第1話 黄色いランドセル
今年もまた、桜の季節がやってきた。
ピカピカの一年生たちが、これまたピカピカのランドセルを背負って、元気いっぱいに通学路を飛び跳ねている。
毎年、そんな微笑ましい光景を目にするたびに、オレの心はチクリと痛む−−。
今年、娘は24歳だからもう18年も前のことだ。
真っ赤なランドセルを楽しみにしていた娘に、オレは黄色のランドセルを買い与えた。
箱を開けて、なかから黄色いランドセルが出てきたときの娘の驚きと落胆の表情をいまでも忘れることができない。
「やだ〜、赤いランドセルじゃなきゃ、ゆかは学校行かない〜。エ〜ン、エ〜ン」
「ばっかだなあ、みんなと同じ色じゃ目立たないだろ。大体、赤は止まれの色だからな、パパ、好きじゃないんだよ。ゆかには止まらないでドンドン成長してほしいから。な、その点、黄色は注意の色だ。注意深く慎重に人に騙されることなく生きてほしいって、パパの願いが込められているだよ。黄色、すてきじゃん」
「やだ。全然、ステキじゃない。エ〜ン、エ〜ン」
その隣りでは、お袋が呆れていた。
「そんなわけの分からないこと言って……なんで黄色なんて買ってくるんだい」
そう言って、オレを睨んだ。
「うるさい。オレの子なんだからオレの好きなように育てるんだよ」
オレはお袋を怒鳴りつけると、そのままパチンコに行った。
女房は娘が4歳のときに男をつくって家を出ていった。
それからのオレときたら、なにもかもイヤになり、仕事も辞め、昼はパチンコ、夜は酒に溺れる日々だった。
かわいそうだったのは幼い娘だ。
女房が出て行ってからというもの、「ママ、ママ……」と泣き叫んではお袋を困らせていた。
そんな生活が2年ほど続き、どうにかそれでも落ち着いてきた頃の話だ。
すっかりおばあちゃん子になっていた娘は、おばあちゃんに赤いランドセルを買ってもらう約束をして、それをとても楽しみにしていた。
それを飲んだくれのパチンコ親父がいきなり黄色いランドセルを買ってきたのだから、娘が納得しないのも無理はなかった。
オレはオレでムシャクシャしていた。
オレだって好き好んで黄色いランドセルを買ったわけではない。
できれば真っ赤なランドセルを買ってあげたかった。
が、パチンコで使っちゃったものはしょうがない。
あの日、お袋が風邪ぎみだったので、「じゃオレがランドセル買ってくるよ」と、お袋から3万円を預かってデパートに行った。
3万円で赤いランドセルはいくらでも買えた。
が、5万円を超すブランド物のランドセルを見たオレはどうしても娘にそのブランド物のランドセルを買ってやりたくなってしまった。
母親がいなくて不憫な思いをさせている娘に、せめてランドセルだけでもいい物を持たせて、小学校に通わせてあげたかった。
入学式では、友達はみんなきれいに着飾った母親と一緒のことだろう。
でも、娘はおばあちゃんだ。
「お前、どうしてママじゃないの?」。
子供の言葉は残酷だ。
きっと、そんなことを言われて、娘は傷付くに決まっている。
そんな娘にひとつでも自慢できる物を持たせてあげたかった。
それがブランド物のランドセルだった。
くだらない考えなのは分かっていたが、とにかくオレはそう考えた。
せめてものオレの親心だ。
そうと決まれば、所持金が足りない。
ならばパチンコで増やす一手だ。
オレはすぐさまデパートを出て、近くのパチンコ店に駆け込んだ。
なあにフィーバーすればすぐにブランド物だ。
フィーバー、フィーバー。
3万円はなくなった。
真っ赤なランドセルが買えずに真っ青になったオレは、急いで働いていた(といっても休んでばかりいたが)ペンキ屋の親方の家に行って、なんとか1万円を前借りし、ディスカウントショップでいちばん安いランドセルを買ったのだった。
そう、1万円で買えたのは当時、出始めの奇抜な色のランドセルだけだった。
特に黄色は人気がなかったのか、3月も押し迫ったこの時期、半額以下で投売りをしていたのだった。
色なんかこの際、選んではいられなかった。
もちろん、娘はイヤイヤながらその黄色いランドセルを背負って小学校に通った。
お袋は「こんな色のランドセルでいじめられるんじゃないのか」とずいぶん心配していたが、たくましい娘は最初のうちこそ泣きながら帰ってきて、「黄色なんてひとりもいない〜」と駄々をこねたものの、ひと月もすれば友達もたくさんできて、いつしかランドセルの色なんか気にしないようになっていった−−。
24のいまとなっては、我が家の懐かしい笑い話だ。
それでも、オレの心にいまでも鮮明に残っている傷であることは間違いない。
こうして桜の入学式の季節になると、オレは真新しいランドセルを背負って行き交う新入生のチビッコを見るたびに、その傷が疼く。
そういえば、娘とオレで、家具屋に学習机を買いに行ったときも、娘は本棚が付いたキャラクター物の学習机を欲しがったが、オレは頑なに「そんなゴテゴテした机ダメ。シンプルが一番」と言い張り、安い掘り出し物の机を買って、娘をがっかりさせたっけ。
予算はちゃんと5万円あったんだよ。
お前の母親の実家からお祝いが届いていたから。
でもパチンコで……。
「父さんは、お前の大切なお金でパチンコして、いっつも負けてばっかりで……」
「いいんだよ、父さん。もう、そんな昔話は……」
オレの目の前には娘が正座している。
「そういえば、中学の修学旅行のお小遣いもあげられなかったなあ」
「うん、父さんがやっぱりパチンコしちゃって……」
「あれも、父さんはお前に肩身の狭い思いをさせちゃいけないと思ってさ、確か小遣いは1万円までという決まりだったのに、3000円しかなかったから、父さん、増やそうと思ってな。そしたら3000円なんてアッという間だった」
「うん、父さん、私のためになんかやってくれると必ずお金減らしちゃうんだよね」
「高校の入学金にするためにお袋が積み立てていて貯金も使ったっけ」
「私が高校卒業して、働き出して、コツコツためた貯金も使っちゃったよね……」
自分が情けなくて、娘を見ていられなくなった。
「でも、母さんは私から逃げちゃったけど、父さんはずっと私のそばにいてくれたもん。それだけで……それだけで……、エ〜ン、エ〜ン……」
明日、嫁ぐ娘は、幼い頃と同じ無邪気な泣き声で泣いた。
オレの目からも、涙がとめどなくあふれた。
本当に、こんな親なのにいい娘に育ってくれた。
そこに預金通帳片手にお袋が血相変えて飛び込んできた。
「ないないない、私の貯金が100万円、引き落とされている、ひ〜」
え? それはオレ知らない。
オレじゃない。
まさか……。
「だってさあ〜結婚資金足りなかったんだも〜ん。いいじゃん。かわいい孫のために使ったってさ〜」
こいつは間違いなくオレの娘だ。