聖剣の町中で
エイリア周辺のマナの乱れを正常化させたセバルトは、今日はウォフタート寺院にきていた。
「それにしても驚いたよ。ウォフタート様を実際にこの目で見ることができるなんてね」
「ええ。あのようなご老人の姿だったのですね。しかし、さすが精霊だけあってマナのことにはとても鋭かったです」
セバルトは先日にあったことを思い出す。
エイリア周辺のマナが乱れ、岩が突然爆発したり、目の前にいるネイが力を暴走させてしまったりといったことが事が起きた。
それらは、精霊にアドバイスをもらい、セバルトの持っている聖剣を利用することで事態を収めることに成功した。
これによって、セバルトの目指す穏やかなスローライフを送れるエイリアの町が戻ってきたのである。
(そう、この町。俺はここで穏やかな暮らしを送るんだ。もう魔物とか英雄とかそういうものに煩わされる事のない生活を。マナの乱れに便乗する魔物や、災害などもなくなって安心なはずだ)
自分に言い聞かせながら改めて考えると、実は結構忙しく過ごしているような気がしないでもないセバルトだった。
魔物は襲撃してくるし、精霊の化身とは戦うし、聖剣を刺したらなぜか観光スポットになってしまうし。
だがセバルトは考えを振り払うように首を振る。
確かにそうかもしれないが、だがこれですべての問題は解決したのだ。あとはのんびりと三人の生徒達に指導していきながら、ゆっくりとした生活を送れるはず。
セバルトはぐっとこぶしを握った。
その様子を見てネイは不思議そうに眉を傾ける。
「セバルト君って、落ち込んだり、ガッツポーズしたり、楽しそうだね」
「さりげなく馬鹿にしてませんか」
「全然。褒めてる」
疑いの眼差しを向けたセバルトは、すぐに表情を崩し、巫女であるネイに頼み、ウォフタートに感謝の祈りを捧げて寺院を後にした。
寺院を出たセバルトは、ロムスの家庭教師をするためアハティ家に行った。
いつものように魔法の訓練を行っていると、ロムスがふと思い出したように口を開く。
「先生、この前の箱のこと覚えてますか?」
「箱? ああ、もしかしてあの魔法学校にあった、開かずの箱のことですか」
「そうです。あの箱なんですけれど、中に球体が入っていたのを覚えていますか」
「あー。ありましたね、なんか泥団子のようなものが」
しばらく前のことだ。
どうしても開かない不思議な箱があって、しかもそれが色々な魔法を勝手に発してしまうという話だった。
炎なんかを勝手に出してしまうと危険なので。それをなんとかしたいということでセバルトも協力したのだ。
そしてセバルトは無事に箱開けることに成功したのだが、中に謎の球が入っていた。その時点ではその球体が何なのかはよくわからないので、とりあえず魔法学校の人だけが調べるということだったのだが……。
「あれがどうかしたのですか? 」
「はい。様子がおかしいらしいです。なんだか勝手に動くと言うことで」
「勝手に動く?」
「グラグラ揺れたり中からカリカリ音がしたり。そんなことがあって、一体何が起きるんだということでちょっと話題になっているんです」
セバルトは顎に手を当て、椅子を引き、白い天井を見上げる。
そして、以前見たその球体のことを頭の中に思い浮かべる。
「なんでも、まるで生きてみるみたいだっていう風な話もあるくらいですいいか。
「生きている……ですか」
自分が開いた箱から出てきた、正体不明の生きている球体。
これはセバルトならずとも興味がわくところである。
「なんだか面白そうですし、ちょっと見に行ってみましょうか」
セバルトは腰を浮かしかけたが、そこでピタリと、まるでカエルがヘビに睨まれた時みたいに動きを止めた。
空気椅子のような微妙な体勢をとっているセバルトを、薄紫色のローブに身を包んだロムスは、怪訝な表情で見つめる。
その時セバルトの頭に浮かんでいた懸念はこうだ。
(これは迂闊に手を出すと、何か面倒なことが始まるのでは……)
面白そうだ、でかかわると、厄介なことに発展する。好奇心は猫を殺すというが、家庭教師も殺されるかもしれない。
だが、いちど気にしてしまうと、他のことを考えようと思っても頭の中で自己主張続けるのが雑念というものである。
アハティ家の窓から色鮮やかな花や木の実が鈴のように連なっている庭を睨み付けるように眺めていたセバルトだったが、やがて観念したようにロムスの方を見た。
「負けました。いきましょう」
「一体何と戦っていたんですか、先生」
エイリア魔法学校に到着したのは、授業が終わった後、日が暮れた直後のあたりの時間だった。
様々なマジックアイテムが保管されている保管庫へとセバルトとロムスが行くと、茶色いドアの向こうがわから、声が聞こえてくる。
「あ、今動きました!」
「え、どれどれ? ……。本当だ、蹴ってる蹴ってる」
「元気がいいですね」
「うん、うん。これは産まれてくるのが楽しみだ」
セバルトはロムスに視線を向ける。
「新婚の夫婦でもいるんですか?」
「僕に聞かれても」
ロムスは目を細めて首を振る。仮にいたとしても、ここでそんな会話をするのは理解ができない。
とにかく、二人は中に入ってみることにした。
そっとドアを開け、部屋の中に足を踏み入れると。
「お母さん?」
「あら、ロムス。それにセバルトさんも。どうかなさったんですか? あ、ひょっとしてこの子に用が?」
そこにいたのは、ロムスの母親、『賢者』ザーラ・アハティだった。
薄手のケープを羽織った、華美ではないが優雅さを感じられる服装で、立っている。
そしてその手のひらの上には、茶色い球体が。
どうやら同じ部屋にいる魔法学校の職員と話していたのは、この球体についてのことだったらしい。
「その子、というのはその球のことですか?」
「ええ。そうです。聞こえるでしょう」
なるほど、とセバルトはしっかりと頷いた。
合点がいった。
つまりこれは――卵だったのだ。
「たしかに卵っぽい形をしてますね。いいですか?」
セバルトはザーラの手のひらに耳を近づける。
卵のすぐそばで集中すると、中からカリ……カリ……と、卵の殻をひっかくような音が弱々しく聞こえる。
どうやら、中ではすでに何かが産まれそうになっていて、殻を破って外に出ようとしている模様である。
セバルトは手のひらに耳を向けた中腰のまま、ザーラの顔に目を向ける。
「いつ頃から?」
「私が来た時にはすでに。その少し前だそうです、魔法学校の研究員の方のお話では」
「あ、そうだ!」
とそのとき、ロムスがはっとしたように口を開いた。
「どうして母さんが学校に?」
「多分ロムス達と同じ用事よ。変なものがあるから、何か調べてくれないかって頼まれたの」
研究員を一瞥しザーラが悪戯っぽく笑うと、研究員は恐縮したように頭をかく。
(なるほど、箱の時と同じようにいろんな人に力を借りようとしていると)
「それにしても、この中身はなんなんでしょう? 卵というなら、何が孵化するか気になりますね」
「ええ。そこなんです。文献に当たってみたのですが、何も該当するものが見つからないんですよね。ということは……」
「未知の生き物が誕生する。ひょっとしたら危ないかもしれない」
セバルトが言うと、ザーラはしっかりと頷いた。
「ええ、そういうことになります。といっても、殻を破ることもできないようではそんなに力は無いのではないかと思いますけど」
卵の内側からは、相変わらずカリカリと音がしている。
いったいこれはなんなのか――セバルトは、意を決して卵の殻を触ってみた。