夫婦げんかは狐も食わない
「――そういうことで、困っているんです」
甘芋農家メブノーレ夫妻は、ブランカに事情を話した。
白狐にというのは不思議な感覚だったが、しかし、その堂々とした態度に、なぜか話そうという気に二人ともなっていた。
その話によると、先ほどのスタンスが語ったように、最初の時は様々な害を受けずに収穫量もあがったのだが、次に普通の芋を植えようとした時、芽が一切でなかったという。
肥料をいれたり、別の場所からの土を混ぜてみたりと色々試してみたが、どうやってもダメということだった。
「この畑全体がそういう状態になっているということですね」
「魔法薬って言ってたっけ」
「ただの薬では難しいでしょうし、特別なポーションのような魔法薬を利用したのでしょうね」
「あたしは助けにならなそうねー」
メリエはそうそうに諦めムードで両手をあげた。
夫妻は話を続ける。
そうして、スタンスが再びあらわれ、去年と同じように種芋に処理をすれば育つと言ったが、その料金が法外。
300万ラケイアほどもかかるというのだ。
「300万!? 30万じゃなくて!? それって単純計算で収入が200万減るってことでしょ。無理でしょ」
「ええ。無茶苦茶です。雑草や害虫対策の分がなくなるのだから、といってましたが、それにかかる金額なんて2,30万ラケイアというところです。手間がなくなることや収穫量が増えることを考えても、割にあわない――厳しすぎます」
メリエがひえーという顔をしている。
たしかにかなり無理がある。これまでに比べて年収がそこまで減るとなると厳しいだろう。
「それだけで終わるとは思えませんね。こういうのは、一つ導入すると芋づる式に色々と売り込んでくるものですし」
悪い想像をするなら、この夫妻がギリギリ払えるくらいの金額に常に値上げする可能性を考えられる。生かさず殺さず搾り取り続けるために。
「だから、私たちは頼らずにやろうとしたんです。今年だけならともかく、来年も再来年もとられると思うと。でも、ダメでした。どうやっても何も育ちません」
妻が言うと、夫の方が首を振って、視線を向けた。
「だからやめた方がいいって俺は思ってたんだ。うまい話に飛びつくなんて、そのせいでひどい有様だ」
「……なに言ってるの。やろうって言ってたでしょう、あなたも」
「それは、あれだよ。お前のお腹が大きかったから、少しでもそのために金を稼ぎたいって思ったからで」
「何? 私のお腹のせいにするの?」
「そういうわけじゃないが……でも飛びついたのはそのせいだろう? 俺は家庭を支えようと必死だったんだから、その分お前が冷静になってればよかったんだ」
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ、とセバルトが眉をひそめていると、夫妻は額がくっつきそうなほど顔を近づけ、ののしり合い始めた。
「家庭を支えるもなにも、自分が頭悪いだけでしょうが! 馬鹿なくせに頭のいい人と取引するから馬鹿な目にあうのよ、馬鹿!」
「なっ、お前だって学がないだろうが!」
「学はなくともあんたよりは頭はいいわ。だいたい、私は最初から芋だよりってのが気に入らなかったの。他のものもバランスよくやってればまだマシだったのに」
「お前、今更! 一番の売りで一番儲かるから他のを削ってでもやろうって言ったのはお前だろう!」
「それはその……あんたの意見を汲んでやったのよ!」
完全に喧嘩が始まってしまった。
セバルト達は呆気にとられて眺めるのみ。
「どうするのこれ、先生」
「どうしようもないです。かかわりたくないです。」
「まあねえ。こんな風に責任をなすり合う結婚生活はしたくないなあ。それにしても、子供が生まれるからもっと頑張ろうと思ったのが裏目に出るなんて可哀想ね。えぐいことするよね、あの商売人も」
「そういう時が一番狙われやすいんですよね。浮き足だったところを。何が懸かってようと、どんなときでも冷静さを失ってはいけませんよ」
「強引に授業に繋げたね、先生」
二人が話している中でも、夫婦げんかはまだ続いている。
これは、そもそもの原因が残ってる限り何度でも喧嘩しそうだな、とセバルトが思っていると、ブランカが一喝した。
「鎮まれ! 喧嘩がしたいのか、芋を育てたいのかどっちだ!」
その威容に、メブノーレ夫妻は口げんかをやめる。
落ち着いたところで、セバルトも口を開いた。
「契約書とか説明の資料とか、ないのですか?」
「あります、見てください」
どうやら、やはり誰かに色々ぶちまけたかったようで、夫妻は家の中へとセバルト達を招き、スタンスから渡された資料を見せた。
「げ、何この分厚さ」
「凄いでしょう? こんなの読めませんよ」
渡されたという資料は100ページ以上にわたり、専門的なことが書いてあった。甲や乙や専門用語や色々あって、はっきりいってセバルトにもなんのことやらという感じである。
これを素人が読むのはなかなか難しいだろう。
「でも、読めないけど契約にサインはしたと」
「はい。かいつまんだ要点の説明をスタンスがしたんです。僕らにもわかりやすく、簡単に。僕らはその時は、すっかり信じて、いい人だと思ってしまいました」
「お子さんのためにも、より農業の規模を大きく効率的にしていきましょう、なんて言ってたのよ。今思えば、ちょうどいい鴨だったんでしょうね」
「だが、言いくるめられたせよ、契約を自分で結んでしまったのだな」
夫妻は思い出して暗い顔になり、頷いた。
ブランカは、少し離れてセバルトに言った。
「これは、いかんともしがたいな。なんであれ契約を結んだなら、果たさなければならない。そうであろう」
「ええ。相手が嘘とかをついていたら、無効ですが、話を聞いた感じだとそういうわけではなさそうです。美味しい話だけをして、悪い部分は、契約書や資料を見てくださいとしている。でもそこにはちゃんと書いてあるから、騙したことにはならない」
「いつの世も、口の上手い者はいるものだ」
「ええ。というわけで、そこから攻めるのは無理でしょうね。というか、やるにせよ法に明るいわけでもない僕らの出る幕じゃないでしょう。こういったことの専門家に頼むべきだと思います」
「ふうむ。そうであろうな。結んだ以上はしかたない。芋は惜しいし、同情はするが……」
ブランカは名残惜しそうに、暗い顔の夫妻を見つめていた。
メブノーレ夫妻の親が面倒を見ていた子供の顔を一目見た後、セバルト達は家を後にした。事情は知ったものの、すぐにどうこうする方法はない。
「ただ、なんらかの方法で畑を昔に戻せれば、いいのだがな」
「そうだねえ。何かないかねー」
「まあ、記憶には止めておきましょう。ただ、そこまで僕らが深追いすることでもないとは思いますよ」
気の毒だが、注意力不足が招いたことでもある。
そこまで面倒を見る関係でもないし、羊羹は惜しいが、そこまでするほどでもないし。
というのはセバルト以外も思っていたので、励ましつつメブノーレ家を後にしたのだが、ブランカはまだ名残惜しそうだった。
「そこまで食べたかったの? あたしがヨウカンは知らないけどパイでもつくってあげようか?」
メリエがからかうように言う。
「我はそんなに意地汚くないわ。ただ――」
「ただ?」
「たいしたことではない。なんとなく、話を聞いてやりたかっただけだ」
(ブランカから、何か出てくるかもしれないな。畑のことを解決する何か――というよりもっと大きなものが)
いつになく神妙な様子の神獣を見て、セバルトはそう思った。
読んでいただきありがとうございます。
書籍版の続報ですが、イラストレーターは岡谷様です! 素晴らしいイラストを描いていただいているので、近いうちにセバルト達のイラストを紹介できるときが楽しみです!