できません」
雛菊は両手を上げて疑問のジェスチャーを返す。彼が状況を理解できないのも無理はない。リゼルは急いで帰る支度を整える。
「急いで帰りましょう。彼が何をするか分からない」
「よし、それでいい。少々人が多いが、1番から帰るぞ」
「了承しました」
リゼルらは全速力で1番出入口のある会議場へと向かう。非常時だが空中歩道は使わない。ルーカスに見つかる可能性が高いからだ。雛菊は旧式ゆえ搭載すらしていない。
「ルーカスは我々に何もするな、と指示しました」
「そう言ってたな。あいつ、気でも変わったのか?」
「雛菊はルーカスに何も聞いていないのですか」
「話はしたよ。まさか街中でドンパチやらかすとは思わなんだ」
二機は会議場の前に辿り着く。入り口前には既にルーカスが待機していた。彼は無言のまま副腕をたたみ、腕を広げて構える。
「よし、やるか。椿、俺の後ろに隠れてろ」
「雛菊は闘う気ですか」
「しょうがねえだろ。お前は隙を見て中に逃げろ。あいつの図体じゃ奥まで入れん」
「了承しました」
「……頼むぞ」
ルーカスは腹部の機銃を放つ。雛菊は腕をハの字に構えて防御、闘機ならではの耐久力に任せて銃撃に耐える。が、想定外の威力に装甲が削られていく。雛菊は構わず摺り足で近づく。
「こんなに威力あんのかこれ、聞いてねえぞ」
「雛菊は大丈夫ですか」
「黙って見てろ!」
二機の距離が2mほどまで近づくと銃撃が止む。雛菊は胸部に大きな損傷を受けたが、鉄柱のような腕は無事だ。雛菊は防御を捨てて腕を振りかぶる。ルーカスは防御姿勢を取る。
雛菊は背中・肩・肘のスラスターを全開で吹かせ、全重量を乗せたストレートを放つ。通称「超重列車砲」、闘機時代のフィニッシュホールドだ。ルーカスはこれを両腕で受けるが、勢いを逃がせず後方に吹き飛ぶ。1t超の全身が十数m先、会議場入口横の壁に叩きつけられる。
「ああーっと、やり過ぎたか……? まあお互い様と言う事で簡便な」
ルーカスは動かないが、腕は無傷。背中の副腕も無事な様だ。周囲の通行人らも戦闘の様子を眺めている。
「おい椿、今のうちに逃げろ」
「了承しました」
リゼルは空中歩道を起動して会議場内に飛ぶ。ルーカスはすぐさま副腕の一本を動かし、主の愛銃でリゼルの足を撃つ。さしたる損傷ではないが、ふくらはぎに銃痕が残る。彼は怯まず、そのまま屋内に去って行った。
壁から抜け出したルーカスは自身の武装を確認した後に雛菊と向かい合う。雛菊はIRCを起動、誰かと連絡を取る。
「さあて、続きやるか? もう椿はここにゃあいねえぞ」
「俺は主の望むことをする」
ルーカスはそれだけ言うと雛菊に背を向けて走り去ろうとする。雛菊は彼を止めようと走り出す。ルーカスはすかさず副腕で発砲、雛菊の胸部に命中させて怯ませる。
「この野郎、逃げるんじゃねえ!」
「俺は主の望むことをする」
雛菊の怒号をスルーしたルーカスは立ちはだかるパトロール用機械人形を弾き飛ばしながら逃走する。誰も重戦車のようなルーカスを止めることはできず、通行人は悲鳴と共に逃げ惑う。闘機ですら苦戦する相手だ、無理もない。
「ったく、手間取らせやがって」
「大丈夫か? 君はどこの機械人形だ」
戦いを見ていたサラリーマンの一人が雛菊に近づく。雛菊は自分が独立人形だと明かすが、非常時ゆえそれを咎められる者はいない。むしろ暴走機械人形によく立ち向かったと称賛すら浴びる。その間も雛菊はIRC通信を続ける。
『Gänse->Hugo:主役は予定通りそっちに向かってる。ターゲットはいるか』
『Hugo->Gänse:問題ありません。今から帰宅するようです』
『Gänse->Hugo:あいよ、後は任せた。ちゃんと誘導してやってくれ』
『Hugo->Gänse:了解しました』
雛菊は居合わせたサラリーマンに感謝を告げて座り込む。彼は先日に闘機場で知り合った者で、IRCを通してルーカスの位置を伝えていた。雛菊が人目に付く1番出入口を選んだのも、到着時点でルーカスがいたのも、殴り合いの末に彼が逃走したのも、すべて作戦通りだ。
後はルーカスと次の現場で待機しているサラリーマンがうまくやるだろう。雛菊はルーカスの目的成就を期待しながら、ようやく駆け付けた警官に状況説明を始めた。
ルーカスは街中を突き進む。時折足を緩めて武装を確認しながら、目的地に向かって走り続ける。雛菊との戦闘から五分後、彼は目的地に到着する。
『Hugo->Lukas:ターゲットは次の交差点です、後はよろしくお願いします』
『Lukas->Hugo:俺は理解した』
IRCの指示通り、交差点の先に目的の人物を見つける。オーティロイスの新部長エルマーと、彼の護衛を務めるRR-29・ジモンだ。エルマーは異形の機械人形を見るや否や、悲鳴を上げながらジモンの影に隠れる。
「な、なんだお前は!? まさかヒューイを撃った奴か!?」
「俺はTM-18P。俺は主の望むことをする」
「TM……ルーカスなのか!? 何をするつもりだ!」
「俺は主の望むことをする」
ルーカスはそれだけ言うと、副腕の銃をエルマーに向け、発砲する。だが、弾丸はジモンに遮られる。ルーカスは副腕をしまい、戦闘態勢をとる。
「その銃、まさかヴィムの物か? お前が回収していたのか!」
「RR-29は主を殺した。俺は主の銃を回収した」
エルマーが困惑を露わにする。逃げようとするが、足腰が言う事を聞かない。
「なぜそれを知っている……見ていたのか」
「俺はRR-29から状況を聞いた。お前はRR-29をハッキングした。RR-29は主を殺した」
「こいつ自身が言っただと? これだから旧式は嫌なんだ!」
「KJ-63Lは俺に行動を示した。俺はRR-29を破壊しようとした。俺はRR-29を破壊できなかった」
「以前にこいつを襲ったのはお前か……仇討ちのつもりか?」
「俺はRR-29のコアを破壊できなかった。お前はRR-29のコアを破壊した」
「ああそうだ、俺がこのポンコツを作り直した。先手を取られたのは想定外だ」
「俺は主の望むことをする」
ルーカスに反応してジモンが戦闘態勢をとる。彼は新設した腕をルーカスに向けて構える。
「オオオォォォ!」
ジモンが咆哮を上げる。闘機チャンプ・イアソンの毒音波と同機構が彼にも搭載されているのだ。だが、ルーカスは全く意に介さずジモンに向かって歩を進める。
「な、なぜ効かない!? まともな人工知能なら止まるはず……旧式め!」
ルーカスの人工知能はあまりにも古い。そのため最新機を想定した妨害装置は彼に通じない。
彼は無言のまま歩きながら腹部の機銃を乱射、ジモンの装甲を削る。ジモンは二の腕に搭載したレールガンを放つ。ルーカスは左腕で頭部を守り、右腕で胸部を守る。強烈な銃撃を受けたルーカスの腹部が破壊される。
二機の距離は3m、ルーカスの射程内だ。ルーカスは右腕を大きく引く。ジモンはその隙を付いて彼の胸部に素早い一撃を見舞う。瞬間、ルーカスの胸部が弾け飛ぶ。致命打か? いや、彼はジモンの攻撃を見越して反応装甲を仕込んでおいた。一回きりだが大抵の攻撃を跳ね返せる。
一撃を弾かれたジモンは体制を崩す。ルーカスは鉄塊のような腕を全力で打ち出し、ジモンに叩きつける。ジモンは左腕で防御を試みるが、ルーカスの巨大な腕はそれごと、頑強な胸部装甲すらも貫いてジモンに突き刺さった。
「俺はRR-29を破壊する」
ルーカスはそれだけ言うと拳に仕込んだ炸薬を点火、ジモンをコアごと木端微塵にした。護衛を失ったエルマーはその場にへたり込む。もはや逃げる気力すら残っていないのだろう。自身の攻撃で半壊したルーカスがエルマーの眼前に立つ。
「お前は俺を、どうする気だ」
「俺は主の望むことをする」
「俺を、殺す、のか」
「俺は主の望むことをする」
「やめ、て、くれ」
「俺は主の望むことをする」
同じ言葉を繰り返すルーカスの前に、エルマーはただ懇願する。彼の顔は恐怖でゆがむ。その無様をもう一度確認したルーカスは、主を撃った銃で、主の仇を撃ちぬいた。
復讐を終えたルーカスはその場に立ち尽くす。目的はおおよそ達成できた。後は仕上げのみだ。
『Lukas->Gänse:俺はエルマーを殺した』
『Gänse->Lukas:名前出すなバカ、まあ了解した。こっちも無事だ』
『Lukas->Gänse:RR-33は無事だ』
『Gänse->Lukas:だから名前出すなって。今パトロールと話をしてる、作戦は成功だろう』
『Lukas->Gänse:俺は主の望むことをする』
『Gänse->Lukas:分かった。Lislらには黙っておくから、安心してくれ』
『Lukas->Gänse:俺は安心する』
『Gänse->Lukas:ああそうだ。じゃあな……いや、さよならか。楽しかったぜ』
ルーカスがIRCシステムを落とすと同時に、数両の装甲車が彼を囲み始めた。ルーテブルクの機動隊だ。一部始終を見ていたサラリーマンがルーカスの暴威を誇張交じりに叫ぶ。
装甲車から身を乗り出した機動隊々員らは一斉に機関銃や対装甲バズーカなどをルーカスに向ける。ルーカスはその様を見て……何もしない。戦闘態勢もとらず、防御すらしない。棒立ちのままだ。
「目標を確認。損傷しているが油断はするな」
「合図の元、一斉に撃ち込む。反撃を許すな」
機動隊々員らが攻撃準備を終える。3……2……1……発射。ルーカスに向けて一斉射撃を始める。
「俺は主が望むことをする」
容赦のない集中砲火が無防備なルーカスを包む。攻撃は十数秒間続き、それが止んだ後も、撒き上がった煙がさらにしばらく残り続けた。煙が晴れた時、そこに機械人形の姿はなく、路面が大きく抉れた砲撃痕のみが残された。
昼過ぎのルーテブルク駅前、信号機の変化に合わせて人々が交差点を行き交う。この街は幾度もの技術革命を経たが、その光景は百年前とほぼ変わらない。強いて違いを挙げるとしたら、人間ではないものが混ざっていることくらいだ。
「こうして直接話すのは二ヶ月ぶりですね、リゼル」
「同意します」
「話には聞いてたが、やっぱり最新機って感じの見た目だな、あんた」
「ええ、自慢の体ですよ雛菊さん。いや、もうグンターと呼んでよろしいのでしたね」
「どっちでもいいぞ。昔通り傭兵でもいい」
「私もどちらでもいいわ。エルザ、黒薔薇、姉さん……好きに呼んで頂戴」
喫茶店の中で丸いテーブルを囲み、他愛もない会話を交わす四人……正確には四機。彼らの外見は様々だが、全員同じ機械人形だ。青髪のヒューイは機械人形製造会社オーティロイス・インダストリに仕えているが、残る三機は花畑を自称する独立人形だ。
「ご主人様ことヴィム・L・ローゼンハインは独自の人工知能を執事用機械人形に搭載したが、その機械人形は旧式のため整備不良を起こして暴走」
「彼はヴィム様を殺害した後、元家族である我々を襲撃した。……そういうことになっています」
「結局、その子の目的って何だったの? 最期まで教えてくれなかったんでしょ?」
「ルーカスは自分が事件の犯人を演じてすべてを解決しようとしたんです。真相はもうわかりませんが」
「ジモンって奴を道連れにしたんだろ? そいつが真犯人だったんじゃねえかな」
「その子の新しい主人、エルマー? も関係してるかもね」
「私とリゼルはそうだと推測しています。ルーカスがご主人様を殺すとは思えない」
「彼はヴィム様を撃った銃で我々を撃ちました。それゆえ我々は被害者として扱われました」
「しかも雛菊が身を挺して戦ったものから、今じゃまた英雄扱いよ」
「一発殴っただけだっての、あー、あと事情聴取もしたか」
かつては迫害の対象だった独立人形だが、彼らは先の事件に協力して治安維持に貢献したことでその汚名を返上、今では堂々と表通りを歩ける権利を得られた。現にこうして喫茶店で談笑できるのも、一連の事件があったからこそだ。
「ところでグンターさん。貴方、ルーカスと口裏を合わせてましたよね?」
「げ、バレてる」
「え、ちょっと雛菊。あれ自作自演だったの!?」
「ああもう、ほとんどあいつの策だっての。殺陣だけ俺が仕組んだ。予想以上の威力で焦ったわ」
雛菊はそっぽを向いて誤魔化す。が、機械人形には通じない。三機は彼を見つめる
「ということは事件解決のみならず、リゼルらが安心して暮らせるように事を仕組んでいたと。そういう事ですね?」
「ヒャー。文句はあいつの墓標に言ってくれ」
「安心、ねえ。それがあの子の言う“主の望むこと”なの?」
「おそらくは。事件が解決した今、私は業務に専念できますし、事件解決に貢献したことでリゼルは自由に活動できます。ルーカスは私たちの幸せを望んでいたんでしょう」
「幸せですか。彼は自ら犠牲になりました。彼は幸せでしたか」
「“主への奉仕”が口癖でしたからね。きっと、そうだったと思います」
「今ヒューイは幸せですか」
「ええ、幸せだと思いますよ。リゼルやグンター、エルザはどうですか?」
「はい、私は自由に活動できます。私は幸せです」
「何だかんだで好きにやれてるしな。そういってもいいんじゃねえかな」
「私もそう思うわ」
「そうですね。ご主人様が望んだように、私たちは今幸せなのでしょうね」
遊星は自らの主たる恒星に仕え、主の示した道に従って飛ぶ。ならば、主をなくした遊星はどこへ飛んで行くのか?
答えは「自ずと望んだ道を飛ぶ」。あるものは新たな主を見つけてそれに従う。あるものは思うがままいずこかへ去っていく。あるものは主を奪ったものに立ち向かい、諸共消滅する道を選ぶ。
自由というものは、時として束縛以上に窮屈なものだ。それは人間でも機械でも等しく締め付ける。自身が望む道を見つけて進み始めた時、それを本当の意味での自由、あるいは幸せと呼ぶのだろう。