ブロークンエッグ
再び、アハティ家。
広い庭の地面の上に、色鮮やかな花に見守られるように、薄汚れた卵がちょこんと置かれていた。
その前には、セバルトとロムス。
そしてザーラも少し後ろに。
「先生、これって魔法で孵る物なんですか?」
ロムスが、疑問を表情に浮かべつつ尋ねる。
「ええ。これは、高度な魔法的な封印がなされています。自然か人為かまではわかりませんが、マナによって鍵がかかっている。それを外すのもマナ――ひいては魔法というわけです」
セバルトは、卵に近づき触れるようにロムスに促す。
ロムスは卵を手に取り、目を閉じ集中する。
「……緑のマナが多い、で合ってますか? 先生」
「ええ。訓練の成果は出てますね。マナを識別することがかなり素早くできるようになってきました」
セバルトが褒めると、ロムスは目を大きくし、嬉しそうに表情をゆるめる。
そして、さらに集中して卵を見つめる。
これまで、魔法をうまく使えるようになるため、魔法の力の源となるマナを感じる訓練に重きを置いてやってきた、その成果が出ているということだろうとセバルトも満足する。
(ふっ……俺の指導もなかなかのものだな)
こっそり調子に乗って、ロムスに助言をしつつ、卵にかかった魔法を解析していく。そして――。
「それじゃあ、いきます」
「ええ。大丈夫です、見た目よりずっと丈夫ですから」
ロムスは左手の杖で魔力を増幅し、右手で魔法図を描く。
そして放ったのは、風を起こす魔法、ウィンドブリーズのカスタマイズ版。
ウィンドブリーズのマナ配列の途中に、卵を防護しているマナと同じマナ配列を挿入した魔法だ。
無茶なカスタマイズなので、魔力の消費が増えて威力も伸びないという普通ならこんなことはしない、という魔法なのだが――風が卵を通り抜けたとき、卵にヒビが入った。
「やった、やりましたね!」
そう一番最初に声を上げたのは、後ろで見ていたザーラだった。
セバルトとロムスが振り返ると、思い出したように恥ずかしげな表情になるが、しかし足は前へ前へと進んで、好奇心のままヒビの入った卵の前に出た。
「本当に開きそうです。今のは、どんなからくりだったんですか?」
「同じマナだと偽装したんです」
「偽装……ですか? それはいったい」
セバルトはザーラに説明する。
卵を守るマナと同じものを風魔法の中に封入することで、同一のもののように振る舞ったのだということを。
つまり同じ形をしていれば、鍵穴に鍵がぴったりとはまるよう、同じ部分がある風魔法を封印は拒絶しなかった。自分と同じ魔法だと認識したということだ。
その上で魔術的な風は抵抗を受けずに、自身を構成するマナと同じマナを内部に組み込み、運び去ったということである。
「そのようなことが可能なのですか! それなら、どんな封印でも解けるということになるのでは!?」
ザーラは思わず声を大きくして言った。
「ええ。原理的には。ただ、マナの構成が非常に複雑緻密で再現が難しかったり、隠匿されていたり、近づくと攻撃されたりなどがされているような封印もあり、そういう場合はもっと難しくなります」
「ああ、そうなんですか。わかってる人はそういう封印をするんですね。それにしても凄いですね。あっさり解いて……いや、解かせてしまいました」
そう言うと、ザーラは立ち位置はそのまま、上半身だけをぐるりとまわして、ロムスの方に体を向けた。
「ロムスも、頑張ったわね。こうすればいい、って言われてもなかなか自在に魔法を操るなんて簡単なことじゃないもの。しっかり努力しているってわかった」
ロムスはその言葉を聞くと、ビシッと背筋を伸ばして。
「うん、母さん。ありがとう。先生が色々教えてくれるから、だから、僕でもできるようになってきた。昔よりは少しはね。最近、魔法使うのが楽しいよ」
ロムスがそう言うと、ザーラは顔をくしゃっとさせた。
以前は魔法のことで思い悩んでいたのが嘘のような生き生きした顔に、涙腺が緩みそうになっていた。
ピシリ――。
そのとき、一際大きな音がした。
セバルト達三人が、一斉に視線を音のした方へと向ける。
「卵が――」
卵の殻にヒビが入っていた。
ヒビはどんどん大きくなっていく。
ヒビはすぐに殻を一周し、そのまま一気に殻が割れようとする――同時に、眩い白い光が中から溢れ出す――。
太陽を正面から見るようなまぶしさに、セバルト達は目を手でおおった。
数瞬後、光の奔流が収まり、目を卵に向けると、そこには。
「犬……いや、狼?」
純白の狼が、耳を忙しなく動かしていた。
「わあ、かわいいですね!」
最初に近づいて行ったのはザーラだった。
狼の前にかがみ込んで、手を出す。
結構かわいい物に弱いんだ、と思いつつセバルトが眺めていると、狼はじいっとザーラの顔を見つめ、なぜか首を振った。
「あ、あれ? なんか私、ダメだしされました?」
「生まれたての犬がそんなこと考えられるはずないと思いますけど」
とセバルトが言うと、狼が目をセバルトに向けて、牙を剥きだした。
(え、何か怒ってる? 何かまずいこと言った……というか、言葉がわかってるのか? もしやこの犬……じゃなくて狼)
セバルトはまじまじと純白の子狼を見つめる。
こんな変な卵から産まれたのだから、普通の狼ではないのだろう。
そもそも狼は卵から生まれるものではないし、卵も本当の卵かは怪しい。なんらかのマジックアイテムの可能性が高い。
となると、魔物か、何かしら特別な力を持つ獣――神獣と呼ばれる獣かもしれない、とセバルトは思い立った。
「むむ。撫でさせてくれません。やっぱり、ただの狼じゃないんですね」
セバルトが考えている間、ザーラは諦めずに狼に手を伸ばしていたが、狼はひょいひょいっと華麗な反復横飛びでかわしている。
「なんか遊ばれてるよ、母さん。狼は卵から生まれないし」
「それは知ってるわよ。まるで常識がないみたいに言わないで、ロムス。しかし、結構気位の高い子みたいですね」
ザーラがセバルトにちらりと意味ありげな視線を向けた。
それは、セバルトはこの生き物が何かわかっているのかを探っているような視線。
つまり、ザーラも見当がついているということだ。
セバルトは口を開いた。
「まあ、いずれにせよ生まれたてですし、少し様子を見た方がいいでしょう。大きくなって特徴が際立てば、何者かもはっきりとわかると思います」
セバルトの意見に、ザーラとロムスも頷く。
そして、生まれたての神獣も、『それでよし』と言いたげに小さな頭を頷かせていた。
はたしていつになったら、神獣『らしさ』をはっきりと見せるか――。