第4話 パパの本音
「パパ〜っ。やったよお〜」
台風が首都圏に上陸し、バケツをひっくり返したような雨の中、ずぶ濡れになってやっと我家に到着した俺が、玄関のドアを開けると、娘がものすごい勢いで走ってきて、いきなり飛びついてきた。
あー、もう、ムカツクなこのバカ。まとわりつくんじゃねーよ!
と本心では思っても、そこはやさしいパパだ。
「あーだめだめ、まみまで濡れちゃうぞお」
「ね、聞いて、聞いて、まみの絵がまた入選したんだよ〜。すごいでしょ、パパ〜」
人の話を聞かないのはママ譲りだ。
え、いまなんて言った?
入選?
うわ、またかよ。
それを聞いた俺はさらに不機嫌になったが、
「そっか。すっごいなあ」
と娘に微笑みかけ、とにかく風呂に入った。
それにしてもなんであんな絵が入選しちゃうんだろう。
湯船に浸かりながら、俺は怒りすら覚えていた。
その絵とは女の子が土手を歩いているところを描いた絵で、ウォーキングの団体かなんかが募集した絵のコンクールに娘は絵画教室を通じて出品していたのだった。
いや、上手ならいいんだ。
でも、絵心のない俺でも、顔の半分が目で、手足が棒のようにまっすぐで細いマンガみたいな女の子が、ただ土手を歩いているだけのだれでも描けそうな塗り絵みたいなヘタクソな絵がどうして毎年、入選しちゃうのか不思議でならない。
よっぽど作品が集まらないのか。
まったく迷惑な話だ。
娘は4歳から絵画教室に通っている。
3歳くらいからお絵描きが好きで、放っておけばひとり静かに落書きばっかりしていたんだけど、それを妻が親ばか丸出しで「この子には絵の才能がある」なんて褒め続けたもんだから、娘もその気になって絵画教室に通いだしたんだ。
俺も、まあ習い事のひとつくらいはいいだろうと、その時は大したこととは思わなかったんだけど。
それから3年が経ち、いま娘は小学2年生。
「やっぱり女の子はピアノくらい習っていた方がいい」ということで、小1からピアノを習いはじめ、
「字もきれいな方がいい」と習字もはじめ、
小学校の算数の授業でちょっと引き算を間違えて来ると「落ちこぼれたら大変」と学習塾に通わせ、
「近所のだれちゃんはもう泳げる」ということでスイミングスクールにも通っている。
今年の春、恐る恐る妻に聞いたら、娘の習い事の月謝だけで月々4万5000円だった。
どっひゃー。
俺の小遣いは3万円だっていうのに。
いや、これは月々の月謝だけの話で、このほかにピアノの発表会ともなればレースのワンピースやピカピカの靴など衣装代もかかるし、出演させてもらうためには参加費も1万円かかる。
さらに頻繁に行われるピアノの先生のコンサートには義理で観に行かなきゃいけないし、花束だって渡さなきゃいけない。
大体、我家の狭いリビングにやって来た態度のでかいピアノが70万円だと知らされたときは、脳震盪を起こしそうになった。
そうそう、先月は習字のコンクールにも入選して、その展示用に半紙を掛け軸のようなものに飾らなければいけないと言われ、その代金も1万円かかった。
なんやかんやすべて含めたら、娘の習い事に毎月いくらかかっていることやら。
しかも、恐ろしいことに我家にはもうひとり息子がいる。
もうすぐ4歳になるから、そろそろ習い事適齢期だ。
このまま息子にも娘と同じように習い事をさせたら月謝だけでも2人で月9万円。
いくら家計は妻に任せているとはいえ、俺の給料手取り30万ちょっとで毎月9万も教育費を支出していたらどうなるかぐらい火を見るよりも明らかだ。
呆れた俺は妻に娘の習い事を減らすように言った。
すると妻は「せっかくまみだって喜んで通っているのに。お金のためにやめさせるだなんて。あの子には才能があるのよ。その芽を伸ばしてあげるのが親の務めじゃないの? それをあなたは…う、うう…まみがかわいそう…」だって。
才能?
一体あのマンガみたいな絵のどこに才能があるんだ。
4年通って、あんな絵しか描けないなんて絵画教室の先生にも問題あると思うけど、なにより娘の絵の才能のなさをしっかりと証明してくれているじゃないか。
しかし、泣きじゃくる妻にそんなことを言えるわけがない。
俺はたくさんの言葉を飲み込んで、「分かった。俺がバリバリ働いてなんとかするから」と言うほかなかった。
寄りに寄って、その絵が入選とは。
ホント、勘弁してほしいよ。
しかも去年もそうだったから分かるけど、このコンクールで入選すると、都内のデパートに展示されるから、それを家族4人で観に行って、さらに後日、都内のなんとかホールで表彰式があるから、それにも行かなきゃいけない。
2日つぶれて、その交通費、食費ほか出費もバカにならない。
風呂から出た俺は、不機嫌なままリビングに行ってビールをあおった。
妻は「ほら、やっぱりまみは才能あるのよ。2年連続入選なんてすごいって絵の先生も褒めてくれたのよ」と上機嫌。
ケッ、あの先生は褒めるのが仕事なんだよ。
どうせ去年と一緒で同じ教室の子供たちはみんな金賞とか銀賞もらってるんだろ。
入選なんて一番下の賞じゃないか。
俺には参加賞を言い換えているとしか思えない。
でもまあ、娘も妻も喜んでいるのに、いま俺がここでイチャモン付けて、ムードをぶっ壊すのも大人気ない。
俺はジッとガマンし、「よかったなあ」と娘の頭を撫でてやった。
そこに息子がクレヨンもってやってきて、画用紙にグニャグニャ線を描きながら、「これ機関車トーマス!」と連呼。
妻が目を細め、「あ〜ら、上手ねえ。まみと一緒で才能あるかも〜。ね、あなた、そろそろかずきも4歳だし、絵の教室に行かさないとね」なんて恐れていたことをついに口に出した。
行かさないとねって、いつから絵の教室が義務教育になったんだよ。
俺が黙っていると、妻が信じられないひと言を浴びせてきた。
「あ、そうそう、あなた、かずきも習い事はじめるようになったら、悪いけどパチンコはやめてね」
え?
俺の唯一の楽しみまで奪うのか。
「俺の小遣いの範囲で楽しんでいるんだから、家計には迷惑かけてないだろ」
俺がちょっと反論すると、妻はこともなげにこう言ってのけた。
「だって、あなた、パチンコの才能ないじゃない」
そりゃあ、俺には博才なんてないよ。
でも、レジャーなんだからそれでいいじゃないか。
本人が楽しければ。
それより俺のパチンコの才能を云々言うなら、その前に娘の才能をしっかりと見極めろって。
あの絵のどこに才能が感じられるんだよ。
ピアノだって発表会でミスだらけだったし、学習塾に行っていてもこの前の学校の算数のテスト25点だったぞ。
水泳だって1年以上通って、まだ10mも泳げないし。
なんてひどいことを本人を前にして言えるわけがない。
結局、俺は「分かった。要するにお金の問題なんだから、俺ががんばってなんとかするよ」と言うしかなかった。
それにしても俺、最近、家でも会社でも本音をしゃべったことないなあ。