第10話 甲斐性
金が欲しい。
とにかく金が欲しい。
金さえあれば。
あ〜金、金、金……。
去っていく谷口くんの後ろ姿を未練たらたらで見送りながら、俺は心底そう思った。
金あえあれば、いまごろ谷口くんとホテルであんなことしたり、こんなことしたりできたものを。
あー金だ、金。
世の中、金だ。
金がなきゃなんにもできない。
今日は職場で寿退社をする社員のための送別会だった。
その飲み会で派遣社員の飛び切り美人の谷口くんが、
こともあろうに俺にびたっとくっついて離れない。
潤んだ瞳で、
「係長、2次会は2人だけでしましょう」
なんて言い出して、
またそのちょっと酔った顔のきれいなこと。
もう、行く、行く、どこへでも。
って、ノドまで出かかったけど、
俺、金持ってないんだよね。
金は全部、女房に管理されてて、
今日の送別会の会費の5000円だってやっともらえたくらいなんだから。
35にもなるいい大人のくせに、いまサイフの中は3000円しか入ってない。
これで2人でどこに飲みに行けっていうのよ。
立ち飲みだって計算しながら飲まなきゃなんない。
ましてやその後、ホテルなんてなったら……。
でもさ、俺も男だから、まさかお金がありませんとは言えないでしょ。
一応は上司なわけなんだから。
だから、色っぽい瞳で見つめられても、
俺は「女房が待っているから……」なんていかにも愛妻家を装って、
ふくれて帰る谷口くんを見送るしかなかったわけ。
あーもったいない。
あんないい女から誘われたっていうのに。
家に帰ると、女房は寝ていた。
いや、正確には俺がドアを開けて帰ってきた気配を察して、寝たんだろう。
帰宅時間のチェックだ。
起きているなら布団から出てきてもよさそうなもんだが、どうせ機嫌が悪いのだ。
大した稼ぎもないくせに飲んで帰ってくる俺が許せないに違いない。
そんな金があるなら、我が家には欲しい物がたくさんあるらしい。
それにしてももったいないことをした。
女から言い寄られることなんか結婚以来、はじめてのことだ。
そのせっかくのチャンスを俺は金がないばっかりに逃してしまった。
それもそんな大金じゃない。
たかが2、3万の金さえあれば、それでどうにでもなったものを。
つくづく自分が情けなく思う。
大学を出て働いて13年にもなるっていうのに、
自分の自由になる金が一銭もないとは。
これじゃあいけない。
甲斐性が無いにもほどがある。
俺はぬるい風呂に浸かりながら股間のイチモツを見つめ、
こりゃ真剣にヘソクリを作らなきゃいけないなと思った。
でも、その方法となると、アルバイトは時間的にも肉体的にも無理だし、
ギャンブルはしょせんギャンブルだし、
宝くじなんて当たるわけがないし。
そう考えると俺の頭の中にはパチンコぐらいしか浮かばなかった。
パチンコなら独身時代にそこそこやって結構、勝った印象ばかりが残っている。
それに月3万の俺の小遣いでなんとかヤリクリしながら
トライできるのもパチンコぐらいしかない。
そうか、パチンコか。
もちろんリスクは承知している。
でも、1回勝てば谷口くんを抱けるのだ。
たとえ負けて昼飯抜きになろうとも、男なら勝負するだけの価値はある。
谷口くんの裸を想像し元気になった股間に冷水を浴びせ、
俺は明日の勝負に燃えた!
翌朝、不機嫌な女房に「今日はよく食べるわねえ」と皮肉を言われながらも、
俺は食パンを3枚食べ、今日の勝負に備えた。
昼飯を抜いて、昼休みにパチンコをするためだ。
さすがに起き抜けに食パン3枚はきつかったが、
いま食べておかないと夕飯まで食べられないと思えば入るもんだ。
それにしてもたかがパチンコするために朝から食いだめしている俺って一体……。
会社に行くと、若い社員が
「係長は48億円当たったらどうします?」と
スポーツ紙から顔をあげて聞いてきた。
なんでもラスベガスのカジノのスロットで
史上最高金額の48億円を当てた男の記事が載っているらしい。
こちとら2万、3万の金に困っているっていうのに、
いきなり48億円なんてとんでもない金額の使い道を聞かれたって困る。
「そうだな、マンション買って、クルマ買って、家族で海外旅行でもするかな」
そう答えると、
「係長、なに言ってるんですか、夢がないなあ。48億ですよ、48億。1億じゃないんですよ」
確かにそう言われればそうだ。
でも、48億あったら何をするって言われても、
せいぜい会社辞めて遊んで暮らすぐらいしか思い浮かばない。
「ぼくならそうだなあ、10億くらいの超高級マンション買って、
毎晩、銀座や六本木で豪遊するかな。
キャバクラで気に入った女を片っ端からお持ち帰りして。
いいだろうなー。あーちくしょう。
ロト6の4億円でもいいからあたらないかなー」
なんだ、結局、そんなところか。つまんねー。
ま、そんな現実味のない話より、俺にとっては目の前の3万だ。
昼、パチンコで3万稼いで、そんでもって谷口くんを誘うんだ。
そうそう、谷口くんはどうしてる?
いたいた。
いつもなら俺に笑顔で話し掛けてくれるのに、今朝は目も合わせようとしてくれない。
自分から誘って断られたから恥ずかしいのか。
それともいい女だからプライドが傷ついたか。
とにかく向こうが俺に好意を抱いているんだから、
俺から声をかければ問題ないだろう。
待ってろよ、パチンコに勝ったらすぐに抱いてやるからな。へへ。
さて、勝負するからにはまずは勉強。
俺は仕事そっちのけでパチンコ好きの部下に最近のパチンコについてレクチャーを受け、
準備万端ととのえて昼休みになったらパーラーへ駆け込んだ。
軍資金はたったの3000円。
サイフの中身が昨日から増えるわけがない。
はたしてこの3000円で揃ってくれるか。
部下に聞くまでもなく、3000円でパチンコするなんて無謀なのは分かっている。
が、俺に運があれば、神様が俺に谷口くんを抱かせてくれるなら、
そのくらいの小さな奇跡は起こってくれてもいい。
そしてその小さな奇跡は起こった。
諦めかけていた3000円めで確変が揃い、
それから5連チャンもしてくれたのだ。
換金したら2万5000円になった。
やった〜。
これはまじめに生きてきた俺への神様からのプレゼントだ。
生きててよかった〜。
谷口くんは俺からの誘いに驚いたが、喜んでOKしてくれた。
「好きなもの言って。なに食べたい?」
考えてみれば女房以外の女とデートするなんて10年ぶり以上のことで、
そのうえ相手が美人の谷口くんとくれば俺も舞い上がる。
「じゃ、お寿司ごちそうになっちゃおうかな」
2万5000円あれば大丈夫だろう。
しかし、俺が当然のようにテーブル席に座ろうとしたのに、
谷口くんはカウンター席に向かってしまった。
カ、カウンターでお好みか。
あ、いや、それはちょっと。
ホテル代に1万残すとしてここで使っていいのは1万5000円まで。
ん、ちとつらいか。
でも、なんとか……。
「私、昨日、飲んだ勢いで勇気出して誘ったのに、
あ、私、大トロとウニとイクラください、
それなのに係長ったら……こんないい女に恥かかせて。
もう遠慮しないで食べちゃおうっと。
あ、アワビとぼたんエビも……」
もうホテル無理……。