第20話 まったく
仕事で疲れた身体をバスタブに沈めて、ほーッとひと息。
わたしの唯一の息抜きの時間だ。
男のくせに長湯なんだからと女房に嫌がられても、これだけは譲れない。
風呂から出れば、2人の子供は居間でドタバタと走り回り、座っているわたしにぶつかったり、肩に登ったりしてくる。
テレビも聞こえなければ、新聞も読めない。
それだけならまだしも、女房はあれこれと用事を言いつけるし、近所の奥さんとの出来事をぶつけてくる。
これがたまったもんじゃない。
わたしにだって会社でいろいろある。
でも、こうして黙って働いているじゃないか。
それを、さも自分だけがいろいろあって大変みたいに。
そりゃあ、わたしに余裕があるときなら、ウソでも笑顔で「それは大変だったね。エライね」と言ってあげられないことはない。
でもね・・・・・・。
ふぅー。
やめた、やめた。
せっかくの一番落ち着ける自分の時間にこんなこと考えるのは。
もっと、楽しいこと考えよ。
なんだろ、なんだろ、楽しいことって。
楽しいこと?
あれ、わたしは一体、いまなにが楽しいんだろ?
子供の頃は楽しいこと、いっぱいあったなあ。
遠足とか野球大会とかクリスマスにお正月。
遊園地に行く前の日なんかうれしくって、興奮してなかなか眠れなかったもんなあ。
それに引き換え、最近じゃ憂鬱で眠れないことばっかりだ。
楽しいことかあ。
そっか、いまがその楽しい時間なんだった。
ひとりのバスタイムが楽しみか。
ずいぶんとつまらない大人になったもんだよなあ。
はぁー。
なんで、こんなになっちゃったんだろ?
若い頃は友達と遊んでいれば、とにかくなにやってても楽しかったなあ。
旅行、ドライブ、酒、恋愛。エッチも。
エッチかあ。
もうずいぶんとしてないけど、別にいまさら外で遊んでみたいとも思わないし。
もう歳かね。
40目前で枯れたか。
ふあぁ〜。
なんだろ? この脱力感、無力感は。
なんにもしたくない。
こんなんじゃ楽しいことなんか浮かばないか。ハハハ。
結婚して、子供ができて、マンションを買って、ほかになにすればいいんだ?
生きる目標がないんだな、結局。
生きる目標かあ。
あれ、こんなこと昨日も風呂入りながら考えたなあ。
堂々巡りってやつか。
さてと、煮詰まったところでそろそろ、出るか。
女房もうるさいから。
「もう何時間入ってるのよ、まったく。
早く子供たち寝かせて!
わたしは、まだまだやることたくさんあるんだから。
のんきに長湯していい身分だこと、まったく。
わたしもゆっくりとひとりで入りたいもんだわ、まったく。
いっつも子供2人と一緒で、落ち着いて入ったことないんだから。
田中さんところも高橋さんところも、めぐちゃんのところも、たくくんのところも
みんなパパがお風呂入れてくれるんだってよ。
いいわね〜、まったく」
はいはいはいはい。
結婚してどのくらい経ってからだろうか。
女房は必ず言葉の語尾にまったくを付けるようになった。
まったく、いやになる。
わたしだって、ちゃんと6時や7時に帰って来られる仕事だったら、入れてますよ。
というか、入れさせられてますよ、絶対。
仕方ないだろ、定時で終わってまっすぐ帰ってきても8時過ぎなんだから。
あなたが子供とお風呂に入っている頃、わたしはすし詰めの満員電車の中。
なんなら代わりましょうか?
どっちがストレスたまるか試してみる?
1時間立ちっ放しの満員電車と我が子と入るお風呂。
でも、そんなこと言うと、
「だからこんなに都心から離れた郊外のマンションはイヤだって反対したのよ、まったく。
まわりに友達だってだれもいないし。
でも、あんたのお給料じゃ、こんな田舎じゃなきゃ買えなかったから、わたしは泣く泣く諦めたんじゃない。
そんなこと言うなら都心のマンションに引っ越せるぐらい稼いでよ。まったく」
と、待ってましたとばかりに溜まっているうっぷんが、堰を切ってわたしに襲い掛かってくるから言わないけど。
「さあ、寝よ、寝よ」
はしゃぎまわる子供2人を寝室に追い込み、
どうにかこうにか布団に入れて、
まだひとりじゃ淋しがって寝られない下の子に添い寝していると、
わたしもついウトウトと・・・・。
「ちょっと、なに子供と一緒になって寝てるのよ、まったく。
わたしがこんなに忙しくいろいろやってるっていうのに。
いい気なもんね、まったく。
今日はちょっと話があるのよ。来て」
ん? ふあ? 話?
このまま朝まで寝かせてくれたら、どんなに幸せか。
でも、やっぱりそんなに甘くはなかった。
今日は一体どんな話だ。
どうせロクな話じゃないだろうけど。
胃が痛くなるような話だけは勘弁してほしいもんだ。
「クルマ来月、車検でしょ?
この際だから新車を考えようと思っているのよね。
もう5年も乗ったし。
めぐちゃんのところもたくくんのところも新車のミニバンなのに、
わたしだけ古い軽じゃ恥ずかしいもの」
また、金のかかる話か。
新車?
そんな余裕、ウチにあるのか?
「でね、あんたのお小遣いなんだけど、
月2万でやってもらえないかなあ。
あとはなんとかわたしもがんばってやりくりするから」
がんばってやりくりするなら、
わたしの小遣いを減らす必要ないじゃないか。
いまだってわたしは付き合いの飲み会に出た翌日は、
昼飯代がなくて水飲んで我慢しているんだぞ。
タバコも止めたし。
風呂上りのビールだって発泡酒になり、500ml缶が350ml缶に減り、
それも毎晩から3日に1本になっているというのに。
大体、クルマなんて幼稚園の送り迎え専用なんだから、いまのままで十分だ。
それを、めぐちゃんとたくくんの家と張り合って、ミニバンにしなくても。
「ママ、このマンションのローンが月10万でしょ。
それに子供たちの塾や習い事に5万だよ。
クルマはいま無理だよ」
「だから、わたしがなんとかするって言ってるでしょ、まったく。
わたしがなにか贅沢なこと望んだ?
マンションもこんな田舎で我慢して、
結婚してから海外も行ってないし、
ブランド物もなにひとつ買ってないわよ。
せめて人並みの生活くらいさせてよ、まったく。
あー、一緒になる人、間違えた!」
それはお互い様だよ。
一生懸命働いて、
どうしてわたしが月2万の小遣いで我慢しなくちゃならないんだ。
ふざけるな。
それから女房は延々とグチをこぼし続け、
わたしはミニバン購入と小遣い2万を呑まされた。
まあ、どうにかなるさ。
いままでもどうにかなってきたんだから。
そう思って自分を納得させようとしたが、
今回はどうにも納得ができない。
もう頭に来た。
わたしは、なんかちっぽけな反乱を起こしたくなった。
なにかしなければ気が治まらない。
風俗にでも行くか?
飲み倒してやるか?
それともギャンブルでパーッと擦ってやるか・・・・・・。
考えた末、わたしは女房に残業で遅くなるとウソを付いて、
会社帰りにタバコを買ってパチンコをした。
閉店までタバコ吸いまくって、金も使いまくってやる。
あはは、使ってやった!
2万円きれいに使ってやった。
あーさっぱりした。
ざまあみろ、バーカ。
その帰り道、夜風に当たって冷静さを取り戻したわたしは、
バーカが自分だということにようやく気がついた。
あ〜あ、これから当分、昼飯は水かあ〜まったく……。