ついに訪れし羊羹の日
「早く行くぞ、セバルトよ!」
「慌てなくっても逃げませんよ」
ブランカにくわえられた袖を引っ張られながら、セバルトは宿を出た。
スタンス達が襲撃してきた翌日、セバルト達が向かうのは、もちろんシーウーに来た日に訪れた甘味屋だ。
「しかし、これでついに食べられるわけですね」
「うむ。長かった……」
感慨深げに頷くブランカ。
昨日、メブノーレからもらった、ストックの甘芋を甘味屋に持っていって、夫妻とともに事情を話したところ、驚きつつも喜んで、羊羹を作ってくれることになった。
下ごしらえや準備に時間がかかるから、明日来てくださいと言われていたので、ブランカとセバルトはそこに向かっている。
ブランカの足取りは軽い。狐なのにスキップでもはじめそうな雰囲気に、セバルトも表情を緩める。
早足で向かい、甘味屋に到着すると、店主が迎えに出てきた。
「おお、来てくださったのですね。お待ちしてました。すぐに準備いたします。中へどうぞ」
「どうもありがとうございます。突然のことだったのに」
「いえいえ、あなた達のおかげで、うちの名物が復活するのですから、これくらい当然です、むしろまだまだ足りないくらい。ああ、そうだ。これをお渡ししようと思っていたんですよ」
店主はセバルトとブランカに、軽い木の板を渡した。
そこには、『甘芋羊羹食べ放題』と書いてある。
「これをお渡しします。今はまだ臨時で材料が入って来ただけですが、メブノーレさんの畑が実って、通常営業が始まればいくらでも作れますしね。うちの店に来ていただいてこれを見せてくだされば、いつでもご提供させていただきます」
「いいんですか? いつでも? 何個でも?」
「ええ。もちろんです」
店主は胸を叩いて自信ありげに言った。
だが、大丈夫だろうかとセバルトは視線を右に移した。目を輝かせている白狐は、遠慮などしそうにないけれど。
(まあ、本人がいいと言ってるし、いいか。食べ尽くしはしないだろうし)
などと話して、奥へと行くと、まずお茶が出てきた。
二人でゆっくり飲みながら待っていると、ザーラとメリエもやってきた。
そして、さらに少し経つと。
「お待たせしました。これが甘芋羊羹ですよ」
セバルト達がついているテーブルに、店員が甘芋羊羹を運んできた。
四人の目が一斉に輝き、声が揃った。
「おお!」
黄金色に輝く、しっとりとした羊羹が食べやすいサイズに切られて盛り付けられていた。
「すっごい綺麗な色。金色だよ、金色」
「いい匂いですね。甘くて、爽やかで」
「うむ。それより早く食べようぞ。早くしなければ」
思い思いの感想を述べながら、皆甘芋羊羹に注目している。
見た目は、四角くシンプル。
だが色と香りだけで期待が高まってくる。
その頂点で、四人は同時に黄金色のお菓子を口に運んだ。
「あっまい!」
「歯触りもいいです。柔らかくて、詰まってるのに雪みたいですよ」
「ええ。これは美味しいですね。甘いんだけど、それだけじゃなくて、香ばしいような香り高さもあって、さすが名物です……ブランカ?」
あれだけ食べたがっていたのに、ブランカが何も言わないことに、セバルトが首を傾げた。
メリエとザーラも不思議そうにブランカに視線を向けるが――納得した。
ブランカは食べることに集中しきっていた。
ガツガツと、一心不乱に金色の塊を口に入れている。
その表情は、この上ない笑顔だ。
セバルトは狐がこんなふうに笑うことをはじめて知った。
セバルト達が夢中すぎる様子に見入っていると、ブランカが顔をあげた。
「どうした、何を笑っている。そんな暇など無いぞ。食わねば」
そう言うと再び食べることに集中しはじめる。
「僕たちも負けずに食べましょうか」
「うん!」
食べっぷりに魅せられたセバルト達も甘芋を再び味わうことにし、その美味に舌鼓を打った。
「ふー、食べた食べた」
じっくり食べに食べ、お腹が膨れるまで食べたセバルト達は、甘味屋をあとにした。重たくなったお腹を抱えながら、宿へとのろのろと歩いて行く。
「少し、食べ過ぎたね、うん」
「うむ。我としたことが我を忘れてしまった」
「それはだじゃれ?」
「違うわ」
ブランカのお腹が一番膨れている。
白いお腹のもこもこ感が強調されていて、気持ちよさそうな雰囲気だ。
「無事、村の問題も解決できたわね」
「うむ。名物が復活すれば、シーウーも昔のように活気が出るだろう。我も遺跡を探索して、少しだが記憶が戻ったし、めでたしという奴だな」
ブランカに、ザーラも頷く。
ザーラにとっても、遺跡の行き止まりの先が見えたのだから、実りのある旅だったといえるだろう。
セバルトも、エイリア以外の場所を見ることができたし、風呂やハンモックも作ったし、満足した旅だった。
四人は宿に戻りながら、そろそろエイリアに帰ろうと話をし、宿についてから荷物をまとめた。
そして翌日、もう一度甘芋羊羹を食べてから、シーウーからエイリアへと帰ったのだった。
エイリアに戻ってきたセバルトたちは、それぞれの家へと戻っていった。ブランカは、魔法学校が現在使われていない建物をいくつか所有しているので、それにとりあえずは住むことになった。
セバルトも自分の家へと戻り、とりあえず一息つく。
旅というよりは旅行と行った方がいい遠征だったが、それでも帰ってくるとどこかほっとして心安まる。それが家というものなのだろうなとセバルトは思った。
(ブランカの授業……記憶を戻す授業は、終わってはいないけど、またこっちでしばらく調べてやっていこう。シーウーで何かありそうなところは調べたし……まだ何か残っているかもしれないけれど)
それにしたって、闇雲に探すより、いったん考えて方針を立て直してからの方がいいだろうとセバルトは考えている。
一休みして、そんなことを考えつつ荷物を整理していき、旅の後始末も終わったところで、セバルトはよしと気合いを入れた。
「さて、それじゃああれをやっておくかな」
一つ、やっておきたいことがある。
「もうそろそろ、いいだろう」
セバルトは『ワルヤアムルの鏡』を『不可視の玉壷』より取り出し、手に取っていた。
魔力を込めて、鏡の持つ特別な力を起動させる。
それは、セバルト自身が未来で自分の力をうかつに見せないために、自分で自分の力を封じるために使った道具だ。
「これにも、そろそろ慣れてきた」
無理矢理力を抑えられつつもこの300年後の世界でしばらく生活してきて、どのくらいの力なら変に思われないのか、周囲への注意の払い方、などセバルトは把握してきた。
今なら、無理矢理道具を使って制限せずとも、必要に応じて自分で抑えられるだろう。
それができるなら、当然封印しない方が便利だ。たとえば、人前でも自分だということを隠しつつ力を発揮するようなことも可能だろう。本当にセバルトができるか否かは別にして、原理的には。
シーウーにいるときにも、どうしようかと考えていたのだが、やはり解禁しようと決断し、解除の儀式を行うことにした。
精霊の力を宿すという鏡は、淡く発光していく。そして――。
鏡に映されたまま固まっていたセバルトの姿が、再びセバルトの動きと同じように動き始めた。鏡による呪いは解けた。
「よし、解除成功。これで失敗して、ずっと力を出せなかったら、さすがにマヌケすぎるけど、うまくできてよかった」
セバルトは鏡を『不可視の玉壷』にしまい、軽く体操するように体を動かす。もっとも、元々ここには一人しかいないので、何かが変わるわけでもないのだが。
「ま、何か万が一のことがあったときも、安心だしな」
セバルトは火の巨人の姿や、アークデーモンの姿を思い浮かべる。
あれですら先触れでないようなことが起きて、それが他人がいるところだとしたら。
過去の英雄だと知られたくはないが、うまく誤魔化すという選択肢がとれるくらいにはしておいた方が良い。
それに、生徒達も結構腕を上げてきたから、セバルトが多少力を見せても、一強とは思われずに済むだろうという計算もある。
(何もないに越したことはないけどね、もちろん。さ、身軽になったことだし、明日からまた、バリバリスローにやっていこう)
セバルトは、慣れ親しんできた家の中で、ぐっと拳を握った。
1月10日にカドカワBOOKS様から、本作『お忍びスローライフを送りたい元英雄、家庭教師はじめました』の書籍がついに刊行されました!
新エピソードなどの追加で、セバルト達のスローライフをさらに増量中です。
そして、岡谷様によるセバルトやメリエ達の素晴らしいイラストもあります。
興味がありましたらどうぞ手にとってみてください。