第19話 口走っちゃった?
「本部長、今日は9時から重役会議の後、羽田発11時の飛行機で福岡です。そこでブロック会議の後に、県内5店舗を視察して、夜8時から店長との食事会というご予定です」
私はスケジュール帳を見ながら、本部長の今日1日の予定をいつものようによどみなく読み上げた。
「今日もハードだねえ。はいはい、分かりましたよ」
本部長もいつものように、新聞各紙に目を通しながら、やれやれといった感じで返事を返した。
「あ、夜の食事会だけど……」
本部長の言わんとすることは百も承知。私は本部長の言葉を遮り、答えた。
「大丈夫です。本部長のお好きな水炊きのお店を予約してございます」
「さすが、真理子ちゃん」
本部長が福岡に行ったら鶏の水炊きだ。
そんなこといちいち確認すんなって。
秘書歴12年の私を舐めんなよ!
私は本部長に一礼すると、パンプスのかかとをカツンと小気味よく鳴らして、ブランド物のタイトなスーツをまとった身体を180度回転させ、自分のデスクへと戻った。
さあ、今日も戦闘開始だ。
有能な秘書である私の気の抜けない1日がはじまる−−。
「本部長、そろそろ重役会議のお時間です。資料はこちらにご用意してありますので」
「本部長、玄関前にクルマが着いております。急ぎませんと、首都高が渋滞している模様なので」
「本部長、ブロック会議での挨拶の原稿をご用意してありますので、飛行機のなかで目を通しておいてください」
社長の弟というだけで全国に100店舗を有する大手エステチェーンのナンバー2の座に座っている本部長を、陰で操っているとまでは言わないが、まがりなりにもナンバー2らしく見せているのは何を隠そう、この私だ。
私がいなければ、この男は何もできない。
ただボーッとしているだけの本部長を連れまわし、ブロック会議、営業所視察を終え、食事会まで無事にスケジュール通り終わらせた私は、本部長がしつこく2次会に誘うのを体調がすぐれないと上手に断り、私は出張先での唯一の楽しみであるパチンコに向かった。
つまらない冗談に笑って見せて、歌いたくもないカラオケをデュエットさせられ、しまいにゃケツのひとつも触られる2次会なんか、だれが行くか。
そんなのよりパチンコだ、パチンコ。
九州のパチンコは熱いからねえ。
よし、今日も一丁、出しまくってやるぜ!
私に言わせれば、パチンコは運じゃなくて気合だ。
揃うんじゃなくて、揃えるんだ。
だから、ジャージやスエットなんか着て、死んだ目で惰性でダラダラやっているような人間は勝てない。
ボディスーツで身体を引き締め、背筋をシャンとして氣を送れば、機械ごときは人間の敵じゃない。
と私は思っている。
何事も勝たなければ気がすまない私は、こうしてパチンコも勝って来た。
だからこの理論は正しい。
そして今日も確変2回で大当たり8回。
4万ちょい儲けて、「人生何事も勝たなきゃだぜ!」と、気分よく私はホテルに戻った。
部屋でノートパソコンを開いてメールのチェックをすると、高校時代の友人・久美からメールが着ていた。
狭いリビングに安っぽいけど一応7段あるお雛様が飾られ、その前で5歳になる娘をパチリと撮った画像付きで。
おお、上等じゃんか。また幸せ自慢かい。
自慢できるのが子供しかないのは分かるけど、年賀状で拝見したばっかりなんですけど!
あれ?
いま私ってば、久美のこと羨ましく思っちゃった?
あ、確かに思った。
ってことは私は、いまの自分に満足していない……そんなバカな。
35歳で目黒に2LDKのマンション買って、年収も1000万を超えて、洋服やアクセサリーはブランド物ばっかりで、おまけにパチンコも負け知らずの私の、一体どこに不満があるわけ?
なんか、自分で自分に腹が立ってきた。
飲むか。
私はルームサービスでワインとツマミを注文すると、スーツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びて、気持ちをオフに切り替えた。
素肌にバスローブをまとい、ワインのコルクを開け、自分に「お疲れさん」だ。
そっかあ、今日は雛祭りなんだなあ。女の子のお祭りだ。
じゃあ、ちょっと飲んじゃいましょうか。
ひとりでお祭りっていうのも淋しいけど。
あ、淋しくない。淋しくないぞお。
少し白酒召されたか〜♪ってね、
赤いお顔の真理子ちゃん、
なんちゃって〜。
あはは、大量に召されてますよーだ。
ほれ、見よ、この下腹部。
ボヨヨ〜ンだ。
しかし、よくこの肉がちゃんとあのスーツに入るもんだね。
我ながら、感心しちゃうよ。
がんばってるなあ、自分。
カッコイイ生き方してるよなあ〜。
男だって、より取り見取り。
途切れたことなんかないんだからねーだ。
よーし、たまには真理子ちゃんから電話でもしてやるか。
喜ぶだろうなあ。
ん、電源が切れているだと。
まったく、お色気ムンムンの真理子女王様から直々のお電話だっちゅーのに。
しょうがない。
じゃ、次だ。
なんで出ねーんだよ。
せっかく福岡からセクシーな声を聞かせてやるっていってるのによお。
ま、しょうがない、私クラスになると2股、3股は当たり前だかんね。
なんせ私は高嶺の花。わはは〜。
「……」
出ろよ。
調子くるうなあ。
淋しいじゃねーかよ。
ん?
淋しい?
私、いま淋しいって口走っちゃった?
そんなわけないよね。
淋しくないもん。
そっか、3人ともいねーか。
まさか、女?
なあに、私を知った男が、レベルを下げてまでほかの女に走るわけがない。
そういう意味じゃ私と付き合った男って不幸よね。
がはは…。
寝らんないわ。
母さんに電話しよ。
「何時だと思っているのよ。まったく」
「別になんでもないけど、あそうそう、私の雛人形ってまだあるの?」
「なに急に。へんな子だねえ」
「いま福岡のホテルなんだけど、ロビーに雛人形あったから思い出しちゃって」
「もちろんあるよ。お前には言わなかったけど、母さん、実はお前が東京に行ってからも毎年飾っていたんだよ」
「へ?」
「だって、私が子供の頃なんてお雛様なんてなかったからね。あれ、お前の初節句の時に、父さんに無理言って買ってもらった思い出の品なんだよ。父さん、かわいいお前のためにって月賦で。母さんうれしくって、貧乏だったけどこの人なら付いていけるって思ったんだよ、その時」
こんな夜に両親のちょっといい話かよ。
かー結婚してえ〜!
あ、いま私、結婚したいって口走っちゃった?