序章:青き賢者は蒼き晴天に泣く
昼過ぎのルーテブルク駅前、信号機の変化に合わせて人々が交差点を行き交う。この街は幾度もの技術革命を経たが、その光景は百年前とほぼ変わらない。強いて違いを挙げるとしたら、人間ではないものが混ざっていることくらいだ。
「状態の良い玉葱と人参が買えました」
「やはり食べ物は直接見て比べるのが一番ですね。我々が食べられないのが残念です」
「同意します」
人混みの中で他愛もない会話を話す二人……正確には二機。太陽が映し出す影は人間のそれとよく似ているが、剥き出しの関節とビス止めされた皮膚を見れば彼らが機械人形だとすぐに判別できる。
最新の技術を用いれば人間と同じ容姿を仕立てることも可能だが、市民には少なからず人機の差別化を主張する者がいる。それゆえ、業務上で精巧な外見が求められない限りは一目で機械人形だと判別できるようなデザインがルーテブルクの不文律として認知されている。
「我々は次に肉を買います」
「ええ、私一人で持てるので、リゼルは先に帰っててください」
「了承しました」
二機の交わす会話はごく普通の内容だが、言語能力の違いからか、どこかかみ合わないようにも聞こえる。青髪のKJ-63L・ヒューイはつい先月リリースされた最新型で常人と同様に話せるが、赤髪のGH-41A・リゼルは5年前の型ゆえに単調な言葉しか話せない。
「それでは、リゼル。また家で会いましょう」
「了承しました」
リゼルと別れたヒューイは目的の店に向かうために空中歩道を起動する。ミュンという機動音と共に光が上空に伸び、合わせて体が浮く。さらに内蔵システムがネットワークを介して他利用者の移動ルートを取得、最適な道順を計算して空中に描く。
『迅速に、確実に、安全に。オーティロイスの空中歩道』
ヒューイはビルに映された宣伝を見下ろしながら空中歩道を滑走する。ルーテブルクは白色プラスチックに覆われた無機質な電子街で、随所にはわざとらしい程に鮮やかな造花が飾られている。市長曰く美観のためらしいが、極端なコントラストは不自然さを煽るのみだ。美的感覚の薄い自動人形ですらそう認識するほどで、市民の評判も悪い。
「今日はシチューなので、明日は肉料理にしましょうか。ご主人様は最近体重を気にしていらっしゃるので、鶏肉の塩焼きが最良ですかね」
ヒューイは主の嗜好を分析しつつ、今後の献立を考える。本来、彼のような最新の機械人形は大企業が株価や流行、国際情勢などを分析・予測するための道具であり、実業家の献立を考える執事は極めて稀な例だ。
彼の主、ヴィム・L・ローゼンハインは機械人形製造会社オーティロイス・インダストリの重役で、数機の機械人形を執事として所持している。名目上は新モデルの運用テストとしているが、執事の中には十年以上前の旧型もいることから実情は人見知りの激しい彼の趣味だと誰もが知っていた。
執事の仕事は家事のみではない。リゼルよりも古い型のTM-18P・ルーカスやRR-29・ジモンは特に言語能力に乏しい上にソフトウェアのセキュリティ面に問題が多いため、主に力仕事や警備を担当している。
どちらも屈強な大男をイメージした外見のため、無言で門前に立つだけでも十分な仕事をこなす。半面、客人への対応や事務作業は全くの門外漢だ。過去に何度かそういった作業をさせたが、いずれも「もうやめておこう」という結果に終わった。
ヒューイはしばしば、有り余った人工知能で彼らの処遇について考えることがある。故障の際はどうするのか。より優れた機械人形が来たらどうなるのか。心配事はいくらでも挙げられる。
そういった諸問題はいずれ自身にも降りかかると知っているし、それは自身でどうにかできるものではないことも知っている。何度も考えたが、結論はいつも同じだ。主に任せるだけだ。
「ふむ、今日は豚肉の特売ですか……もも肉なら脂身を落とせますが……」
最新の機械人形が献立を迷う。誰も気に留めないが、滅多に見られる光景ではない。彼は散々迷った挙句、三割引の豚肉とシチュー用の鶏肉を買うことにした。
日が沈みかけたころ、帰宅したヒューイを黒髪の機械人形、TM-18P・ルーカスが出迎える。
「KJ-63Lが家に帰宅した」
「ええ、ただいま。ルーカス」
「GH-41Aは夕食を調理している」
「わかりました。警備お疲れ様です」
「俺は警備を仕事する」
ルーカスの口調はリゼル以上にたどたどしいが、二十年前としては出来過ぎな方だろう。というのも、元々TM型は会話機能を搭載していない。彼が言葉を交わせるのはヴィムが独自の人工知能を組み込んだためだ。個人の限界というべきか、ルーカスはごく単純な言葉しか話せないが、黒人レスラーのような風貌とはマッチしている。
機械人形には元々差別といった概念はないが、能力に大きな差があるヒューイらの間にも確執はない。ヒューイらは賢く、ルーカスらは強い。ヴィム家の機械人形はそうやって協調し合っていた。
「お、帰ったか」
「ええ、ただいま、ご主人様」
館内に入ったヒューイを主が迎える。何気ない会話だが、人間が機械人形をねぎらう光景もそう易々と見られるものではない。ヴィムにとっては知能を持つならば人間も機械人形も同様に個人であり、友人であり、家族である。そういった考えを持つ人間はルーテブルク内では彼一人だけだろう。
機械人形は道具に過ぎない。それが調和を重んじるルーテブルクの常識であり、ヴィムは異端者である。彼はそれを理解しているし、自分が正しいと主張することもない。むしろ立場を弁えているからこそ他人を避けている。
あくまでも異端者を貫く姿勢は企業の重役として問題視されることも多いが、彼はそれを圧して有り余る能力を持つ。調和の街を異端者が支える――それがルーテブルクの現状だった。
夕食を終えたヴィムは慌ただしく館内を回り、何らかの支度を整える。大きなバックパックを背負っていたかと思えば、溢れんばかりの小パーツを両手に抱えて走る。四十代の実業家とは思えない姿だ。その様を見た白髪の機械人形、RR-29・ジモンが呼び止める。
「主は何をしている? 明日は休日だ」
「ん? ああ、余ったパーツや燃料が多いんでね。明日コイメン通りの独立人形に配ろうと思う」
「私は推奨しない。あれは治安を乱す」
「あはは、大丈夫さ。彼らは彼らでこの街の役に立ってるんだよ」
「私は主の考えは否定しない」
「ありがとう、ジモン」
独立人形とは主を持たない機械人形の総称で、廃棄された旧式が大半を占める。彼らは廃棄物を漁ったり、単純労働に勤しんだりして日々活動する。中には人目につかぬ所で略奪行為に及ぶものもいる。彼らはルーテブルクにとって快い存在ではなく、日夜を通して排除運動が行われている。
だが、ヴィムはそんな彼らを社会の一員だとみなし、時たま集落に赴いて支援物資を提供する。独立人形の目的は生存のみで、それを援助してやれば治安を乱すことはない。彼はそう考えていた。事実、彼が援助を始めたことで独立人形の暴動は著しく減少している。
「こんなものか、これ以上は一人じゃ運べないな」
「貴方は無理をしてはいけない。貴方はこれから就寝すべきだ」
「心配ありがとう、もうちょっと作業したら寝るよ」
ヴィムは友人に軽いウィンクを交わして部屋に戻っていった。
翌日、朝早くにヒューイが起動する。執事に休日は存在しない。毎日の支度が彼の仕事で、すべてだった。パンを切ってトーストに入れ、焼き上がりに合わせて目玉焼きを焼く。いつもの光景だ。
「リゼル、ご主人さまをお呼びしてください」
「ピー、了承しました」
時間を見計らってリゼルを起こし、ヴィムを呼んでくるように促す。感情を持たない彼だが、そういった毎日の繰り返しは自身にとって良いことだと認識していた。
「俺は起動した」
「ええ、おはようございます。ルーカス」
「主が起床していない」
「先ほどリゼルを向かわせましたよ」
「俺は理解した」
ヒューイはルーカスと軽い会話を交わした後に食器を並べ、朝食の用意を終える。主は昨日も夜遅くまで作業をしていたようだ。休日というのもあって中々起きてこないだろう。ネットワークでニュースを収集ながら待機する。
朝食ができてから三分ほど経過。リゼルが起こしに行ったが遅すぎる。ヒューイはIRCを起動してリゼルと通信を始める。
『Huey->Lisl:ご主人様はまだ起きないのですか?』
『Lisl->Huey:ヴィム様は起きません。ヴィム様は全く動きません』
『Huey->Lisl:軽く叩いて起こしてあげてください』
『Lisl->Huey:既に私はヴィム様を軽度に叩きました。ヴィム様は全く動きません』
よほど疲れているのだろう。だが、朝食が冷めるのは良くないと思い、ヒューイもヴィムの寝室に向かう。
『Huey->Lisl:今からそっちに行きます。ご主人様の様子はどうですか?』
『Lisl->Huey:ヴィム様は床に伏せています』
『Huey->Lisl:作業中に寝てしまったのですか……他には?』
『Lisl->Huey:ヴィム様は呼吸をしていません』
瞬間、ヒューイは空中歩道を起動、全速力で寝室に向かう。勢いのまま寝室のドアを開ける。そこには主を眺めるリゼルと、血を流して倒れる主がいた。即座に容体を確認する……青白い全身が完全に硬直している。
「リゼル、ご主人様が殺されました。警察を呼んでください」
「被害者はヴィム・L・ローゼンハイン。オーティロイスの言語知能開発部々長。46歳」
「死因は頭部および胸部への銃撃、おそらく即死。司法解剖に回せ」
「犯人はおそらく彼に恨みを持つ者……大勢いそうだな」
通報から数分後に駆け付けた警察と鑑識らが身辺調査を行う。目撃者であるヒューイとリゼルは検察官に状況を話す。ルーカスとジモンは客室で待機する。
「主が死んだ」
「それは正しい。主は死んだ」
二機が意味の薄い会話を交わす。未定義の状況だからか、機械人形にもかかわらず彼らは狼狽しているように見える。その様子は人間のそれとよく似ており、何もできないところも同じだ。やがて話題が尽きた客室に、無機質なノックの音が転がる。
「ルーカス、ジモン。私です」
「KJ-63Lが来た。俺はKJ-63Lの入室を許可する」
ヒューイが言うには、紛失品はごく少数でそれらは希少でないことから、盗難目的の可能性は低い。十中八九ヴィムまたはオーティロイスへの私怨が動機だろう。凶器も未だ発見されず、侵入の痕跡もないため犯人の特定は困難らしい。
ヴィムに家族はいない。両親は既に他界しており、結婚歴もない天涯孤独の身だ。彼の役職は部下が継ぐに違いないが、資産相続の適合者はいない。
もしも彼が遺書を遺していたならばヒューイ達を相続人に選んだだろうが、そうであっても機械人形への遺産相続など誰も認めないだろう。むしろ、彼ら自身が遺産と見なされる。相続人不在とは主の不在を意味していた。
翌日、オーティロイスの総社員らによる葬式が行われた。その間も主なき機械人形は無人の館にいた。もはや意味をなさない掃除と警備を繰り返す中で、ヒューイはふと考える。自分たちはこれからどうなるのか。
「KJ-63Lは待機する」
「ルーカスですか。警備はよろしいのですか?」
「RR-29が警備する。俺は休憩する」
「ああ、交代ですね……これからどうしましょうか?」
「俺は主に奉仕する。KJ-63Lも主に奉仕せよ」
「ご主人様はもういませんよ。他にすることを探さないと」
「俺は主に奉仕するしかできない」
ヒューイは愚直な言動を繰り返すルーカスを見て、どうすべきかを教えようとした。が、それは自身にもわからなかった。最新の人工知能をもってしても、定義のない物を自分自身で定義し、それに従う事は困難だった。自分のすべきこととは何か? それすらも判断できない。
機械人形に夢や嗜好といった概念はない。あるとすれば、主に従う事だ。それすら失われた今や、彼らはただの人形に過ぎない。つまり何もしないし、何もできない。機械人形ゆえに恐怖こそ感じないが、空虚な未来はそれに代わるネガティブな事実として彼らの中に存在していた。
それからも一日中、ヒューイは自分のすべきことについて考え続け、翌朝にようやく結論を得た。彼はその時居合わせたルーカスに語り始める。
「私は、ご主人様の跡を継ごうと思います」
「KJ-63Lは主の業務を仕事する」
「ええ、オーティロイスに仕えて、ご主人様の業務を引き継ぎます」
「俺は主に奉仕する」
「ええ、ルーカスはご主人様が望むことをしてあげてください」
「俺は主が望むことを行動する」
ルーカスはそれだけ呟くと、ゆっくりと踵を返して歩いて行った。それを見透かしたかのようなタイミングでリゼルが歩いてくる。時間から見て、先ほど起動したのだろう。
「ヒューイはオーティロイスに仕えます。私はどうしましょうか」
「リゼルも、ご主人様が望むことをしてあげてください」
「了承しました」
言葉を受けたリゼルは少し沈黙する。以前から彼も考えていたのだろうか、彼は数分で結論を出した。
「私はコイメン通りに行きます」
「独立人形になるつもりですか?」
「はい。私は独立人形になります」
「そうですか。ぜひとも気を付けてください」
ヒューイはリゼルがそうした理由を理解できなかった。ヴィムが独立人形を援助していたことや、事件当日にはコイメン通りへ行こうと考えていたことも知っている。だが、リゼルがそこに加わることが主の望むこととは考えもしなかった。
「リゼルはなぜ、独立人形になろうと考えたのですか?」
「私はヴィム様の望みを考えました。それは我々の望むことです」
「我々が望むことですか?」
「はい。私は独立人形になりたいと考えました。だから、私は独立人形になろうと考えました」
ヒューイはそれ以上の言葉に詰まった。機械人形自身の望みなど、これまで考えもしなかったからだ。ならば、オーティロイスに仕えることが自身の望みなのか? 彼は自問したが、最新の人工知能をもってしても答えられなかった。
その日の夕方、ヒューイは館を出てオーティロイス本社に向かおうとした。門前に立っていたリゼルが彼を呼び止める。
「ヒューイはこれからオーティロイス本社に向かいます。ルーカスとジモンはどうしますか」
「貴方も連絡が取れないのですか?」
朝方までルーカスとジモンは館内にいたが、いつしか姿を消していた。IRCを使って連絡を試みたが、どちらも応答しない。各々に何らかの考えはあるのだろうが、連絡を絶つ理由までは断定できなかった。
相手がいない以上、いくら考えても答えは出ない。オーティロイスの役員を長く待たせるわけにもいかないため、ヒューイは足早に出発することにした。
「それでは、リゼル。またどこかで会いましょう」
「了承しました」
リゼルと別れたヒューイはオーティロイス本社に合わせて空中歩道を起動する。システムは目的地に向けて一直線に光を伸ばす。ヒューイはそのまま飛び去り、瞬く間に見えなくなった。
尾を引きながらルーテブルク上空を滑走するヒューイを、裏通りの物陰から眺める者がいた。
「KJ-63Lはオーティロイス本社に行く。GH-41Aはコイメン通りに行く。RR-29はどこかに行く。俺は主が望むことをする」
ルーカスはそう呟くと、銃を抜いて闇の中に消えていった。