第6話 母の秘密
「あなた、最近お義母さんの様子がヘンなのよ。
毎日9時ごろになるとイソイソと出かけて。
わたしが『どちらにお出かけですか?』って聞いても、
『ちょっとお友達のところへ』っておっしゃるだけで」
「いいことじゃないか。
父さんが死んでずっと篭もりっきりだったんだから。
お前も一日中、家で一緒じゃ息が詰まるだろ」
「そうですけどね。
だけど、ちゃんとおしゃれしてお化粧もして、
ほんとに楽しそうに出かけるんですよ。
どんなお友達かと思って・・・・」
「あはは。なにを心配しているんだよ。
まさか、あの歳で男ってわけもないだろ。
あ、いや、待てよ。
最近では高齢者の恋愛っていうのも増えているらしいから、
まったくない話じゃないなあ。
でも、それはそれでいいんじゃないのか。
再婚なんて話になったら別だけど」
「とにかく、それとなくお義母さんにあなたから話をしてくださいね。
どこに出かけているか分からないんじゃ、急な連絡の時に困るし、
第一、出先でなにかあったら心配ですから」
ぼくの母さんは、今年で65歳。
一昨年、父さんが脳溢血でこの世を去ってから、
半年くらいは仏壇のある自分の部屋に篭もりっきりで、
ずいぶんと心配をさせられた。
それから徐々に立ち直ったかに見えたけど、
それでも父さんのいるころのあの明るく元気な母さんとは程遠く、
抜け殻のようだった。
20歳で結婚して40年以上も連れ添った生涯のパートナーに先立たれた淋しさは、
そんな大きな別離を経験したことのないぼくには分かりようもない。
元気のない母さんが気にはなっていたけど、
結局は妻がそばにいることだし、
ぼくは仕事が忙しいのをいいことに、
母さんのことを妻に任せっきりにして、
いつの間にか“元気のない母さん”がぼくのなかで当たり前になっていった。
おばあちゃんなんだから、そういうもんだと。
その母さんが、最近変わったらしい。
確かに朝、出勤前にぼくが朝食を食べていても母さんが庭に水を撒いたり、
ちょっとぼくに話し掛けてきたり、
夜もぼくが晩酌をしているとその隣りで中学生の孫とふざけていたり、
ずいぶんハツラツとしてきた。
父さんが亡くなって2年が過ぎ、ようやくショックから立ち直りかけているのかな、
それならよかったと思っていたけど、そうかあ、茶飲み友達ができたのかあ。
妻が言うには、毎日出かけるようになったのは、ここひと月ほどのことらしい。
だからまだ、家族にも内緒にしているのか。
ま、家族に知られるのが照れくさいという気持ちも分からないじゃない。
どれ、ちょっと母さんの部屋に行って聞き出してみるとするか。
「母さん、最近、毎日、出かけているんだって?」
「おや、どうしたんだい。お前がわたしの部屋に来るなんて珍しいね」
「いや、ちょっと。最近、母さんが楽しそうだから、なにか趣味でも見つけたのかなあと思ってさ」
「ああ、趣味ね、ま、趣味といえば趣味だね」
「なにを始めたの?」
「楽しい〜こと! でも、家族には内緒っ」
「なんだよ、そう言われると余計に聞きたくなるじゃないか。仲のいい友達でもできたの?」
「友達? ああいっぱいできたよお」
「お茶? 俳句とか? それともダンスか。おしゃれしてゲートボールってことはないよなあ」
「さあ、なんでしょう。あはは、だから秘密だって。
ささ、もうわたしは寝るんだから出てっておくれ」
結局、最後まではぐらかされて、母さんの秘密を聞き出すことはできなかった。
それでも、母さんとのこんな明るい会話は久しぶりのことだった。
このことを妻に話すと、
「だから、出先でなにかあったら心配だから、どこに出かけているのかくらい聞いてって言ったのに」
と不満顔だったけど、
「母さんは秘密も楽しんでいるんだからさ」と、
ぼくはこの話をそれで打ち切ろうとした。
が、「お年寄りを狙った霊感商法とか詐欺まがいのセミナーとか、いろいろあるのよ。
いいこといって淋しいお年寄りに取り入って。
大丈夫かしら、お義母さん・・・・」という妻の言葉でぼくも心配になり、
妻に母さんの後を尾けさせることにした。
翌日、会社に出社したばかりのぼくの携帯に妻から電話が入った。
「あなた、お義母さん、どこに出かけていたと思う。
わたし、もうびっくり。
パチンコ屋さんなのよ。
それも店の前の行列に並んで。
恥ずかしくて、恥ずかしくて。
帰ったら、お義母さんにちゃんと言ってくださいよ」
母さんがパチンコ。
あの、母さんが。
妻が驚くのも無理はない。
いやぼくだって信じられない。
パチンコとか競馬とかそういうものを一番、毛嫌いしていたはずの母さんが。
ぼくの父さんと母さんは中学の教師だった。
だから躾も厳しく教育熱心で、なにより世の中のルールには人一倍うるさかった。
小学校のとき、友達と下校途中に駄菓子屋で買い食いしたのがバレて、
こっぴどく叱られたのを今でも覚えている。
友達がみんな、酒やタバコを覚え、バイクに乗り、
彼女とデートし、パチンコや麻雀で遊んでも、
ぼくはエロ本さえ満足に見たことのない高校生だった。
それもこれもみんな母さんが厳しく目を光らせていたからだ。
そしてマジメだけが取柄の大人となったぼくは、同じようなマジメな妻と結婚した。
パチンコを「恥ずかしい」と思うマジメな妻と。
その母さんが、まさかパチンコとは。
にわかに信じられないぼくは、会社を早退し、そのパチンコ店へ行くことにした。
そこで見た母さんは、実に楽しそうに笑っていた。
あんなイキイキとした母さんの顔は、もしかしてぼくは初めて見たんじゃないだろうか。
隣りの同年代の女性と談笑しながら、慣れた手つきでパチンコ玉を玉箱からすくっては補充している。
「あ、ほら、リーチだよ、リーチ」
「あ、ほんとだ。今度は来るかしら〜。がんばれ、がんばれ。あ〜、またダメだわ〜」
「あはははははッ」
反対隣りには、缶コーヒーを3本持った学生風の男がやってきて、
母さんと隣りの女性に缶コーヒーを渡しながら、
「角の台、空いたよ。移った方がいいんじゃないの」と話し掛けた。
母さんは、その孫のような若者とも知り合いなのか、
コーヒーの代金を渡しながら
「そんなこと言って、この台で出されちゃアッタマきちゃうもんねー」
と冗談を飛ばし、また笑った。
ぼくは、そんな母さんに声を掛けることをやめ、そのまま店を出た。
あんなに毛嫌いしていたパチンコだもんなあ。
家族に言えるわけないか。
正直に言うと、もっとほかの趣味の方が息子としてはうれしい。
でも、あんなに楽しそうな母さんの姿を見たら、近所に恥ずかしいからやめてとも言えない。
父さんと自分の年金で小遣いも潤沢で、お金でぼくに迷惑をかけることもないんだから、別に問題もないし。
楽しい趣味と仲間ができて、母さんの第二の人生が明るくなったんなら、いいことづくめじゃないか。
ぼくは自宅にいる妻に電話をした。
「母さんの秘密、もうしばらく秘密にしておこう。楽しそうだからさ」