第17話 救命救急センター
あれ、絵柄がなかなか止まらないぞ。
どうしたんだ?
なんかヘン。
まわっている。
あ、あ、天井も……。
それから、オレはなにも覚えていない。
気がついたら診察室のベッドに寝かされ、点滴されていた。
ど、どうしたんだ、一体?
オレが意識を取り戻したことに気がついたのか、だれかが話しかけてきた。
「あー、よかった。気がついて。山本さん、心配したよお」
メガネをしていないと、まったく人の顔が判別できないオレは、
とりあえずメガネを受け取って、顔にかけ、その声の主を見た。
「ああ、店長。どうしたの、オレ?」
「どうしたじゃないよお。まったく、心配かけて。うちの店で、バッタリ倒れるんだもん。焦った、焦った、あははは」
そうか、パチンコをしていたんだ。
そうしたら絵柄どころか、盤面も天井もまわりだして……。
その後、倒れたのか。
「大変だったんだから。頭を床に打ったからさあ。動かしちゃまずいっていうんで、そのままですぐに救急車を呼んだの。いやあ、店でお客が倒れるなんて初めてだから、もう気が動転しちゃってさ」
気のいい店長だから、さぞや慌てふためいて、ホントに心配してくれたんだろう。
いまもこうして、オレに付き添ってくれているし。
それにしても、救急車に乗ったのかあ。
残念だな、初体験なのに覚えてないや。
「で、ここはどこなの?」
「●●大学病院の救命救急センター」
「ぐあぁ〜、ぐぐぐあぁ〜」
な、なんだ、このうめき声は。
オレは、店長の顔を見て、目で、「これはなに?」という表情をした。
すると店長は、「なんか自殺未遂みたいだよ。山本さんのあとに、救急車で運ばれてきて、いま胃の洗浄をしているみたい」と声をひそめて教えてくれた。
「さっき、付き添いの友人が医者に説明していたの聞こえたんだけど、睡眠薬を飲んだみたい。『ちょっと苦しいよ』って、医者が言って、それからずっと、うめきっぱなし。よほど苦しいんだろうね、胃洗浄って」
「へー、で、どんな人?」
「まだ、若い女のコ。なんでも会社の寮住まいみたいだよ。それで同じ寮の人たちが発見して、救急車を呼んだみたい。だから、付き添いの人たち、なんにも事情は分からないって。ただ、テーブルの上に薬のビンがあって、その女のコが倒れていたみたいだなあ。なんで、自殺なんかさあ。やっぱり男かねえ」
店長は、刑事ドラマで刑事に聞き込みされているアパートの隣りの部屋のおばさんみたいに、よどみなく要点を押さえ、そして自分なりの憶測まで加えて説明してくれた。
それにしても、周囲がシーンと静かだからか、ここに寝ていると、廊下の声や隣りの治療室の声まで丸聞こえだ。
「そんなことより、山本さん、大丈夫? どうしちゃったのよ、体調悪かったの今日?」
「え、あ、ああ。心配かけてすいません。飲んで、寝ないでそのまま開店に並んじゃったんだよね。たぶん、それで」
「だめだよ、パチンコは体力勝負なんだからさあ。寝ないで来ちゃあ。今度、睡眠不足のお客さまは遊技お断りってプレート作ろうかなあ、あはは」
睡眠不足だけじゃないんだよ、店長。
明日さ、カードの支払いが落ちるんだけど、金がないんだよ。
それで前の日に競馬でなんとかしようと勝負して負けて、
ヤケ酒食らって、
でも眠れなくて、
朝から今度はパチンコで勝負したんだよ。
明日までに10万円作ろうと思ってさ。
それなのに、朝一から出たり飲まれたりで全然、玉が増えないんだもん。
そのうち、なにもかもがグルグル、オレの人生のようにまわりはじめて、
気がついたらこのザマだよ。
って、そんなことみっともなくて店長に言えないから、
「そうだね、これからは気をつけるよ」と言っておいた。
「ううう、うげえ〜、あああ、うわあ」
救命救急センターには、相変わらず女のコのすごいうめき声が響き渡っていた。
ほどなく看護婦さんが来て、
「あ、気がついたんだ。あはは、うるさいもんね。ごめんね、休まらないよね」
と、やさしい笑顔でオレに話しかけ、
ぶらさがっている点滴のビンを確認して、
「あ、もうちょっとね。終わったら呼んでください」
と言って、部屋を出て行った。
いつ見てもナース服はイイ。
それから10分して、オレは点滴を外され、
受付カウンターに向かっていると、
向かいの部屋からお袋が出てきた。
「お袋も来たの? 大丈夫だよ、心配いらない。ただの過労だってさ」
「過労って、なんでお前が疲れるんだよ。仕事もしてないのに」
いままで意識をなくしていた息子を責めるなってば。まったく。
オレは店長にお礼を行って帰ってもらい、
お袋と待合室の長椅子に腰掛けて、
名前を呼ばれるのを待っていた。
すると、血相を変えた40代の夫婦が飛び込んできて、
看護婦さんと一緒に走って、治療室の方へ消えて行った。
「あ、あの人の家族だ。ほら、わたしさあ、家族と間違えられちゃって。わたしも慌てていたから、『○○さんの家族の方ですか?』って言われて、よく聞かずに『はい』って答えたのよ」
確かに、お袋は、オレが寝かされていた部屋の向かいの部屋から出て来た。
「そしたら先生の部屋に通されて、頭のレントゲン写真見ながら、『かなり危険な状態です』って。もうびっくりしてさあ。『そんなに息子は悪いんですか?』って聞いたら、先生も『む、息子? あれ?』だって。その患者さんは70過ぎているらしいだよね、あはは」
重苦しい待合室で、お袋の笑い声が響いた。
笑うなよ、こんなところで。
「そんなことがあったのかあ」
「もう、心臓が止まるかと思ったよ。『脳がこんなに小さくなっている』だって。たけしの脳、小さそうだし、あはは」
だから、ここで笑うなって。
それにしても、平日の夜9時の救命救急センターは、大忙しのようだった。
オレとお袋のほかに、待合室には3組がそれぞれかたまってヒソヒソ話をしているし、
自動ドアの向こうの玄関前には、タバコを吸っている人が4、5人いる。
そこにタクシーから妊婦さんが下りてきた。
小さな子供を2人連れて。
すぐにクルマ椅子が用意され、
「ご主人か、家族の方は?」、
「いえ、今晩は仕事で」
なんて会話をしながら子供と一緒に運ばれて行った。
なんというピリピリとした場所なんだろう。
一刻一秒を争う深刻な出来事が、
次々とここに集められてくる。
オレが知っているだけでも、
いま、ここで、2人の人間が生死の境をさまよい、
1人の生命が誕生しようとしている。
ここでは、すべてが時間との闘い。
いまが勝負。
それなのに、オレときたら、毎日、毎晩、パチンコして、
飲んで、時間の無駄遣いもいいところだな。
もっと、いましなきゃいけないことをちゃんとしないと。
なんて、珍しく殊勝なことを考えていると、
「たけし、診察代とりあえず1万円だってさ。で、後から昼間にちゃんと清算するんだって、ほら1万ちょうだいよ」
「あ、いまないんだ、立て替えてよ」
「まったく、お前に貸して返ってきたためしがないんだから。30過ぎて1万円もないのかね、まったく情けない」
ひとり息子が意識不明で救急車で運ばれたっていうのに、もう責めないでくれよ、頼むから。
まわりにも丸聞こえなんだし、恥かしいじゃんか。
ったく、1万くらい、オレだって……あ、ある、ある。
「そうだ、玉が1万円くらいあるはずだ。お袋、何時?」
「え、10時半だけど」
「急がなきゃ、当日限りだ〜」
とりあえずオレのいましなきゃいけないことは、
パチンコ店に行って2箱分の玉を換金して、
それからこのお袋からどうにか10万円借りることか〜。
やっぱ、情けね〜。