神獣争奪戦
「ちぃっ! 気取られるとは!」
それから、半刻ほど後。湖そばの森に声が響く。
神獣の頭上に広がった分銅つきの投網が、セバルトの蹴りに絡め取られて仮面をつけた女の手からもぎ取られる。
仮面の三人組が、手に手に武器を持って、木々の合間で構えていたのだ。
「こんな強引に奪いにくるとは思って……ましたけどね」
「どういうつもりよ、あんたらこれだと強盗よ!」
メリエが噛みつくように言うと、神獣も唸りながら牙を剥く。
仮面の三人組は、肩をふるわせながら首を振った。
「なんのことやら。顔も見てないのに顔見知りみたいなこと言わないでほしい」
「とぼけないでよ。どう見てもさっきの奴らでしょうが」
「証拠はないだろう。きっとそうに違いない、と証拠があることの間には大きな隔たりがあるんだよ」
「屁理屈言って~」
「屁理屈ですが、たしかにもっともです。さっきの人だとは証明できません。だから、あなた達三人を捕らえてしまえばいいだけですね」
セバルトが体勢を低くして力を入れたのを見ると、メリエも力を込める。
相手の三人組も、棒や網や縄を構えた。
最初に動いたのは、仮面の男だった。
「はーやれやれ、面倒な荷物が増えたわ」
「持つのはまかせます。メリエさんの方が僕より力持ちですし」
「えーいやだなあ。なんでこんなのをあたしがおぶらなきゃいけないの」
セバルトとメリエの前には、縄で縛られ網をかぶせられ仮面をはぎ取られた三人の男女がいた。
数でも勝っているし、それなりに腕っ節が自慢だったらしく自信満々に向かってきたのだが、メリエとセバルトに比べればその実力など児戯に等しい。三人組は十秒かからずのされてしまったのである。
「こういうのは冒険者ギルドに持ってけば、あとは市の規則に則って処罰されるから、そこまで持っていきましょう」
「あたしが教えて上げたことなのに得意げに。わかりましたよ、ちゃんと運べばいいんでしょ」
セバルトとメリエは、体に三人組を紐でくくりつけ、背負って町まで運んで帰った。
それから、冒険者ギルドで事情を話して引き渡した。牢屋に入れられるか、キツい労働で償うか、罰金か。実害がないから何もなしになるかもしれないが、ともかくお灸は据えられた。
冒険者ギルドを出ると、メリエがかがみ込み、神獣を一撫でする。
「まったく、災難だったね。さらわれそうになるなんて。白くて綺麗だから、気をつけなきゃダメよ」
神獣は尻尾を振って答える。何を言っているかわかっているのだろう。
その後、セバルトはメリエとわかれ、神獣と共に家へと戻った。
「やれやれ、厄介なことになったな。そんなに珍獣なのかね、君は」
セバルトはいつものように自分と神獣の食事を用意し、一緒に食べる。
「……そうだな。何か対策でもしておくか」
そして、ご飯を食べ終え、のんびりとしている時。
セバルトは、不可視の玉壷から、今日みたいなことを防げるマジックアイテムがないかを探す。
「お、あった」
セバルトが見つけたのは、赤いリボン。
これは発信器のように働くマジックアイテムで、対になっている青いリボンが位置を指し示す。
西のサクェ国で、精霊信仰の巡礼者の一行が、道に迷ったりしないように使うものだ。セバルトが、最も力ある精霊マナフ・クシャスの加護を受けにサクェにある精霊信仰のの総本山へと向かったときに、手に入れたものである。
これがあれば、万が一さらわれたりしても場所がわかってすぐに助けに行けるというわけである。
それだけでも便利だが、これにはもう一つ機能があって、魔力をチャージしておいて、それを解放して衝撃波として放つことができる、簡易的な護身用具でもあるのだ。
(頭はいいしこっちの言うこともわかってるみたいだし、教えれば使えるだろう)
普通なら、ちょっと相手を脅かすぐらいの衝撃だが、セバルトが力を込めておけば、一撃必殺の衝撃弾を二、三十発くらいは撃てるはずだ。これさえあれば自分の身は自分で守れるようになる。
セバルトはリボンを手に、魔力を込めていく。
「よし、チャージ完了。ちょっと足出して」
たっぷりと魔力を注入すると、セバルトは神獣の前にそれを差し出して前足を出すように促す。
すると、真っ白な神獣は、顔を突き出し――リボンを咥えた。
「いや、そっちじゃないって……え? これは!」
苦笑いしかけたセバルトの表情がこわばる。
リボンに注入した魔力がどんどん抜けていっていることに気付いたからだ。
(こいつが、魔力を、マナを吸収してる? ――っ!)
視線を神獣に向けた瞬間、眩い光が部屋の中を覆い尽くした。
卵が孵ったときよりも強い光が神獣から放たれる。
しばらく無音の光が部屋を満たしていたが、やがて薄れていく。
セバルトは薄く目を開け、そして、口をあんぐりと開けた。
「で、でかい」
両手を広げたほどの体長の、大きな純白の狐が、青い宝石のような目を、セバルトに向けていた。
「……ええと、神獣だよね」
「いかにも。我は神獣なり」
「……」
セバルトは瞬きを二度した。
「……ええと、神獣だよね」
「いかにも。我は神獣なり」
「喋った!?」
「我をなんだと思っている。人語を操るくらい容易いに決まっているだろう」
巨大化した、というよりは大人の体になった神獣が。
狐の口で、人間の言葉を当たり前のように喋っている。
セバルトは目を瞬かせつつ、
「いやあ、まあ、神獣なら喋れるのかもしれないけど、今まで一言も口をきかなかったのに、なんでまた急に」
「小さい体ではまだ十全に力が戻っていなかったので、喋れなかっただけだ。お前達人間も赤子の頃は喋れぬだろう。ようやく真の姿に戻ったので、口をきいてやっているのだ」
「はあ。たしかに。なるほど」
セバルトは頷きつつ、どうやらこれが本来の神獣の姿らしいと理解した。
それにしても、なかなか偉そうな態度だと思いつつ、神獣の姿を見る。
見た目は、大きな狐だ。
だがよく見る狐とは違い、薄い耳の先からふさふさの尻尾まで純白の毛で覆われている。そしてその中に、深い青色の目が宝石のように輝いている。
たしかにこれは神がかった美しさだなとセバルトは思う。そして、神がかったふわふわ感が気持ちよさそうだとも。
神獣が顔をしかめた。
「よからぬことを考えてるな? 神である我をもさもさと触ろうとしているな?」
「はっ! よくわかりますね。神通力ですか?」
「顔を見ればわかるわ! 言っておくが、我に気軽に触らぬように。よいな」
「まあ、触るなと言われれば、起きてるときは触らないようにしますけど」
「眠ってる時もダメに決まってるだろう! まったく、美しい毛並みを見るやふわふわしたがるのは人間の悪い癖だな」
ふさふさの尻尾を振りながら神獣は言う。
セバルトの目が、尻尾を追って左右に揺れる。
「そうだ、もう一つ言っておくことがある」
「なんですか?」
「我の名前はブランカだ。我を真の姿にした功績をたたえ、一番に教えてやろう」
「ブランカ……なるほど、ぴったりの名前ですね。ところで、なんで急に大きくなったんでしょう」
「そなたが……セバルトが渡したリボンのせいだ。濃密な魔力が大量に込められていた。それを取り込んで、力が戻ったのだ。その力は認めてやろう」
床に落ちている赤いリボンをセバルトが真眼で見ると、魔力がほとんど抜けていた。どうやら、神獣ブランカは、魔法の力を「食べる」ことができるらしい。かなり特殊な能力。さすがというべきか。
ともかく、神獣に本来の姿を取り戻させることができて一安心というところだ。
(となると、ブランカをどうするかってことが次に考えなきゃいけないけど……どうしよう。一応卵の持ち主だった魔法学校には報告した方がいいんだろうな。その後は……まあ、なんとも言えないか。なんかブランカ、わがままそうだし。とりあえず無事本来の力を取り戻してよかったってことで、あとのことはあとに考えよう)
ということで、考えるのは明日の朝にすることにセバルトは決めた。
「よし。それじゃあ、今日は遅いからもう寝ましょう」
「うむ。我も一気に成長したからか、眠くなってきた。寝るぞセバルト」
神獣ブランカはたんっ、と軽やかに床を蹴ると、セバルトのベッドに飛び乗り、丸くなって目を閉じる。
「って、ちょっと待ってください! そこで寝られると僕の寝床がないんですけど!?」
「五月蠅いな。汝は床かそこらで寝ればよいだろう」
「なんで家の主人の僕が床で寝なきゃいけないんですか。しかもその柔らか布団は僕の大のお気に入りなのに」
「客人をもてなせい、セバルトよ」
「いいや、僕も寝ます! 睡眠に関しては譲れません!」
セバルトもブランカを押して、ベッドに強引に入り込む。
ここは俺の家だという意思表明である。
「あ、こら、気やすく触るでない。狭っ苦しいではないか」
「じゃあ出て行けば広いですよ」
「絶対に出ぬぞ! この柔らかい布団が……ほわあ……として最高に気持ちよいのだ!」
「僕だってそうです! 絶対に譲りません!」
元英雄と神獣の布団争奪戦は、深夜遅くまで続いたのだった……。