授業も忘れずにさ
シーウーへと向かおうかと話した翌日の午前、竜人レカテイアはセバルトの家の庭にいた。
庭には、根っこを土にくるんだまま持ってこられた怪しげな植物が今まさに、植えられたところだ。
その仕事をしたのは、セバルトとレカテイアだ。
「これでよし、と」
「どれくらい仕事するんでしょうか、この植物」
「まあ、見てなよセンセイ。ちょうどおあつらえ向きにいる」
狭い庭に植えられたのは、背丈ほどの大きさがあり、褐色の葉が歯の生えた貝のようになっている植物。
レカテイアがその根元のあたりを指さす。
セバルトも目をやると、ドブネズミが通りから家の方へと歩いてこようとしている。
影に隠れて様子を見ることにすると、ヒゲをピクピク動かしながら、麦など穀物を荒らしていく市民の敵ドブネズミは、ターゲットをセバルトの家に定めた。
周囲の様子をうかがうと、素早く動いて庭を横切ろうとする。
その瞬間、植物が目にも留まらぬ速さでその蔓を動かした。
ネズミを正確にとらえ、貝のような歯で捕まえると、そのままぱくりと食べてしまった。
「おおー、お見事ですね」
セバルトが指先でパチパチと手を叩く。
レカテイアが自慢げに頷いた。
「なかなかやるだろう? あれはドラゴンイーターって魔領じゃ呼ばれてる植物なんだ」
「凄まじく物騒ですね。なんでドラゴンのあなたがそんなものを」
「大昔はもっと巨大でドラゴンでも怪鳥でも食ってたらしいってことさ。でも今じゃ小型化してネズミやらの小動物とか虫とかを食べるんで俺たちの心強い味方ってわけさ。なかなかいい動きだったろ? センセイ」
「ええ。これは寺院を借りて育てて正解でした」
セバルトは満足げに、凶悪な見た目の植物に水をやる。
これは以前、寺院で魔領の植物をいくつか育てた時に、育てた一つだった。食べられる魔領の野菜を主に寺院の畑を借りて作ったのだが、その時に虫除け獣避けになるということで、これも使えるとレカテイアが推したのである。
それが十分に成長したので、セバルトも家に一つ持って帰ってきた。
植物の蔓をくるくる巻いて弄んでいるレカテイアにセバルトは言った。
「しかし、ちゃんと収獲もできるものですね。魔領のものでも」
「ちょっとばかし元気がないような気もするけどね。まあ、マナの豊富さが違うからそこは仕方なしさ」
そんな風に話していると、セバルトは思う。
「なんというか、人間の常識を教えてくれと言われましたけど、もう教えることもそんなにない気がしますね」
「そうかい?」
「ええ。普通に怪しまれないように暮らすというなら、今の状況で十分できていそうです。寺院の畑を借りて、作物を作り、そして収獲するというような町の人間とのやりとりもできていますし」
レカテイアは、しばし人差し指をこめかみに当てて、じっと考える様子を見せる。
「まあ、たしかにそうかもなあ。必要十分なことはもうだいたいわかった気がする。というより、そもそも難しいことでもなかったかな? センセイ」
「ええ。人間社会で暮らすくらい、僕でもできますしね」
「それが基準になるのかわからんね。まあ、たしかに俺も竜人の社会の中で暮らしてたからなあ。完全な野生の魔物とはワケが違う」
「そういうことです」
セバルトは頷く。
レカテイアはセバルトをじっと見る。
「それで、どうするつもりさ?」
「そうなんですよねえ。特に教えなきゃいけないことも思いつかないし。あとは各論……個別の町や国、政治システム、冠婚葬祭のしきたり、みたいな普段の日常生活ではあまり必要ないことくらいしかありませんね。逆にそういうことまでいれると果てしないんですが、そういうことは人間だって実際その場面になってから初めて知ってる人に教えてもらうことが多いですし。葬儀の時の作法なんて、よくわからないからとりあえず自分の前にいる人の真似してる人も少なくないですしね」
「ふうん。そんなもんなのか。でも色々あるんだなあ」
「ええ。色々ありすぎて、あらかじめ覚えるのが無駄なくらいに。実際必要になったときだけ覚える方が現実的。その際には教えますけど」
「なるほどねい。わかった、じゃあそうしようか、センセイ。非常勤ってやつ」
「よくそんな言葉知ってますね」
「ふっ、自習も欠かさない良い生徒だからさ」
レカテイアは頭の裏に手を当て、空を眺める。
「じゃあ、どうしようかね。人間社会に馴染むことができるようになったら、元々の予定通り色々精霊やマナについて調べていくかねぇ。一応いくつか調べたいポイントとかは探してたのさ」
「ええ、それがいいんじゃないでしょうか。……シーウーの遺跡ってご存じですか?」
セバルトは、今度行くシーウーにも遺跡があるという話を思い出した。
だが、レカテイアは首を振る。
「いんや、わからんね。それは範囲外だな。行くのかい?」
「いえ、特に予定はありませんが、今度シーウーという町自体には行くかもしれないので、なんとなく聞いただけです」
「本とか色々読んでるけど、たしか少しだけ、遺跡じゃないけどシーウーって場所のこともあって、甘い芋がとれるってあったな。そういう野菜とか果物とかが色々とれるらしいぜ」
「ほう……甘い芋ですか。それはなかなか楽しみですね」
緑が豊かだし、この辺りにはないものも採れるのだろう。
何か珍しい物があれば、このドラゴンイーターのように、庭に植えるのもいいかもしれない。セバルトはふらふら蔦を揺らす植物を見ながらそう考えると、息を一つ吸って、レカテイアに向き直る。
「それでは、最後の授業として、旅支度を兼ねて町を見て回りましょうか。そこで気になったことがあれば、なんでも質問してください。それに関して教えるのを、町に馴染むための常勤の授業としては、ラストで」
「ああ。これまでどうもありがとうございました、ってのも変な話か。いつも通り行くとしようか、センセイ。……うまく利用するじゃん」
「ふふふ、これが人の世を上手く渡るコツですよ。さりげなく自分の利益に誘導する術です」
「素朴な竜と違って勉強になる……!」
駄目なことを教えているのではないかと思いつつ、セバルトとレカテイアは町を歩く。